気づきの日々

毎日、何気ない言葉や思いつきに、ふと気づかされる時があります。
そんな日々のことを書いてみることにしました。

優しさと力

2015-02-20 13:57:51 | 日記

今朝、簿記みたいに仕分けをしている夢を見た。
だけど私が仕訳けしをしているのは、数字ではなくて「愛」みたいで
「愛されたから愛する、愛されなくなったから愛さない」みたいな感じの仕訳けだった。

目が覚めて思った。
損得勘定は、損得感情だったのか!
私のこれまでの愛し方を見せられていて、
私が簿記を学ばなきゃいけない原因はここだったのかなと思った。
私の因縁の奥にある原因の一つ。

来るもの拒まず、去る者追わず。
昔からずっとそうだった。
相手の立場に左右されるだけの、自分というものがない私の愛。
それを仕訳の夢で見せられていた。

もう一つ、気になるCMがある。
auの玉手箱バージョン。
あまりテレビを見ない私が、よく目にする携帯CMの一つ。
auとsoft bankのCMは割と見てる。

auの玉手箱バージョンCMで、気になったのが金太郎と携帯。
砂の中に埋もれて寝てるし。
しかも開けた玉手箱を持って走ってきた浦島さんに砂を掛けられてる。苦笑
背もちっちゃいし、あの中で、自分は金太郎さんに近いなと思った。

前のCMバージョンでは、「セット」に拘ってる金太郎さんがいた。
あー、これは金ではなくて「カネ」なんだとからかわれていた。
私も子供の頃から凄くお金に執着してたし、やっぱり似てるなと思った。

気になって他のCMバージョンを見たら、
英雄伝説の二人に比べて自分には何もないと落ち込んでる金太郎さんがいた。
でもクマに勝ったじゃん!と言われても、
クマはすぐに手をつくものだから誰でも勝てるし、とさらに落ち込んでた。
あー、やっぱり私だと思った。苦笑
自分は金太郎さんの因縁と近い感じがしていた。

しかも子供の頃、「金太郎銅像」を背にして真似て同じポーズで撮った写真がある。
多分父に「同じポーズをとって」と言われて撮った写真だと思う。

お風呂上がりに髪を梳かすと、必ず後ろがもつれて絡まるのだけど
写真の「後ろの金太郎さん」と何か関係があるのかなーと思った。

多分金太郎さんの因縁と似てるから(背中だから後ろの家系の因縁が似てるってこと?)
そこを見て、自分の因縁を解いていけってことなんだろうなと思った。
金太郎さんを真似してポーズとっていたから、力に頼る事を真似ていたのかもしれない。

今朝、二度目の夢で「携帯」も出てた。
データ(記憶)に関していて、それが抜き取られていた。
通信の事かなと思った。

CMの金太郎さん、自分に自信がないんだよね。
だから「力」に向かうのかな。
力持ちは「自信のなさ」の裏表なのだろうか。
威嚇と同じで、弱い立場の者ほど威嚇して力があるように見せてる。
本当の強さは「優しさ」なのかもしれないね。

昨日考えていたことがある。
イジメって立場が弱いから苛められるんだよね。
心で強くなって相手に立ち向かっても、力が弱いと同じように苛められる。
だったらやっぱり同等に戦える力を持たないと、イジメの枠から脱出できないのかな。
心だけ強くなってもやられる事に変わりはないのかなって。

今朝の夢とCMは、その答えなのかなと思った。
「自分に自信を持つこと」
心が強くなれば「優しさ」が溢れてくる。
きっと相手にやられているように見えても、本人は相手の心を気遣っているだけなのかもしれない。
相手にやられているとは全然思ってなくて、
「自信がないから力に頼る心の弱さ」を知ってるから、相手も同じように思いやれるのかな。
その無抵抗の優しさに、相手も何かを感じていくものなのかな。

「やられている」「苛められている」と感じているうちは、そこから抜け出せないんだね。
自分に自信を持つことで、そこから抜け出せるんだ。
その自信は人から言われて培うものではなくて、自分の中から湧いて出てくるもの。
自分の判断基準であって動かない強さみたいなもの。

それが愛であり、優しさなのかなと思った。

記憶も同じで「抜き取られてる」と思ったら、相手に非があるように感じるけど
自分が忘れているだけと思ったら、意外と思い出せるものなのかもしれない。

自分の中の被害妄想を「愛と優しさ」に変えるだけで、世界は変わっていくものかもしれないね。

 

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失う不安

2015-02-17 13:17:53 | 日記


東京の高層住宅に住んでた頃、時折不安を感じてた。
地震で揺れて明日になったらこの部屋に住めなくなってしまうのでは?という不安。

「部屋」は小さい頃からの夢だった。
プライバシーのある自分だけの部屋を持ちたい。
友達の家に遊びに行くびに「いいなー」と羨ましかった。

上京した最初の部屋は、親戚の祖母と一緒の部屋だった。
そこからのスタート。
専門学校の寮に入るつもりでいたが、その場所は危険だからと親戚の家にお世話になった。
そして就職先を見つけて、六畳一間で風呂なしトイレ共同の部屋を借りた。
ここが私の最初のお城だった。

