「 真田丸 」に続いて 「 おんな城主 直虎 」と NHKテレビの大河ドラマの影響もあってか
軽井沢にはその後の江戸時代 3つもの宿場があった中山道を中心に 根強い歴史好きな旅人の散策姿がある
寒いこの時期でさえ ダウンジャケットに耳宛て帽子姿で立ち止まったり歩いたりを続ける男性なんかも見かけるけれど
中には 4月過ぎて暖かくなった頃の散策に準備を始めた 案内係さんだったりするらしい
碓氷峠の権現様周辺でひと息ついた後 夏に赤いバスが上り下りする舗装道路では無く 「 遊覧歩道 」でもない
峠道の 中山道を二手橋付近まで下って 「軽井沢宿」へ
近年になってここ数年の間に これまで長い間 宿場の様子の しっかりした資料がない・・とか
詳細にはよくわからないと 言われていたこの「軽井沢宿」の様子が イラスト風の資料だけれど出回って来て
コピーを見かけてびっくりしたと 知り合いのおじいさんが言っていた
なんでも 昔、熱心に旧軽井沢のお年寄りや長く軽井沢に関わった人たちに聞いても はっきり判らなかったのに
宿場の脇本陣のあった場所や 今は跡形もない 「 一里塚 」の場所まで なにかの絵図のコピーの上に書き込まれていて
そのおじいさんは
「それが ちゃんとした印刷物になって広く出回れば ホントでもそうでなくても みんな信じてしまうわなぁ・・今は・・」
なんだか 元気なくつぶやいていた
昔、古いことを好きで調べていた仲間の もっとおじいさんから
すごく寒い場所だし、何回も大火があったり水害(土石流)があったりしたから、よその平和な城下町ほどはっきり残されていないんだよ
と聞いた時 その通りだなぁ・・と 思ったって言うんだ
ボクは ただのイノシシだから そんなイラストマップ見た事は無いけれど みなさん どこかで見ましたか?
江戸時代と言っても もはや400年も前から始まって140年くらい前までの時代の事
どれがホントで どれが そうでなくて・・ と 軍配は さて・・ ?! なんで 急にはっきりしたんだろうね ・・