16日Rama 9th Memorial Park で行いました。
学生たち(おそらく後輩)が作成した、写真撮影用のボード
S君とお母さん、彼は3年の時に日本にインターンシップに行ったとき、少し面倒を見た。
昨年の卒業生モーンルディーと私の家族。
NECのインターンシップに行ったCE科卒業生、結局日本のNECには就職しなかった。
T通商に就職したChさんとお友達
TNIの大学旗とリョウちゃん
日本からいらしたご来賓 品質管理の世界的権威N.K先生、TUAT名誉教授Y先生と副学長PP先生、Y原さん
学位授与の様子
工学部学生の記念写真
式典を支える中継スタッフ
学生の退場時、コーラスをしてくれた合唱部の学生
ちょうちんとリョウちゃん
大使がお話になるポロディウム(演台)で
学生たち(おそらく後輩)が作成した、写真撮影用のボード
S君とお母さん、彼は3年の時に日本にインターンシップに行ったとき、少し面倒を見た。
昨年の卒業生モーンルディーと私の家族。
NECのインターンシップに行ったCE科卒業生、結局日本のNECには就職しなかった。
T通商に就職したChさんとお友達
TNIの大学旗とリョウちゃん
日本からいらしたご来賓 品質管理の世界的権威N.K先生、TUAT名誉教授Y先生と副学長PP先生、Y原さん
学位授与の様子
工学部学生の記念写真
式典を支える中継スタッフ
学生の退場時、コーラスをしてくれた合唱部の学生
ちょうちんとリョウちゃん
大使がお話になるポロディウム(演台)で
水曜仙台からT工業大の学生さん、先生15名が自然災害をテーマに協働シンポジウムを行っている。
08日はアユッタヤーにおつれてして、AM中、工場見学のつもりだったが、土曜と言うことで打診したところ、工業団地事務所に伺うことにした。
日本のS物産からいらしているH氏が対応していただく。
昨年の洪水の経過と今後の対策をお聞きして、初めて聞く話があった。
実はTEAM GROUP (http://www.teamgroup.co.th/)というタイの会社がだいぶ詳しい測量をしていて、2000年代からほぼ現実の被害とかららないシュミレーションを行っていて、それをタイ政府に逐次報告していたという。
また、インターネットでも情報を提供しいていたといい、タイ政府は工業団地に浸水し、それがどのような被害をもたらすか正確に把握していたようだ。にもかかわらず実際にWarningがタイ政府から発令されたのは香水の2日前(2011.10.08?)のようで、これはかなり「不作為」が招いた人災である。
今年のためにすでに5mを越える防御壁(防水提)をほぼ完成させているらしい。
その後アユッタヤーの遺跡を見学し、終了。
学生との共催シンポジウムも好評で、本番に強いタイ学生の面目躍如であった、まさに。
08日はアユッタヤーにおつれてして、AM中、工場見学のつもりだったが、土曜と言うことで打診したところ、工業団地事務所に伺うことにした。
日本のS物産からいらしているH氏が対応していただく。
昨年の洪水の経過と今後の対策をお聞きして、初めて聞く話があった。
実はTEAM GROUP (http://www.teamgroup.co.th/)というタイの会社がだいぶ詳しい測量をしていて、2000年代からほぼ現実の被害とかららないシュミレーションを行っていて、それをタイ政府に逐次報告していたという。
また、インターネットでも情報を提供しいていたといい、タイ政府は工業団地に浸水し、それがどのような被害をもたらすか正確に把握していたようだ。にもかかわらず実際にWarningがタイ政府から発令されたのは香水の2日前(2011.10.08?)のようで、これはかなり「不作為」が招いた人災である。
今年のためにすでに5mを越える防御壁(防水提)をほぼ完成させているらしい。
その後アユッタヤーの遺跡を見学し、終了。
学生との共催シンポジウムも好評で、本番に強いタイ学生の面目躍如であった、まさに。
10.00-広報部の会議。午後M電気社にインターンシップに行っているS工大のT君からお腹の調子が悪いので病院に行きたいと連絡あり。大事ではないようなのでそのまま業務を続けてもらって16:00に退社して病院にいくよう指導。私達も18:30頃大学を出てB病院に向かう、ちょうど点滴を終えて、会計にいたT君に会い、病状を聞くと疲れかストレスからの下痢らしい。(よくあること)T君を寮に送って帰宅。
まじめで誠実なT君なので、1ヶ月のタイ滞在でそろそろ来ると思っていた。
まじめで誠実なT君なので、1ヶ月のタイ滞在でそろそろ来ると思っていた。
今回家に帰っていくつか気づいたこと。
子供が多少成長している。何が変わったということもないのだがなんとなくそう感じる。
特にこの写真。正面からフラッシュが焚かれているからかもしれないが、妙に普段知っている子供より大人っぽく感じる。それで、家内の兄弟に感じが似てきている。
