タイ・バンコクの庶民の生活に迫る!

~タイの庶民の生活とは? 一歩でも近づくために~

2013.01.29 Chamchuri Building

2013年01月30日 | 写真を見せたい
29日、日産本社のOfficeでの用事を終えて、K先生と合流するため、Chamchuree Building に向かう。
途中Rachateweeの喫茶店で手帳の整理をして、
間違えて16番のバスに乗ってしまい、
赤十字の敷地を抜けて、チャムチュリーに向かう。その途中の光景はまるで丸の内の光景
(トップの写真)

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2013.01.19-20 家族を送って、Job Fair

2013年01月20日 | 今日の出来事
19日朝、家族を田舎に帰すためにNCAのバスターミナルに7.30AM着。 
家からは206のバスで民事裁判所まで行って、その後TAXIに乗り換え。

バスからまだ寝ぼけ眼で外を観るリョウ。

08:45のバス発まであちこち動き回るので、追いかけるだけで大変。
特に車とバスは好きな様である。

無事にバスに乗り込んだので安心して次の目的地へ。

モーチットで25日のバスのチケットを買って、10:30前にはSiam Paragonに着く。
今日はJCCとJ社が開催する就職&進学フェアーで、T-N大学のご案内を入れてもらうため、H氏とJCCのI氏にご挨拶。
会場ではABKのブースを訪ねる。


その後スーパーバイヤーのN氏が来ているということで、BKK Apartmentに。すっかりマンション建設のために取り壊されておると思っていた。まだ健在なのでとてもうれしかった、




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2012.01.17 図書贈呈記念式

2013年01月17日 | 今日の出来事
皆さんのご協力のもと、無事終わりました。

その後Nationを見ていたら、背後に写っていて、しかもどこにレンズを向けているか分からない、なんだかお遊び気分がばれてしまう写真。
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2013.01-13-14 バンコクでの休日

2013年01月14日 | わが家族のこと
13~14日の土日は久々に家族と共にBKKで過ごす。

13日はAM中、わたしは健康診断と鼻かぜのため、病院へ。

夕方家内と子供をベンジャスィリ公園に連れて行く。
一人でスライダー(滑り台)で遊べるようになったことは親として感激。
(残念だがカメラを忘れた)。写真はイセタンに行った時

14日は朝、大学で少し仕事。
午後はThe Nineを少し歩いてFood Courtで食事
ここは最低40Bだが質がそれ以上に伴っていて、良かった。

夕方プールで遊ぶ。去年のソンクラーンではようやく首が出ていたくらいだったが、、。

少々風邪が冷たいので、複を着せてパンツをはかせていたが、自分で脱ぎだしてしまった。

あまり泳ぎは得意なではないようである。



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2013.01.03~14 新年です。あわただしくなりました。

2013年01月13日 | 今日の出来事
正月3日、バンコクに帰る準備
まず、NNK(ノンナーカム)からバスに乗ってコーンケンの街に出る。約85Km,所要時間1.5H.

コーンケンに17:30着。バスは20.30.その間に腹ごしらえ。


歩いてNCAのバスステーションに。子供は乗り物が好きだ。


4日朝、無事バンコク着。
その日、専用車でサラブリーの日本企業に訪問。学生のインターシップについて

とても日本企業などありそうも無いところに立地しているので感激した。社長さんは神奈川県に本社のある企業さんからこちらに、もう9年もいらしているそうである。

8日 会頭挨拶。

この日あたりからあわただしくなり、急遽大学に木を植えることに。


その訳はこの後、に。






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2013.01.01~2013.01.07 まだNNKにいました。

2013年01月07日 | わが家族のこと
前回の日記も書き足しました。

2013年(平成25年)、タイ暦2556年の元旦を迎える。
お昼をNong-RuaのMKで食べようという話から始まり、Do It Your Selfに行って、建築資材を買い足そうという話に発展し、兄の運転するISUZUPick Upに7名乗り、コーンケンの県都に。


どうしてもこの換気扇を屋根に取り付けたかったが、だめだと却下された。(我が家は小さくて取り付けられないらしい)

帰ってきてから早速ペンキ塗りの続き。リョウちゃんもお手伝い。こういう工具とか道具とか男児は好きである。





すずしいので何日も頭を洗ってやっていなかったので、家内の洗髪台で洗ってやる。

すぐ前の家の子供と遊んで(3歳児らしい)

今年の元旦~2日は暮れて行った

1/3  朝、誰が買ってきてくれたか分からないがふうせんセットに夢中。



11:00から僧を呼んで、家の新築祝い 近所の人たちがたくさん集まってきた。

この女の子はまったく動かないものすごくおとなしい子だった。


僧に水を掛けてもらう。
二人の長老が掛け合いのようなことをやって、新居完成を祝う儀式。
お米を積み上げておく。


家内が天秤棒で荷物を運び入れる儀式。


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2011.12.26~ 2013.12.31 帰省

2013年01月06日 | わが家族のこと
年末、もう日系会社に訪問にいけない時期になったので、皆より一足早く田舎に帰った。
12/26よる、いつもの通り、MRTとバスを乗り継ぎモーチットへ、となるはずであったが、Tranport社のバスは26日から陸運事務所(免許試験センター)から発着することになっている。この日はあまり多くの乗客でごった返すことなく、むしろ閑散としていた。なれないところで、バス会社の職員も大変そうだった。
そういえば、なぜは26日の夜はバンコク市内の通りはやけに車が空いていた。


