タイ・バンコクの庶民の生活に迫る!

~タイの庶民の生活とは? 一歩でも近づくために~

2011.11.18-19 コーンケンの田舎物語

2012年03月31日 | わが家族のこと
洪水の避難生活が続いていた11月には毎週土・日コーンケンの実家で避難生活をしていた家族に会いに行っていた。今から考えれば楽しいトリップだった。
金曜日し仕事は終わったら真っ先にモーチットに行って、ブッサラカムツアー社のバスに予約を入れておいたチケットを取りにいく。
横3列計42シートの車両はそこそこ快適で好きだった。
朝3:30くらいに実家につく。
11月18日はちょうど稲の収穫の時期だったのでそれを手伝うことに。

この頃は風邪も涼しくてあまり重労働には感じないが、皆朝8時くらいから午後5時くらいまでやり続ける。これは重労働だ。
休憩は田んぼの端に建てた東屋で。

リョウちゃんには前日河合先生に買ってもらったドーナッツのお土産があり、両手に持ってほおばっていた。

あまりほおばるものだからお母さんに口から無理やり出されていた。
近くのお寺の住職さんがやってきて、ぜひリョウちゃんを抱っこして写真を撮りたいというので。
リョウちゃんは戸惑い気味。

仕事が済んだらモーサーサイに乗ってみんなで帰る

家に帰ったらハンモッグで横になり、

夕方ちょうど年一回の村の出店が出ていたので街に行って見る。

夕食はみんなで。リョウちゃんは人気者

すっかりイーサーン料理にはまってしまって、両手にもち米を取り次から次に口に入れていた。
幼虫もお母さんから与えてもらい食べられるようになった。

コーンケンのバスターミナルのカフェで一服。18:00のバス(NCR)で帰ります。みんなありがとう。また来ます。
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2012.03.29 子供の予防接種

2012年03月30日 | わが家族のこと
子供を予防接種のため保健所に連れて行く。今回13ヶ月目の摂取は脳炎の予防のためである。
脳炎といえば、RTマンションに住んでいた頃、日本人と2人で、Gemki&Sabai Travelの経営者だったサラウット君を思い出す。サラウット君はタイ東北部の貧しい農家の出身だったが、がんばってチュラーローンコーン大学を出た。いつも半ズボン、Tシャツと言ういでたちで気取りが無い青年だった。私が知り合った頃おそらく彼は25,6歳だったのだろうか。いつも日本に帰るときは彼からチケットを買っていた。一緒に旅行社を経営していたN氏は彼を引き取り養子としたと聞く。
その後日本に帰国した私は彼と連絡がなかったが、2002年頃N氏から田舎に帰省中に亡くなったと聞いた。医者からは「脳炎」だとしか聞かされなかったと言っていた。
昨日護憲所の医者からタイで脳炎は蚊を媒介とするものと聞いた。

まず、職場から517のバスに乗れたところまでは良かったが、降りたバス停はひとつ後ろだったため、立体交差に乗る185のバスにうまく乗り継げなかったためにこの後はタクシーに乗り継ぐ、子供がむずがりだしたため、タクシーの中で御飯を食べさせることに。

保健所に着いた。今日は30番の札をもらう。
家内の話だと今日は自分たくさんの子供が着ているようだ。3歳児の検診、1.5歳児の検診、1歳児の接種と3件こなしているようだった。
医者の問診を受ける際もとにかくたくさんの子供子供、ある意味パワーをもらえて幸せな職場かもしれない(私の務めのような学校もそうだ)問診の際、耳が痒いようなので、診てもらいたいと告げる。  子供は自由に遊べるおもちゃがたくさん合って、ご機嫌。
12.30に行って診断(発達具合を問診によって先生に診てもらう)歯科検診、医者に耳が痒がる原因を診てもらって、ようやく15.50に接種にたどり着いた。
帰りは203のバスをうまく捕まえたのだが夕方の渋滞にはまって職場に戻れたのは19.30になっていた。
国際交流部の部屋はまだこうこうと灯りがついていて、KさんとS部長が仕事をしていた。
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2012.03.28  20年前の教え子に遭遇

2012年03月29日 | 今日の出来事
先月アパートを探していた時のことだった。
分譲マンションのOfficeを訪ねて賃貸物件の話を聞いていたら、「先生」と言われて振り返ると90年代前半確かSSTで教えていたダオさんがご主人と現れた。