オートバイのイグニッションキーをいじってスイッチを入れて、警笛を鳴らすことができるようになった。
特に乗り物は好きなようである。これは私似。
また、長女のこと。
父兄会に家内が参加してよかった。最近リョウちゃんのことばかりになっているから長女にさらに関心が行くようになってよかったと思う。
担任の先生に会えたこともよかった。
一番問題なのは私自身である。田舎では(都会でもそうだが、、)まったく何の役に立たない人である。田んぼの草むしりでももっと手伝うべきである。
長女もお母さんの手伝いで洗髪をしてくれている。<ただしこの写真は彼女から見たら叔父さんへ洗髪のサービス。a href="http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/61/8f/c481eb25d7c085112068d308b8755305.jpg">
さて、2日、バンコクに帰る。良一が寝てしまった隙に家を出る。早いバスに乗れると思ったのだが、今日はなぜかすべて満席。こういう時は何かあるのかもしれない。考えてみれば30日から車運があまり良くない。(と言ってもすごく悪くはない)
おかげでいつもバスの出発まで時間をつぶすためにきている、このCoffee Shopで2時間半も時間をかけてこのようにBLOGを更新することができた。
ナコンチャイエアーの出発は16:30.無事に搭乗
子供が多少成長している。何が変わったということもないのだがなんとなくそう感じる。
特にこの写真。正面からフラッシュが焚かれているからかもしれないが、妙に普段知っている子供より大人っぽく感じる。それで、家内の兄弟に感じが似てきている。
オートバイのイグニッションキーをいじってスイッチを入れて、警笛を鳴らすことができるようになった。
特に乗り物は好きなようである。これは私似。
また、長女のこと。
父兄会に家内が参加してよかった。最近リョウちゃんのことばかりになっているから長女にさらに関心が行くようになってよかったと思う。
担任の先生に会えたこともよかった。
一番問題なのは私自身である。田舎では(都会でもそうだが、、)まったく何の役に立たない人である。田んぼの草むしりでももっと手伝うべきである。
長女もお母さんの手伝いで洗髪をしてくれている。<ただしこの写真は彼女から見たら叔父さんへ洗髪のサービス。a href="http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/61/8f/c481eb25d7c085112068d308b8755305.jpg">
さて、2日、バンコクに帰る。良一が寝てしまった隙に家を出る。早いバスに乗れると思ったのだが、今日はなぜかすべて満席。こういう時は何かあるのかもしれない。考えてみれば30日から車運があまり良くない。(と言ってもすごく悪くはない)
おかげでいつもバスの出発まで時間をつぶすためにきている、このCoffee Shopで2時間半も時間をかけてこのようにBLOGを更新することができた。
ナコンチャイエアーの出発は16:30.無事に搭乗
31日、ここに来た大きな目的と結果としてなった、長女の父兄会に参加する。
朝、家内のやっている美容院に来たお客さんがたまたま同じ学校に通っている娘がいて、一緒に車に乗っけてもらった。これは運が良かった
両方のお母さんはのんびりしていて、子供は気が気ではない。しっかり8:00始まりというプリントをもらってきた、今日の父兄会。出発したのはすでに8:30を回っていた。
(学校に勤めている私はRegistration 8:00となっているプリントを見て、これは実際8:30始まりということがすぐわかったので比較的、落ち着いていた。)
長女の通うPhu Wiang Witthayakhomは学生規模2,500名の学校で、相当大きい規模である。
おそらくコーンケン県の中でも主導的役割を果たしている「重点学校」だと思う。
司会をした先生は2523年からここで教えているらしい。
いかにも指導力があるそうな先生だった。
父兄会はここ1年開かれていないらしかった。というのは校長(タイではDirectorと言っている)は入院中らしく、このところスタッフを入れ替えているらしい。たくさんの父兄が来ていて盛況だった。
(このようにまず、出席者の記帳からタイの会議は始まる)。
リョウちゃんは全く何の用もないが、連れてこなければ仕方ないので、一緒にいる。
大きいところにたくさん人がいるのでリョウちゃんはご機嫌である。
各学年の指導の先生が紹介される。長女の中学3年は7クラスまであるようだ。長女は3/4である。3年の父兄会長にだれか立候補しないかという主任の先生の勧めに家内が手を挙げそうになったのでびっくりした。そういうところもあったのだ。
全体集会の後は各クラスに分かれての父兄面談。すでに教室で先生が待っている。