よく27日朝5時到着。良ちゃんとお母さんが待っていてくれた。


近所の日本で言う民生委員のおばさんが家族の状況を調査に来た。

一緒に近所をバイクで走る。ムーバーン(村)からNong_na-Kham郡に行く道が好きだ。


帰りにバレーボール同好会を見学。必ずいわゆるお釜の人が2,3人いるのが不思議。

今度家内とリョウちゃんの家を建てているわけだが、ほぼ85%終わっている感じ。
左官屋さんのオートバイで。


こうしているうちにこの日は暮れた。

12/28
朝から一生懸命左官仕事を手伝おうとするリョウちゃんだが、邪魔しているだけ。
この「ふるい」だが、日本だと丸くて、木枠がついているが、この長い柄のふるいは不思議だ。

午後、子供が寝ている間に、Nong-Kungの診療所にマッサージのうまいおばあさんがいるというので、行ってみることに。しかし、このおばあさんはすでに退職していて、後任の来たばかりの治療師さんがいて、その方にお願いした。わずか50B.

診療室はこのようか感じ。タイ法医学療養室となっている。
帰りにBaan Khanuwanに2軒ある、インターネットCafeで、日本から電話がかかってきて1/4日でも良いと言われたが念のため、Y国大からの先生のメールに返事。

家具が次々運ばれてくる。まず家が完成してからの方が良いと思うのだが,,。

で、家具屋からもらったTシャツ。
よく建設作業員が着ているものである。こういうところからもらえるのか。不思議と必ず長袖である。



こうして、この日も暮れる。


12/29
Pepsiという名がついている犬はずっとリョウちゃんから離れない。いつも見守っていてくれる存在。

市場でお昼の調達

夕方、Phu-Wiangの町まで出てお買い物。お兄さん夫婦はこの市をとても気に入っている。
リョウちゃんは車に乗れて、特設遊園地(30分20B)で遊べてご機嫌。

もうちょっと大きくなれば安心にて遊べるがまだお兄ちゃん達にぶち当たりそう。


とうとうお手洗いに便器を設置。こうしてこの日も暮れていった。




1/30
朝出て、ウドンタニー県で生活するU氏を訪ねて行く。以前はタイの弱電企業の社長さんをされていた。
まず、バスでSri-Bin-Ruangまで(30B)

SBRでNong-Bua-Lamphuu行きのバスに乗り換えるが、ただ通過してももったいないので、バスターミナルのの調査と街を少し歩き、おみやげを買っていく。



N-B-L行きのバスは座れないくらい人が乗っていた。たかが30分であるが。

NBLのバスステーションにU氏に迎えに来てもらった。

U氏はお元気そう。子牛が5頭生まれたと見せていただいた。U氏は月~金まではウドンタニーの街のOfficeで働いて、土日はここにいらして、乳牛の面倒をみている。



15:00頃失礼して、NBLのバスターミナルまで送っていただき、SBLまでたどり着き、また街をほうっつき歩いていたら最終バスの17:00を過ぎてしまった。


こういうときにはあわてず冷静に考え情報収集。確か17:00くらいからNBLからBKK行きのバスが出ているはずで、ここSBLにも寄るはずである。それに乗っていけば理屈の上では家の前にたどり着くはずである。
早速国営Transport社の係員に聞くが、ここ始発で無いため、バス停で待っていろくらいの事しか分からない。
17:30になったところで、家内に遅くなりそうだと連絡したら。買い物もあるので義兄とSBLまで来てくれるとのこと。ビールでも飲んで待っていることにする。
義兄とその子供(中3)、家内到着。何でもCBLの市場は有名らしいので、そこで今夜のおがずをめざして散策する。

無事に家に帰り夕食。
で、実際旅行先で「最終バスが行ってしまった」時は
①バンコク行きのバスが立ち寄らないか、聞いてみて(必ず複数の人に)次の目的地か、大きい町まで乗せてもらう。
②そこで、安宿を探す。これも3人以上に聞いて確認すること。また大きなホテルであえて聞くというのも意外と有効である。(結構親切に他のホテルを教えてくれる。これは世界中そうだった)
③お寺に泊まる。これは絶対に泊めてくれると思うが、食事は各自調達すること。

今日も暮れた。ペプシがどうしてもリョウちゃんと寝たがる。

12/31  どこか連れて行けとうるさいので、近所の学校の校庭に。

一度連れて行くとなかなか帰りたがらないので困る。他のお父さんはどうしているのだろう、、?
やはり無理に連れて帰るのだろうか。

家を新築している2Km南側にKhanuwanという村があって、初めて聞いた話だったが家内はここの診療所の住宅に(お父さんが診療所職員だった、国家公務員で転勤がある)4~8歳の頃住んでいたらしい。実は本人も知らず、たまたまこの村の市場に行ったら見覚えがある光景だったので兄に聞いたらそうだったという。
その当時の家がまだ残っていた両親と4人きょうだい、この家に住んでいたらしい。

特別懐かしいということも無いようだった。

家のペンキ塗りは自分達でできるところは行う。


大晦日らしいことを何かしようということで、年越しスパゲッティーを作り、夜は花火を打ち上げる。

こうして、2012年(2555年)は無事年を越した。










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