東京の高層住宅に住んでた頃、時折不安を感じてた。
地震で揺れて明日になったらこの部屋に住めなくなってしまうのでは?という不安。
「部屋」は小さい頃からの夢だった。
プライバシーのある自分だけの部屋を持ちたい。
友達の家に遊びに行くびに「いいなー」と羨ましかった。
上京した最初の部屋は、親戚の祖母と一緒の部屋だった。
そこからのスタート。
専門学校の寮に入るつもりでいたが、その場所は危険だからと親戚の家にお世話になった。
そして就職先を見つけて、六畳一間で風呂なしトイレ共同の部屋を借りた。
ここが私の最初のお城だった。
そこから徐々に引っ越すたびに環境が良くなっていった。
風呂付き、シャワー付き、浴室乾燥機付きと浴室もグレードアップしていった。
そうやって自分で手に入れた夢の環境が、
地震で一瞬にして崩れ去るのではないかという不安をいつも感じてた。
あの不安が、今やっと解った。
地震は何故起こるのだろう?
そんな疑問がいつもあった。
地震が起こること自体が良くないことのように感じていた。
テレビで悲惨な状況を見る度に、何とも言えない気持ちになっていた。
でも、何も起こらない事が本当に幸せなのだろうか?
自分の居る場所が、脆い土台の上に立っていることを知る由もない。
それは本当に幸せなのだろうか?
心の状態と自分の周りの環境は同じなんだ。
自分の心が作り出した現実が、今の環境となっている。
だから自分の周りで起こる事を通して、自分の心の内面を知る事が出来る。
不安を感じていたのは、自分の心の土台が脆いから。
だから周りの環境が変わることで、「失う」恐怖がいつもあった。
これはいろんな面で感じていて、私の内面そのものだった。
打たれ弱い=何があっても自分は崩れないという強い自信が自分の中にない。
自分でちゃんとしっかり立っていないから、動揺して崩れるんだ。
程度の差はあるが事象が起きる事自体は、悪いことではない。
起こるから見えてくるものがある。
そこから目を逸らし、いつも失う不安を抱えて
「何も起きませんように」と願うから、心が揺れて脆くなる。
ここ2~3年で、私もある事を経験して解ったことがある。
何度も似たような事を繰り返し、相手次第で心が一喜一憂して「失う」恐怖が常にあった。
その現実に泣いたり笑ったりを繰り返していた。
でも結局は起き上がりこぼしのように立ち上がって、その度に心が強くなっていた。
「周りに動じない心」みたいなものが育っているんだなと、自分の経験を通して実感した。
自分の内側から出していくものは、外側に変化があっても変わらないということ。
それに気づけた。