父兄は普段自分の子供が座っている教室の机に座った。
私と家内は前の方に陣取り、担任であるサンウィアン先生のお話を聞く。
私が見たところ(誰が見てもそう思うだろうが)サンウィアン先生はかなりのベテラン教師である。
先ほど詳細された先生は英語を教えている西洋人以外はすべて女性だったが、担任は珍しく男性ベテラン教師だった。
すべて終わったのは11:30割と要領よく手早く終了。
このように父兄を積極的にコミュニュケーションを取ろうとしておるのはいい学校である。実は学校が一番したくないのは父兄との面談である。(スポンサーであると同時に、一番要求が厳しいのも当然父兄である)、日本でも金沢工業大学(いつも全国の学長が注目している大学No1に選ばれる)などは全国各地で父兄会をしている。
帰りに待ちの市場で昼食を買ってバスで戻ろうとしたが、この時間(12:30~15:00ころまで)は一番バスが少ない時間帯である。家に着いたのは14:00だった。
こういうときも機を逃してはいけない。送ってくれたおばさんの車にさっさと乗って帰るべきだった。食べるものなんかどこで買っても同じでである。
朝、家内のやっている美容院に来たお客さんがたまたま同じ学校に通っている娘がいて、一緒に車に乗っけてもらった。これは運が良かった
両方のお母さんはのんびりしていて、子供は気が気ではない。しっかり8:00始まりというプリントをもらってきた、今日の父兄会。出発したのはすでに8:30を回っていた。
(学校に勤めている私はRegistration 8:00となっているプリントを見て、これは実際8:30始まりということがすぐわかったので比較的、落ち着いていた。)
長女の通うPhu Wiang Witthayakhomは学生規模2,500名の学校で、相当大きい規模である。
おそらくコーンケン県の中でも主導的役割を果たしている「重点学校」だと思う。
司会をした先生は2523年からここで教えているらしい。
いかにも指導力があるそうな先生だった。
父兄会はここ1年開かれていないらしかった。というのは校長(タイではDirectorと言っている)は入院中らしく、このところスタッフを入れ替えているらしい。たくさんの父兄が来ていて盛況だった。
(このようにまず、出席者の記帳からタイの会議は始まる)。
リョウちゃんは全く何の用もないが、連れてこなければ仕方ないので、一緒にいる。
大きいところにたくさん人がいるのでリョウちゃんはご機嫌である。
各学年の指導の先生が紹介される。長女の中学3年は7クラスまであるようだ。長女は3/4である。3年の父兄会長にだれか立候補しないかという主任の先生の勧めに家内が手を挙げそうになったのでびっくりした。そういうところもあったのだ。
全体集会の後は各クラスに分かれての父兄面談。すでに教室で先生が待っている。
父兄は普段自分の子供が座っている教室の机に座った。
私と家内は前の方に陣取り、担任であるサンウィアン先生のお話を聞く。
私が見たところ(誰が見てもそう思うだろうが)サンウィアン先生はかなりのベテラン教師である。
先ほど詳細された先生は英語を教えている西洋人以外はすべて女性だったが、担任は珍しく男性ベテラン教師だった。
すべて終わったのは11:30割と要領よく手早く終了。
このように父兄を積極的にコミュニュケーションを取ろうとしておるのはいい学校である。実は学校が一番したくないのは父兄との面談である。(スポンサーであると同時に、一番要求が厳しいのも当然父兄である)、日本でも金沢工業大学(いつも全国の学長が注目している大学No1に選ばれる)などは全国各地で父兄会をしている。
帰りに待ちの市場で昼食を買ってバスで戻ろうとしたが、この時間(12:30~15:00ころまで)は一番バスが少ない時間帯である。家に着いたのは14:00だった。
こういうときも機を逃してはいけない。送ってくれたおばさんの車にさっさと乗って帰るべきだった。食べるものなんかどこで買っても同じでである。
30日午後7時、アパートでちょっとゆっくりして(これがいけなかったが、、)モーチット(Northern Bus Station)に急ぐ。
あいにく雨が降っていて、いくら待っても目的の35-1のバスは来そうにもない、先ほど来た、517に乗っておくべきだった。仕方がないので、タクシーで行こうか迷う。
(いつもの路線とは違って、先ほど来た517番バスはMCOTまでしか行かない臨時増発だったので、ためらってしまった)
後悔してみたところで始まらないのでタクシーで行くことに腹を決める。自分だけで使うのは何カ月ぶりだろう。
