タイ・バンコクの庶民の生活に迫る!

~タイの庶民の生活とは? 一歩でも近づくために~

タイのエスカレーターは、

2005年04月30日 | 今日の出来事
また昨日ラヨーンで食べたものが良くなかったらしく、腹痛と下痢。そういえば「私はお腹は強いんです」と言っていた日本の技術者の方も、空港に行く前、お腹がゆるかった。
どちらかと言うと万年下痢男の私は昨日はなんでもなかったので、油断していた。
BTSのパヤタイのエスカレータ、ずいぶんスピードがゆっくりだと思ったら、乗ると普通の速度になる。これでいいのだ。泊まっていると、動き出すときタイミングを損なうこともあるが、ゆっくり周っていてくれたほうが乗りやすい。
午前中、日本の友人に郵便を発送。いつも楽しみにしている友人がいるのは、送るほうも楽しみだ。
その他、プーケットのよさを知っていただくため、もう一人ま方にも同じものを送る。
午後はバイヤーのN氏とお会いして、仕入れた商品を見せていただく。婦人服はタイで女の子がよく着ているようなもので、こんなのを日本の女性が着るのかと思うのだが、「日本に売っていない」と言うのが味噌のようだ。鞄と靴は私にも何となくわかる。竹で編んだ篭風のバッグ。変わっているとは思うが、、、。
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最終処分場

2005年04月29日 | 今日の出来事
本日、日本からの技術者と、日本の廃棄物最終処分場に敷く樹脂製のシートの製造過程を見学。
7mのロールを巻いて、コンテナに詰めている。
なぜかCPの工業団地にあって、どうして食品メーカーの工業団とでこんなことをしているか、と思ったら、そもそもインドネシアのエビの養殖に使うためにいけすに貼る予定で製造していたそうだ。
現在は米系の企業がTake Overをしている。
お昼は以前は観光客が来たであろう、ラヨーンの浜辺で頂くが、今は海に見えるのはタンカーばかりで、観光地としてはすっかり寂れてしまった。ここのリゾート兼住宅はたった、5,000US$で長期契約が出来るらしい。
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コーヒーはモーチット

2005年04月28日 | バンコクバス物語
昨日の夜は、早く寝たので、早く目が覚めると思ったが、意外とそうでもなかった。
あさ、BonCafeのコーヒー豆を日本から持ってきたカリタのドリップで入れるが、本当はメリタの方がいいのだ。穴が一つなので豆が無駄にならない。
そういえば先日モーチットを利用したとき、なかなかいい感じの牛乳+トーストの店があった。
ここで食事をしていたボーコーソー(国営trasport社)の職員。多分かなり高級管理職。そりゃそうだろう。70-80バーツの朝食セットを頼めるには20,000バーツの給与がないと無理だ。
国営トランスポート社は万年赤字でボーナスも無いはず。
私は10Bのトーストと15Bのコーヒーで朝寝ぼけた頭が元に戻るまで(結局ボーっとしているが)時間を潰す。
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私たちっていつ死ぬか分からない。

2005年04月27日 | 今日の出来事
それにしても尼崎の列車脱線事故はひどい。平和学会で当時あまり聞かない「人間の安全保障」と言うのを習ったが、これでは戦争している国と生命の安全保障の度合いがあまり変わらない。
勤め人もおちおち電車に乗っていられない状況だ。
 タイにいる私達は道路を渡るとき轢かれても5万バーツで納得するしかないと覚悟させられているが、、。
 それにしても問題だと思ったのは、人材育成の手法と評価。このJR西日本というのは、どういう感覚で3度も警告をほとんど無視しているような運転手に何百人もの命を預けていたのだろうか、センスを疑いたくなる。
質の高いサービスにアクセスできて、その代償も払っているのに、ほとんど担保されていないということがばればれになってしまった一件である。
今日は朝は目覚めは悪くなかったが、三時頃に既にバッテリー切れ。早めに帰っておかゆの夕食を食べたら元気が出た。そうだ、今日は昼ごはんを食べていなかった。それが原因かい?

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バイヨクタワーで火事

2005年04月26日 | 今日の出来事
先ほど日本からメールで、バイヨクタワーで火事があったということ。急いでホテルの最上階に上がって確認(写真)見た目には煙も何も立っていない。
新聞の情報では、火事があったのはバイヨグ1の方で配電盤の設備から出火した模様。
当局は以前も同様な小火騒ぎを起こしたこともある、このバイヨグ1を
検査が終わって安全確認できるまで、使用停止にする予定。

新聞には同時に5月2日から都バスの一斉値上げについて書かれていた。
赤とクリームのバスが、一律5バーツに。エアコンが青・白が初乗り8Kmが9バーツに、以降4Kmごとに2バーツ。上限17バーツ。オレンジACバスが初乗り4Kmが10バーツ、以後4Kmごとに2バーツ。上限21バーツ。
緑のMini Busが一律4.5バーツ、ただしお釣の50サタン硬貨がないなどと言って、不当に運賃を徴収する業者には営業停止などの厳しい措置を取る。
クリーム・青の民間参入N,ACバスは6バーツ。ソンテウ型乗り合いトラックも1バーツずつ値上げされる。施行は5月2日から。
クーポーンを既に持っている人は払うときに1バーツ追加すること。
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急いで、チェンラーイ、メーサーイ、パヤオ