そこから徐々に引っ越すたびに環境が良くなっていった。
風呂付き、シャワー付き、浴室乾燥機付きと浴室もグレードアップしていった。

そうやって自分で手に入れた夢の環境が、
地震で一瞬にして崩れ去るのではないかという不安をいつも感じてた。

あの不安が、今やっと解った。

地震は何故起こるのだろう?
そんな疑問がいつもあった。
地震が起こること自体が良くないことのように感じていた。
テレビで悲惨な状況を見る度に、何とも言えない気持ちになっていた。

でも、何も起こらない事が本当に幸せなのだろうか?
自分の居る場所が、脆い土台の上に立っていることを知る由もない。
それは本当に幸せなのだろうか?

心の状態と自分の周りの環境は同じなんだ。
自分の心が作り出した現実が、今の環境となっている。
だから自分の周りで起こる事を通して、自分の心の内面を知る事が出来る。

不安を感じていたのは、自分の心の土台が脆いから。
だから周りの環境が変わることで、「失う」恐怖がいつもあった。
これはいろんな面で感じていて、私の内面そのものだった。
打たれ弱い=何があっても自分は崩れないという強い自信が自分の中にない。
自分でちゃんとしっかり立っていないから、動揺して崩れるんだ。

程度の差はあるが事象が起きる事自体は、悪いことではない。
起こるから見えてくるものがある。
そこから目を逸らし、いつも失う不安を抱えて
「何も起きませんように」と願うから、心が揺れて脆くなる。

ここ2~3年で、私もある事を経験して解ったことがある。
何度も似たような事を繰り返し、相手次第で心が一喜一憂して「失う」恐怖が常にあった。
その現実に泣いたり笑ったりを繰り返していた。

でも結局は起き上がりこぼしのように立ち上がって、その度に心が強くなっていた。
「周りに動じない心」みたいなものが育っているんだなと、自分の経験を通して実感した。
自分の内側から出していくものは、外側に変化があっても変わらないということ。
それに気づけた。

 

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見えないから

2015-02-14 13:23:44 | 日記

昨日、地元のホール(アルカス)が改修工事を終えて、改修用に組み立てていた枠のカバーを解体していた。
テレビでは「北斗星」 定期運行最終列車の切符が即完売したニュースを見た。

アルカスは「こぐま座」なんだよなー。
こぐま座には北極星(ポラリス)があって三重連星なんだよなー。
昨日の夢で三重連星を見たんだよなー。
そのへんが、何か動いている感じがしていた。
今見つめるべき問題のような気がした。

北極星は何故こぐま座なんだろう?
ずっとそれが気になっていた。
北斗七星がおおぐま座でこちらのほうが華やかなのに、今の北極星はこぐま座で動かない星。
本当は動いているけど、天の北極に非常に近い位置にあり地球からは動いてないように見える。

昨日の夢の記事を書いて思った。
そうか、子供だから小さいんだ。
小さいから視点が低くてよく見えないんだ。
見えないから高いところに登ろうとする。
一番高い天頂に登ったのは、「よく見えるように」という気持ちの現れだったのかな。
背が低いと見えないから高い位置を望んだ私と同じ。
「見えないから」が原因だった。

だから北極星は「こぐま座」なのか!

私も高いところから見る景色が好きで、小さい頃に木とかタンスとかによく登ってた。
でも高いところが好きなのに「高所恐怖症」でもある。
多分、隣の家の土手から落ちた記憶がかすかにあるから、そのせいだと思う。
好きで上って落ちたんだ。
それで落ちるのが怖いから「高所恐怖症」なんだね。

よく見えるように、高いところに登りたい。
でもそこから落ちるのが怖いから、落ちたくない。

自分の根底にある気持ちは、それだった。
そんな気持ちが確かにあった事に気付いた。
やっぱり原因は「見えないから」なんだ。
小さいから見えないと思い込んでいたのかもしれない。

高いところから上を見上げるのも、下を見下ろすのも同じなんだ。
それをやってた自分の姿が客観的に見えたら、上げ底の自分の姿が見えてくる。
本当の自分って、しっかり地面に踏ん張って周りを見ている等身大の「私」なんだよね。
そこで見えるものが今の自分の視点なんだ。
見えないと思っていたのが単なる思い込みだったり、
運転しててしっかり見たら、ちゃんと見えてたことに気づいたり、
そこからブレないでモノを見ていたら、今の自分の視点が解ってきたりする。

高いところに登らなくてもちゃんと見えるというのは、そういう事なんだと思った。

 

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星空

2015-02-13 12:43:18 | 夢の話

今朝、変わった夢を見た。

フランスに旅行か何かで滞在してて、世界遺産みたいな建物の街並みにいた。
長屋みたいに長い通りで、ガウディ建築みたいな感じの街並みだった。
そこでいろいろとあったけど、最後の場面が印象的だった。