どんな時でもそうだが、節約しようと思ったら時間に相当の余裕を見ておくことが肝要である。停めたタクシーの運転手さんはいい人だった。拘束を使わないと間に合わないとのことで、私もそれは合点がいったので、Pattanakarnの料金所から乗ることにする。というのは依然書記のBanchaと一緒にモーチットに行った際、この料金所を使って一回のみ高速を使って行ったような気がしたからだ。運転士はPhetburiの料金所から乗ろうとしたが、私の方からお願いしてこの料金所から乗った。運転手は自信が無かったので、料金所職員に聞いたところ、Deandeang→JeanWattanaの順に行くと良いと言うので、その通りに行ってもらったら、三回も料金所を通って、40+25+45Bで、110Bも高速料金を払わされる羽目になった。
一番初めの料金所でもらったおつりが足らない?。次の料金所でどうしたら良いのか聞いた。この結果は時期に詳しく書きたいと思う。
さて、こういうことはよく勉強しておく必要がある、それでなくても普段学長のお供で高速をよく使う機会があって、勉強しようと思えばいくらでもできるはずであり、それを怠っている自分が悪いと実感した。大体すべての物事は普段の勉強がものをいう、そういうものである。
さて、運転手さんはいい人だったので、時間通りに着く。お蔭で考えていたより早い21:00のノンブアランプー行きのバスに乗れた。
ノーンナカムで降りて、382THBである。(2階車両、2F席36座席、1F席114? 座席)
もし可能ならチケットメジャーで余分にお金を払ってでも1Cか、1Dの座席を確保するとよい。
31日朝5:30ノンナーカムに着く、家の前で降ろしてくれる。これは便利。
途中12:30頃シー・キウというナコ-ンラチャシマーのはずれで夜食休憩がある。
(つづく)
あいにく雨が降っていて、いくら待っても目的の35-1のバスは来そうにもない、先ほど来た、517に乗っておくべきだった。仕方がないので、タクシーで行こうか迷う。
(いつもの路線とは違って、先ほど来た517番バスはMCOTまでしか行かない臨時増発だったので、ためらってしまった)
後悔してみたところで始まらないのでタクシーで行くことに腹を決める。自分だけで使うのは何カ月ぶりだろう。
どんな時でもそうだが、節約しようと思ったら時間に相当の余裕を見ておくことが肝要である。停めたタクシーの運転手さんはいい人だった。拘束を使わないと間に合わないとのことで、私もそれは合点がいったので、Pattanakarnの料金所から乗ることにする。というのは依然書記のBanchaと一緒にモーチットに行った際、この料金所を使って一回のみ高速を使って行ったような気がしたからだ。運転士はPhetburiの料金所から乗ろうとしたが、私の方からお願いしてこの料金所から乗った。運転手は自信が無かったので、料金所職員に聞いたところ、Deandeang→JeanWattanaの順に行くと良いと言うので、その通りに行ってもらったら、三回も料金所を通って、40+25+45Bで、110Bも高速料金を払わされる羽目になった。
一番初めの料金所でもらったおつりが足らない?。次の料金所でどうしたら良いのか聞いた。この結果は時期に詳しく書きたいと思う。
さて、こういうことはよく勉強しておく必要がある、それでなくても普段学長のお供で高速をよく使う機会があって、勉強しようと思えばいくらでもできるはずであり、それを怠っている自分が悪いと実感した。大体すべての物事は普段の勉強がものをいう、そういうものである。
さて、運転手さんはいい人だったので、時間通りに着く。お蔭で考えていたより早い21:00のノンブアランプー行きのバスに乗れた。
ノーンナカムで降りて、382THBである。(2階車両、2F席36座席、1F席114? 座席)
もし可能ならチケットメジャーで余分にお金を払ってでも1Cか、1Dの座席を確保するとよい。
31日朝5:30ノンナーカムに着く、家の前で降ろしてくれる。これは便利。
途中12:30頃シー・キウというナコ-ンラチャシマーのはずれで夜食休憩がある。
(つづく)
コーンケンのバスステーションでコーンケン→ビエンチャン行きのバスを発見。
カウンターに行くと、07:45と15:15発だということも分かった。
料金は180B。
車内を除くとラオスの車両が来ているらしく、左ハンドルだった。エンブレムはHINOの物だった。
(・・・・と思って後でこの写真を良く見たら、これは「日野」ではなく、“HYNDAI”だった。)
車両の前で話している人はおそらくラオスからいらした運転士さんのようだった。よほど東北タイ語で話しかけてみようと思ったが、まだできない自分に気が付き、大変惜しいことをしたと思った。
カウンターに行くと、07:45と15:15発だということも分かった。
料金は180B。
車内を除くとラオスの車両が来ているらしく、左ハンドルだった。エンブレムはHINOの物だった。
(・・・・と思って後でこの写真を良く見たら、これは「日野」ではなく、“HYNDAI”だった。)
車両の前で話している人はおそらくラオスからいらした運転士さんのようだった。よほど東北タイ語で話しかけてみようと思ったが、まだできない自分に気が付き、大変惜しいことをしたと思った。