2005年04月25日 | 今日の出来事
23,24,25日とバンコクから、メーサーイ、チエンラーイ、と0泊3日の旅行。
時間が無いときほど、なぜか遠くへ行きたい。
23日18:45バンコクモーチットバスステーションから、メーサーイ行きのバスに乗る。SOMBAT TOUR社の会員割引で423B。12時間後の24日朝6時、タイとミヤンマーの国境の町、タイ最北端メーサーイ到着。だいぶこの時期でもバンコクよりも涼しい。
国境を冷やかして、10:00発のチエンラーイ(CR)行きのバスに乗る(写真:35B)。
本来このバスはナコン・ラチャシマ行きのバスだ。タイ北部から中部を抜けて、東北へ。陸路が好きな人ならぜひ貫通したい路線だ。
11:15にCR着、しかしもう今夜バンコク行きのバスのチケットは完売とのこと。
そりゃそうだろうなぁ、タイの人だったらいくらなんでもそんなに行き当たりばったりでBKKに出ることないもの。 というわけで、しばらく路線を悩んでいたら、他の出張所でキャンセルが出たとのこと。一番前の席で多少窮屈だが、この際贅沢を言っていられない。
明日25日(この日記を書いている日)にはお客様があるのだ。
6:30まで、ネットでMailを見たり、喫茶店で時間をつぶす。
88年に初めてCRに来たことを考えるとそう変容したわけではないが、感慨無料だ。いや無量だ。
それにしても待ちは”Ngiyap(ン)ギアップ"(静か)過ぎる。大きなホテルは郊外にあるからだろうか。街を観光している西洋人などまったく居ない。ホテルで酒を飲んでいるタイ人が2人、西洋人を乗せた観光バスが1台着いただけだ。ほとんどお年寄り団体で、この人たちは街で何をするのだろう。 そうこうしているうち6時半になったので、バスターミナルに行くと、果たしてバスは待っていた。
無事朝6時バンコク着、安全運転でありがとう。Diesseの値上げで来月からすべてバス料金上がります。
USBのケーブルを忘れてきたので、写真アップできません。



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体調管理

2005年04月23日 | 今日の出来事
今朝は体の節々が痛く、おまけにひどい下痢。何か悪いものでも食べたのだろうか。
こんなことで今夜夜行バスに11時間乗って、メーサーイまでいけるのでしょうか、
海外では体調管理が実に大切。何かあっても自分で自分の面倒を見ないといけない。
調子悪くても、最後に自力で病院に行ける程度にしておかないと、動けなくなってからでは、
余計な時間、出費となる。(バリで経験済み)
では、6:45発のバスでメーサーイ行って来ます。
写真はモーチットの様子。(バンコク北部行きバスステーション)
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コンドーミニュアム・プロジェクト再開へ

2005年04月22日 | 今日の出来事
昨日のはなし。
午前中、プロジェクトが休止状態になっているシーナカリンロードのコンドーミニュアムを再開させるべく、銀行の融資課の人にプロジェクトの可能性を見に来てもらった。
場所はスィーコン・スクエアーの向かいの一角にあり、大変いい。
97年の経済危機のために建設は中断に追い込まれている。何とか再開できればいいのだが。
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サカネさん、一周忌

2005年04月21日 | 今日の出来事
今日はD.D Book Shopの店主、坂根光夫さんの一周忌法要。
坂根さんは私の知っている限り、87年からタイにいらっしゃって、タイの経営者の下で貿易実務をやっていて、私のしりあった90年からはソーソートーで日本語教師をしていた。「愛の先生」として、タイ人学習者に人気があった。
その後、93年(?)からスクムビット(Sukumvit)のソーイSoi 33/1にD.D Book Shopを立ち上げて、それまで日本の価格の1.5-2倍だった日本の書籍を、本好きの人たちのために一気にリサイクル本屋を始めて下げた。(文庫本50B程度~)
在タイの日本人には「ひげの本屋のおじさん」として、結構有名人であった。
また、元彼の学生やタイの人たちにも慕われていた。

私は2003年の春だったか、検査のために日本の大阪の病院に入院していらっしゃるところに電話して坂根氏が「肺センがん」であることを聞いた。
その時は既に処置の方法が無かったという。

2004年03月26日坂根さんはこの世の人ではなくなったが、日本の実家の人話では、先日パジャマを着て歯を磨いていた坂根さんを見た!そうである。
坂根さん、またFuji Coffee shopでコーヒー一緒に飲みましょう。

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報告会

2005年04月20日 | 今日の出来事
昨日19日はスクムビット20にある、京都大学東南アジア研究(バンコク)センターで、東京大学(院)文化人類学研究室の市野澤氏とともに南部津波被害の影響を報告。私のは押しなべて避難民の様子など、当たり前の報告だったが、市野澤君の風評被害の報告は面白い視点だ。
経営人類学の視点だということで、今後の展開に注目したい。
写真はカオ・ラックの被害
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