確かなくなった坂根先生の結婚式以来だから、坂根さんの息子さんが大学に入っていることを考えると、やはり20年ぶりということになる。

彼女たちの子供ももう9歳と8歳とか、、。

今日(28日)メールを送ってみたら、さっそく電話がかかってきて、彼らのOfficeに寄ってくださいとのこと。家内も連れて行った。お
母さんどうしで暫く家内とも話が弾んだ。今はご夫婦で合金のはんだの販売をしている。この洪水で顧客の生産ラインがストップしてしまい、在庫を抱えて頭が痛そうだ、仮に生産が再開されてもすでにはんだを使わないタイプの基盤に切り替えた顧客もあり、「洪水さえなければ業績はうなぎのぼり」だったそうで、気の毒である。
そういわれてみると洪水がなければ昔の教え子ダオさんには会えなかっただろうことを考えるとこの洪水は本当にたくさんの人の人生に影(時には日向?)を落としている。
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気分転換

2012年03月28日 | 今日の出来事
サーイマイ区(バンコク北のはずれ、パトゥムタニー県との県境)の借家から大学へ徒歩5分のアパートに越してから通勤時間はぐっと短縮されそれはそれで時間ができいいことなのだが、気分転換というかメリハリがなくなったような気がする。
18.00に家に帰れるのはうれしいけど、昨日も家内が買い物に行ってしまった15分だが子供と二人だとどうにも間が持たない。このくらいの時間なら何とかなるのだが、、。
 夕方早く帰った日はプールで泳ぐ。これは気分転換になる。もう暗くなった夕暮れ誰もいない(昨日は小学生の女の子が2名静かに遊んでいたが)殺風景なプールで泳ぐのも悪くない。
この値段でプールつきのアパート(実際には分譲コンドーミニュアム)はあまり無いとおもう。
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2年ぶりPATAでくつろぐ

2012年03月26日 | 今日の出来事

PinklaoのPATA Departmentの喫茶室に2年半ぶりに行く。喫茶室のおばさんは私のことをよく覚えてくれていて、結婚して子供までいると聞いてびっくりしていた。30分だけいて、(現役の時は2Hはいた)友人宅に。今日は久々にトンブリーの友人を訪ねるためにトンブリーに来た。
いろいろ事情があってこの半年、音信普通だった。このソーイも変わらない (Jaransanitwong 65)残念ながら以前世話になった友人のお宅と今住んでいるところは似ているがちょっと違う。事情があり、一軒隣のタウンハウスに住んでいる。せっかく自分の家があるのに住めないというのはつらいものがあると思う。
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2012.03.22 ABK設立44周年タイ同窓会

2012年03月26日 | 今日の出来事

Army's Clubが会場WiphawadeeRoadにあって、場所は分かりやすいが運転手さんは知らなかった。
 記念撮影、左はデンソーのターヴァーンさん。
 新星学寮で同室だったFさんと元留学生
 TNI学生によるよさこい踊り披露
 ABKの歴史パネル
 Yさんとブンザック元TPA理事

 現在の同窓会長ピムピライさん

 みんなそろって鏡割り(どうやって樽を入手したのだろうか?)
TNI学生よさこい2ステージの間がたまたま空いていたため友人の誕生パーティー
ABKの小木曽理事長。本当にお疲れ様です、学校法人取得でも最前線で指揮を。
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2012.03.07-09 引越しです!

2012年03月09日 | わが家族のこと
本来は3月10日にしようと思っていた引越し、友人の進めと家内の弟の都合で7日に急遽することになった。前日トラック屋さんに電話すると休日でも引き受けるとのこと。
(3/7はマカブチャーDay)9.00AMにトラックに来てもらって、およそ1H少しで積み終わり。家内の弟が来てくれて本当に助かった。
トラックはなぜかずいぶん遠回りなリングロードを使って新居のTタワーに。

マンションの入り口にトラックがつけられるところはあるが、とても狭いので6輪車は無理だった、大型4輪(日本で言う4t車)にしてよかった。
お願いしたのはS-N TransService社  http://sn-transervice.com/ 
大きなものだけこの日に運び入れてほっとする。小さいもの、家財道具(皿、化粧品、日用品)はまだもとの借家 (Pahonyothins Soi 54/4)に。
この後弟のピックアップ、エアコン屋の車が後に続く。
一番問題なのが幼児。ここに入ってしばらくおとなしくしてもらうことに。

みんな手伝ってくれたおかげで何とか夕方までに終了。私達も一度借家に帰ることにする、
まだ金曜日に家内の歯科治療があるので借家で暮らすことに。

9日金曜日残りの荷物をLamyongとご主人に運んでもらって一応引っ越し完了。先ほど残りの前家賃の保証金(2ヶ月)を支払って、今日からここで暮らすことに、、。
とにかく職場からは近くなった、歩いて5分。
警備員のおじさんからはタイでも珍しい合掌バナナをもらった。

