3度目の福島訪問は、2度の訪問[4月2日(土)・4月17日(日)]から1月半を過ぎた6月5日(日)、右足の痛みが治まりつつあったのでようやく実現しました。今度は南相馬市役所を目指しました。日曜日にもかかわらず、市民が数名訪れ、市役所の窓口もこの緊急事態のため休み無く開かれているいる様子でした。北の相馬市の賑わいと異なり、原発から30km圏内にあることから、原町付近は県内外への避難者が多いせいか、昼近くながら街はひっそりとしていました。市役所(写真)ロビーの、ハワイからの応援旗(写真)が被災者を力強く応援していました。海岸に向かうと、土台だけを残して、街並みは津波で全てを流されていました。国道6号線に戻り北上すると、漁船が打ち上げられ、水田の海水も引かず異様な臭いもまだ残っていました。至る所震災から3ヶ月近くなっても、傷跡はまだ癒されていないこと心を痛めました。
南相馬市のホームページ http://www.city.minamisoma.lg.jp/
☆ 南相馬市は平成18年1月1日、旧小高町、旧鹿島町、旧原町市の1市2町が合併して誕生しました。
相馬市のホームページ http://www.city.soma.fukushima.jp/
相馬市内の道の駅で食事後、かつて子供の頃潮干狩りに訪れた松川浦も津波で大きな壊滅状態だと聞いていましたが、いずれまた来ることにして、さらに6号線を北上し続けました。県境の亘理町の付近も津波で大きな被害を受けていました。宮城県に入り、岩沼市、名取市、仙台市と進み、TVで見た仙台空港の被害の様子を、常磐道の上からから目にしました。また高速道路の東側(右)を見ると、仙台平野全体に津波の爪跡が見渡す限り広がっていました。東北道に乗り継ぎ、福島飯坂ICを下りて、米沢に戻りようやく3回目の福島訪問を果たすことが出来ました。
NHK-TV画面から震災関連情報の枠がはずれ、1ヶ月以上経ちましたが原発事故はまだまだ続いています。被災地の惨状をよそに、政治の混乱は目を覆いたくなるような状況です。緊急事態に総理大臣を替えようとする動きは、諸外国からまともに相手にされなくなり、国益を失う危険があります。自民党・民主党と政権が代わっても、マスコミに踊らされ、目先の事ばかりに気を足られていることに、失望しそうになります。菅総理がんばれと、言い続けたい。
昨日、4月2日の南相馬市への救援物資に対するお礼状が自宅に届きました。これで、震災から100日目の区切りを、ようやく付けることが出来ました。