夕べの軽井沢は一段と冷え込みが厳しくなり・・
こーゆー夜は 決まって夜空のお星様も 輝きを増していて
だけど、防寒着を着る事も ふかふかのブーツも持っていないボクは
しみじみ吹きっさらしで お星様を眺めようなんて気分にはなれないんだ
凍えるように寒さが厳しいからね・・
こんな夜は特に・・ 温かいお部屋の中で これも温かいものを飲んだりしながら
テレビやビデオ、好きなオーディオやスマホに浸りながら
多くの人がこんなの いいですよね
ボクは 暮れ前から 軽井沢やその周辺の昔話やエピソードを聞けることがあって
夕べも そうだった
親の代からの別荘に 定年後常住するようになった人が話してくれた 夕べの「 冬の夜話 」
国道18号線の 「 南原 」信号、東側は軽井沢駅方面と旧軽井沢方面が分岐する
その分岐の 三角形の部分に注意していないと見過ごしてしまいそうな石碑がひとつあって
タイル模様の台座の上に乗せられ 白い看板が設置されている
来年の令和5年に軽井沢町は町制施行100周年という大きな節目を迎えるんだけれど
この石碑が その 軽井沢町の「 道路元標 」なんだな
「 道路元標 」っていうのは 大正8年(1919)に当時の全国すべての市町村に1個 設置が命じられ
この 大正11年(1922)の内務省令に 標石の様式が記されている
古い書式を読みなれた人には 細目についても理解してもらえるだろうけれど
そして 日本全国、どこの市町村の人にとっても 必ず、自分やそのご先祖様が
大正8年かその数年後内に住民票があった場所の当時、主要な道路沿いに在るはずの標石なんだ
周辺にはどこも 当時の役所やその出先機関があったりする 言わば目抜き通り沿いに設けられたらしい
地上高=地表からの高さも規定があって 設置当初は全国どこでもほぼ似たようなものだったらしい
ただ 江戸(東京)は つい先日の1月2日、3日開催の「 東京箱根間往復大学駅伝競走 」
通称 「 箱根駅伝 」のスタート地点中継放送で必ずと言っていいタイミングで 映される
青銅製の円盤状「 道路元標 」はレプリカで
日本橋の中央にあった「 東京市道路元標 」は 昭和47年の道路改修で
日本橋の北西詰にある「 元標の広場 」に移設され
日本橋とともに国の重要文化財に指定されているそうだよ
軽井沢でも せっかく往時を偲ぶ記念碑として保存するなら 台座を設けるよりも
周囲を整備、囲いなどを設けて 整地された地表から往時の姿を復元保存した方がよかったかもしれない
軽井沢町内にもうひとつ 「 道路元標 」が存在していて それは これよりもはるかに立派に
遙拝目的の石碑の様に台座の上に安置され、案内板もつけられている
制定当時は軽井沢町に編入されていなかった 「 西長倉村道路元標 」 (1942年に軽井沢町に)
この 「 道路元標 」の変遷は 少し記憶にあるそうだけれど 現在の祀られ方?を考慮して
忘れた事にするよ・・ と 話していた
誰にとっても ひとつ、1か所あるはずの「 道路元標 」所在地 思い出を訪ねた時
ふっと 自分や家族の 「 ファミリーヒストリー 」を 振り返る時にでも
思い出を訪ねる 「 道路元標 訪問 」をしてみたら
軽井沢町の 2個も 観光、散策がてら見学にはちょうどいい場所、道路端にある
ただ 諸般の事情で 昨今、現存する「 道路元標 」や
「 その後の事情 」を知る人は減り続けているらしい
今の内かな・・・