とても疲れた3日間だった。

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2012.03.04歯科医へお供

2012年03月04日 | わが家族のこと
家内が歯科医に行くというので、その間一人でリョウの面倒を見ている自信もないので、一緒に行くことに、近所のお手伝いさんをしているラムヨーンと一緒に行くことに。
ラムヨーンは関心な女性で、いくつもの家のお手伝いさんをこなして、マッサージ師の資格も取り、いくつもの家から出張マッサージを頼まれるくらいである。じっとしていられない性格のようで、一日にいくつもの仕事をこなしている。歯医者に行ってしばらく順番待ちで井戸端会議(ちょっと邪魔である)

この通りはタイの人にはSoi39と呼ばれている。普通の話だと思うかもしれないが、本当の名はPahonyothin Soi 62である。この辺りは洪水が最もひどい地域で一番ひどいときは肩まであった。
帰りにMilk Shopに寄った。店内はずいぶん可愛く飾ってある。コーヒー、ホットミルク、とーすと2枚で80B。
バスでサパーンマイに。

野菜と老眼鏡を買って帰宅。


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2012.03.03 同僚の結婚式参加

2012年03月04日 | 今日の出来事
11:00頃家を出て、招待状を手掛かりに購買部の同僚Mr.Aの結婚式に急ぐ。
このMR.Aは気のいい奴で、洪水で避難生活(大学が借りたアパートでの仮住まい)で犬をアパートに置いておけないという問題に関して真剣に考えてくれて、大学の警備員小屋で飼ってくれた。
場所はWiphawasee-Rangsit通りで、Wat-Samiannareeの近くと地図をもらったが、これがなかなかわからなかった。
最後にはTAXIと一緒に探してようやくわかったのだが、バスを降りて渡ってすぐのところだった。
「こんなところにないだろう」という先入観がよくなかった。
(得てしてこういうケースはよくある)

私が少し遅く行ったのがよくなかったのだが、もう座るところが無いくらい来賓でいっぱいであった。新婦は現在某銀行の秘書課の職員だが、勤務先の大学に数か月勤めていたことがあって、私を知っていた。経営学部長の秘書だったらしいが、まったく思い出せない(経営学部長秘書とはいつの時代でも結構一緒に仕事をしていたはずだが、、)。

帰りは広報部の同僚のご主人の車で帰る。これはラッキーだった。
Lam-Lukhaaの交差点で下してもらい、水(6L)を買って家に帰る。
私はVIP席でごちそうを食べていたわけだが、家ではパッタイで済ませていたようで、こういうのは家族を持つと、何とも申し訳ないような、自分だけで食べていて、もったいないような気がする。(無理にタッパーを持って行って、残りをもらってくれば良かった:反省)
メイン・エベントはケーキカットならず、タイの伝統的お貸しの切り分けである。タイスタイルにこだわった結婚式は参加者から好評だった。
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2012.03.04 同僚の結婚式参加

2012年03月04日 | 今日の出来事
11:00頃家を出て、招待状を手掛かりに購買部の同僚の結婚式に急ぐ。
このMs.Aは気のいい奴で、洪水で避難生活(大学が借りたアパートでの仮住まい)で犬をアパートに置いておけないという問題に関して真剣に考えてくれて、大学の警備員小屋で飼ってくれた。
場所はWiphawadeeーRangsit通りで、Wat-Samiannareeの近くと地図をもらったが、これがなかなかわからなかった。
最後にはTAXIと一緒に探してようやくわかったのだが、バスを降りて渡ってすぐのところだった。
「こんなところにないだろう」という先入観がよくなかった。
(得てしてこういうケースはよくある)

私が少し遅く行ったのがよくなかったのだが、もう座るところが無いくらい来賓でいっぱいであった。新婦は現在某銀行の秘書課の職員だが、勤務先の大学に数か月勤めていたことがあって、私を知っていた。経営学部長の秘書だったらしいが、まったく思い出せない(経営学部長秘書とはいつの時代でも結構一緒に仕事をしていたはずだが、、)。

帰りは広報部の同僚のご主人の車で帰る。これはラッキーだった。
Lam-Lukhaaの交差点で下してもらい、水(6L)を買って家に帰る。
私はVIP席でごちそうを食べていたわけだが、家ではパッタイで済ませていたようで、こういうのは家族を持つと、何とも申し訳ないような、自分だけで食べていて、もったいないような気がする。(無理にタッパーを持って行って、残りをもらってくれば良かった:反省)
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