みちのくの風の旅人 [ 愛と義の街(上杉の城下町)から情報を発信中 ]

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羽越水害から50年(1); 米沢で初の慰霊祭

2017-09-05 18:50:26 | ニュース

 羽越水害から50年、米沢で開かれた慰霊祭が、やまがたニュースオンラインに載った。知り合いの人達もNHKの山形版のニュース映像に出て来た。

 以下、原文のまま掲載しています。

 


 

 教訓語り継ぐ使命胸に 羽越水害50年、米沢で初の慰霊祭
                             
2017年09月04日 08:24

 本県内陸部を中心に甚大な被害をもたらした羽越水害から50年の節目を迎え、4人が犠牲になった米沢市芳泉町の最上川に架かる松川新大橋で3日、慰霊祭が行われた。「若い世代に災害の教訓を語り継ごう」と地元町内会が初めて開催した。市民らが犠牲者の冥福を祈るとともに、惨事の記憶を風化させぬよう、供養塔に手を合わせた。 本県内陸部を中心に甚大な被害をもたらした羽越水害から50年の節目を迎え、4人が犠牲になった米沢市芳泉町の最上川に架かる松川新大橋で3日、慰霊祭が行われた。「若い世代に災害の教訓を語り継ごう」と地元町内会が初めて開催した。市民らが犠牲者の冥福を祈るとともに、惨事の記憶を風化させぬよう、供養塔に手を合わせた。

 羽越水害は1967(昭和42)年8月28日から翌29日にかけて発生し、大雨の影響で最上川や荒川水系の流域各地で河川の氾濫などが相次いだ。県内だけで死者は8人を数え、市内では先代の橋で警戒に当たっていた地元の消防団員4人が橋ごと濁流にのみ込まれ、いずれも命を落とした。

 遺族をはじめ、県、市、町内会の防災関係者、地元住民ら計約80人が慰霊祭に参列した。同町内会の住民で組織する実行委員会の後藤謙一委員長が「遺族にとって癒やされることのない半世紀だっただろう。教訓を地域防災に役立てることが残された者の使命だ」とあいさつし、中川勝市長らが追悼の言葉を述べた。

 中学2年時、父二男さん=当時(44)=を亡くした名古屋三男さん(64)=同市芳泉町=は遺族を代表して体験談を語った[上の写真]。仲間の消防団員に呼ばれ、足早に橋に向かう父の背中が「最後の姿」になった。「(二男さんが)流された」との一報を受け「何かの間違いであってほしい」と願ったといい、当時の自分と同い年になった孫に「ありのままを伝えたい。あの惨事を風化させないことが災害への一番の備えだ」と訴えた。 
 

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