永六輔氏は7日七夕の日、大橋巨泉氏は5日後の12日、相次いで亡くなられた。
昭和40年代に自分が中学生や高校生の頃から、よく知っている方々だった。おそらく60代以上の人達なら誰でも知っている有名人だった。
それぞれ個性の強い人たちだったが、忘れることの出来ない人ばかりである。後日、ブログに様々な想いを掲載したいと考えている。
※ WEB上の公開写真を掲載しました。
※ NHK ニュース WEB 記事を抜粋し掲載しています。
永六輔さんの未公開の歌詞が見つかる 7月19日 21時05分

作詞家として「上を向いて歩こう」などの数々のヒット曲を手がけ、今月亡くなった永六輔さん。昭和40年代を最後に歌謡曲の作詞から退いたと思われていましたが、3年前、さびしさや悲しさを歌った未公開の歌詞を歌手の加藤登紀子さんに贈っていたことが分かりました。
詞の完成かなわず
永六輔さんは昭和36年に放送が始まったNHKの人気バラエティー「夢であいましょう」の台本を担当し、放送作家として高い人気を得ました。この番組の中で永さんは、「上を向いて歩こう」や、「こんにちは赤ちゃん」などの作詞を手がけ、その時代の人々の思いに寄り添った歌詞で次々とヒット曲を出しました。
その後も永さんは放送作家や作詞家、タレントなどとして幅広く活躍していましたが、シンガーソングライターの登場などを理由に昭和40年代を最後に歌謡曲の作詞から退きます。
平成22年にはパーキンソン病と前立腺がんを患っていることを公表。翌年に発生した東日本大震災では、病をおして被災地に足を運び、被災者の声に耳を傾ける活動に取り組んでいました。
今回の歌詞は、5年前「長年のつきあいなのに一緒に作った歌がない」と加藤さんと永さんが話したのがきっかけとなり、3年前に永さんが加藤さんに贈ったということですが、まだ1番しかできていないところで永さんは今月7日に83歳の生涯を閉じ、詞の完成はかなわぬものとなりました。
タレントの大橋巨泉さん 死去 7月20日 9時22分

テレビ番組の司会者として長年活躍し、昭和のテレビ文化をけん引した大橋巨泉さんが、今月12日に入院先の病院で急性呼吸不全のため亡くなりました。82歳でした。
永六輔さんの訃報に対応できず
大橋巨泉さんの亡くなる5日前には、放送作家やタレントとして同時期に活躍した永六輔さんも亡くなっています。この際、大橋さんの親族はNHKの取材に対し、「事前にご家族から連絡をもらったが、病床にあるため対応できない」としたうえで、「本人がショックを受けるので、永さんが亡くなったことはまだ伝えていない」と話していました。
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