奥の日本人村みたいな地区にたくさんの人が居てお祭りみたいに賑わってる感覚があった。
その地区の最初の所に門みたいな扉があって閉まっていた。
中は階段になっていて、そこにたくさんの人がぎっしりいる感じだった。
お祭りの屋台が階段になっている感じ。

私は女の子と一緒にそこに来ていたみたいで、門の外から中を覗いたら星空が見えた。
穴?双眼鏡?から覗いたら見えたような感じ。
少しボンヤリとした星空だったが、いくつか星が見えた。

隣にいた女の子が「どれを選ぶの?」と聞いたので、よく見ると
星空の手前に「三択みたいな文字の問」があった。
私はそれぞれ選んで見ていたが、どれも同じように星空が見えた。
三連みたいな星が見えていた。
選んでも選ばなくても見えるので、そう言ったけど女の子は見えない感じだった。

そこで目が覚めた。


星空の夢はもう一つ、かなり以前(2~3年前)に見てた。
夢の中で韓国に来てて、
夜遅く、一人で外を歩いていたら星空がとても綺麗で、
こんなにはっきりとした綺麗な星空(天の川みたいな星空)を見たのは初めてだった。

その星空がとても綺麗で印象的だったのでよく覚えている。
多分、フランスも韓国も過去世で関わっていたのかもしれないね。
どちらも日本からそこへ行って星空を見ていた感じがしてた。
韓国の夢では同じような日本女性が何人かいて、仲良くなっていた。

今日の夢は、前に書いた記事と似ているなと思った。
どの道を通ってもゴール(星空)に近づいているみたいな。
選ばなきゃ見えないのではなくて素直に見たら、どこに居ても見えるものなのかもしれないね。
多分女の子は「選ばなきゃ見えない」と思って見ているのかもしれない。
人に言われても自分で納得しないと見えないものなんだよ。

きっと中の階段の一番上にいる人は、前に遮るものがないから星空が綺麗に見えるのかもしれない。
でも別に階段を登らなくても、一番下の底辺で外側にいても素直に見たら星空は見える。
素直さの状態でボンヤリかハッキリかの違いだけなのかもしれない。
そう思ったら、自分の姿が見えてきた。

私はチビだからアリーナみたいな特別席は買っても見えないだろうなと思って選ぶのを避けてた。
背が低くてもよく見えるようにと高い位置の席を望んでた。
あー、そうか。
夢の中の女の子は私なんだなと理解した。
私の魂が私の行動を見て、夢で気づくように言っていたのかと納得した。(^^;

そうか、夢でよく見る「連れ」とか「一緒に旅している人」は、
自分の姿を見せられている場合もあるんだなと理解した。

 

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間違いは間違いじゃない

2015-02-11 13:35:02 | 日記

簿記って面白い!
いろんな事に気付ける。
ワークブックを進めていったら、今度はワザと左右の合計が違ってて
どこを間違えていたのか答えなさいという問題だった。
《゜Д゜》
なに?それ。
それって、私の得意科目じゃん!!(^^;

いつも間違えてるから、何度も間違い探しをしているうちに
だいたい自分が間違えるポイントを解ってくる。
そういう目で見たら、間違えを見分けるポイントに察しがついてくる。
それを「経験」というのだろうな。
間違えたからこそ培われた経験。
なんだ、間違っていても間違いじゃないというのはこういう事かと納得した。

だからどんな道も、例え遠回りであっても自分と向き合っている限りそれは得がたい経験になる。
後ろに戻っていたとしてもゴールに近づいているという事なんだ。
到着が遅いか早いかではなくて、そこに行くまでにどんな経験を積んだかが凄く重要なんだと解った。
自分の経験が、目の前の判断基準のポイントとなっている。
そして目的地にゴールしたら次に向かう場所へとスタートし始め、動いている限り変化し続ける。

生きているから経験を積める。
現実世界だから事が動く。
事が動くから、そこから見えてくるものがある。
その経験を経て、また動きなおせる。

ワークブックの問題を解いてて、昔お世話になった経理の先輩女性を思い出した。
あの頃、私がいつも間違えてた数字を一緒になって解いてくれていた。
先輩は経験豊富だから察しが付くのだろうけど、自分の間違いではない数字を調べるのは大変だったと思う。
人の間違い(ワークブックの問題)を探すのも、自分じゃないから最初はどこが間違っているのか検討もつかないんだ。
自分が間違った箇所(経験)と照らし合わせて、いろいろと探しているうちに見つかってくる。
だいたいの察しはつくけど、自分のよりは簡単ではない。
だから最初に自分の経験があって、それが生きて初めて周りへと影響していくのだろうな。

あの時は感じる余裕がなかった「先輩へのありがたさ」を感じた。
物凄く時間がかかったけど、それに気付けて嬉しい。

 

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