ここでも何度か みなさんの中に**って 知っている人がいませんか? とか
誰かエライ人に言ってくれませんか・・?
なんて ボクが言うことがあるんだけれど
去年の後半・・・と 年末近くだったかに
軽井沢で 古い(歴史、時代) 橋の名前で 何か知ってる人いませんか・・
って 言ってたの覚えていてくれてる人 いますか?
その橋の名前は 「 つくろう橋 」
ボクの森の下に住む 仲良しの奥さんのお友達で 歴史大好きな女性が
江戸時代前半の 古い地図で見かけた橋の名前が気になって ずっと、その場所を探していたんだ
3連休が明けた昨日、軽井沢は午前中から雪がチラチラ・・
そのうち 霙というか雨というか冷たいものが降り続いて寒かったよね・・
夕べは 仲良しの奥さんとその女性にお呼ばれをして 温かい飲み物を頂きながら なんと
捜していた橋の場所が やっと わかったと そのお話を聞かせてもらったんだ
橋の名前は「 つくろう橋 」 江戸時代も前半 天和元年(1681)に描かれた古い絵地図に載っている
この絵図は 追分宿郷土館の展示室の壁面に大きく掲示されている 展示品の絵図の原画
「 中仙道 」(1716年以後中山道と記すようになった) 追分宿の脇本陣 油屋に伝わったものだそうだよ
絵図の時代は 御影用水(みかげようすい)が 慶安3年(1650)に完成した30年後頃で
この古図には その用水や 中仙道、北国街道(善光寺道)当時の周辺の村々も描かれている
その中仙道から 地図でいう南側(絵図の下の方)に「 つくろう橋 」とある
最初に目にした時 その女性は
「ちょっと変わった名前の橋だけれど命名の由来は何かしら・・?」くらいに思ったそうだよ
それまでに聞いた事が無い その橋の名前が気になって、心当たりの軽井沢に詳しい人や
歴史について書かれたものを読んだり 橋や用水を管理しているお役所にも聞いてみたけれど
そんな橋の名前に心当たりはないと言われたそうで 何年もそこから先には進まなくて
いつかのように ボクにも話を聞かせてくれて、ボクが みなさんにここで聞いたくらいなんだ
ところがある時、古い小字が書かれている その辺りの手書きの古図を目にする機会があって
その中に 「 津くろふ島 」と「 つくろふ島東 」って書いてあるのを見つけたそうなんだ
そこで 橋の名前が描かれている辺りの 昔の様子を知っていそうな人を訪ね歩き だんだん
用水の管理組合の役員さんの何人かや 地域の昔の様子に詳しい地元の人に
お話を聞くことが出来るようになり、とうとうその中のひとりから
そりゃぁ ここの事だよ と 指差してもらったそうなんだ
判ってみると なるほど、絵図に付随して書かれた文言には その橋の場所を指すヒントがあって
この 橋を目にして 辿り着いて 感慨無量だったそうだ
かつては大事な村境のランドマークでもあった橋
まあ 340年も経ったんだから 判らなくなっても仕方ないのか・・
車社会になるまでは 丸太ん棒を組み合わせた様な「 土橋 」と称される橋だったようで
橋の欄干や 橋の名前が記されていたりはしなかったんだそうだ
別荘地、避暑地として開発がすすめられたかつての軽井沢は 今の姿になる過程で
ここからあそこの山の麓までっ・・てな風の「 大人買い 」?があった場所や時期もあって
その範囲に それまであった石仏だろうが墓地だろうが池だろうが 想い出だろうが
そっくり姿を変えた場所も少なくない
ゴルフ場や別荘地・・ 鉄道や道路・・
今の光景の前に そんなものがあった場所もあちこちあるそうだよ
他の地域でも よくある話なんだろうか?
歴史や昔話につながると 表示したり保存しようとしたり・・といった事が
その前後で別の問題につながる懸念を持つ人も少なくないんだろう
世間でいう 大人の事情・・ってやつかしらね
この女性は やがて 失われてしまうとしても ここだと判ってなんだかホッとしたと言いながら
熱いお茶を入れ直してくれた
ボクは いいお話だったし
その橋の場所は判ったから 足元がぬからなくなったら行ってみようと思っているんだ
みなさんにも こんな 追いかけているロマン ありますか?