昨日ですが、ワイドショーで、スーパーマン危険動画が取り上げられていました。
このところ話題になっていますよね。
ボンネットの上に人を乗せて走ったり、ドリフトしたり、逆走しポールをなぎ倒したりなどの危険運転。
今回は運転席の窓に後ろからスーパーマンが飛んでくるかのように後部座席から身を乗り出して走ったというもの。
そういった危険運転を真似る人も出てきているようです。
若者だけかと思ったら、おじさんもいるとか
「バカみたい」
「幼稚、低脳・・・」
「あんなことして、なにが楽しいの?」
Twitterなどの反応はこんなところでしょうか。
そういう反応によってさらに拡散されるわけですが。
真似する者がいることで、
「世間に与える影響を考えているのか・・・」というコメンテーターの声もありましたが、
影響が出ることを想像できないのではなくて、
むしろ、影響が出るのを望んでいるのでは?
そういうことで注目されて、世間を騒がせたい?
バカみたいなことをするな!
危険行為であることをわかっているのか!
というような、ダメ出しの言葉は彼らには通用しないと思う。
そんな言葉はきっとずっと浴びせられていると思うから。
私が思うに・・・違っているかも知れないけど、
彼らは満たされていないだけ。
たとえ悪いことをしてでも、誰かに注目されたい?
注目されることで、自分の存在価値を感じたい?
人間というものは誰かに受け入れられたい。
存在価値を認めてほしいと思っているもの。
バカじゃない!?と嫌悪感を示す人がほとんどでも
中には真似をしてくれる人がいるのだから。
渋谷の夜の街を徘徊する未成年の若者と接していた「夜回り先生」が言っていました。
「この子たちは帰る家があったら、こんなところにはいない」
放任な親で愛情を感じていないのかもしれません。
逆に、真面目な親で子どもに求めることが多いのかも。
どちらにしろ、
親は今の自分を受け入れてくれていると感じられない。
家に居場所がない。
だから、気休めに会える友達と時間を過ごす。
でも、子どもを救えるのは、
本当は親しかいないのだと思います。
悪いことは悪いことと叱るのはいいんです。
それができるのは親だと思うし。
ただ否定するのは、あくまでもその行為だけであってほしい。
非行や不良行為を起こす子を
非難したり否定したり怖がったり・・・
人間性そのものや、存在価値を傷つけてはいけないと思う。
悪い子だとレッテルを貼られてしまったら、
そこから抜け出せなくなる。
悪あがきをすることでしか自分を表現できなくなる。
どうせ俺はそういう人間ってことだろ?
だったらそういう人間になってやる!
どんなに挑戦的になっても
どんなに道を外れても
一方では
こんな俺でも愛してほしい。。。
そう思っていると思います。
子どもは親を嫌いになれないんです。
どんなに親に暴言を吐いても、
それは、わかって欲しいという気持ちがあるから。
自分の存在を受け入れてほしくて、
あえて悪い事もしてしまう。
たとえ悪い事をしても受け止めてくれるほどの愛が欲しいのです。
それくらい愛に飢えている。
悪い行動を起こしても、それには必ず意味があるので、
「それは悪いことなんだ!」
「わかっているのか!?」と
責めるだけで終わるのではなく、
何故、その行動を起こしてしまったのか、わかろうとしてほしい。
その気持ちを受け止めてあげてほしい。
例え、わからなくても、
わかろうとする親なら、きっと信頼関係を築けるはず。
悪い事をしてアピールする必要もなくなると思います。
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このところ話題になっていますよね。
ボンネットの上に人を乗せて走ったり、ドリフトしたり、逆走しポールをなぎ倒したりなどの危険運転。
今回は運転席の窓に後ろからスーパーマンが飛んでくるかのように後部座席から身を乗り出して走ったというもの。
そういった危険運転を真似る人も出てきているようです。
若者だけかと思ったら、おじさんもいるとか

「バカみたい」
「幼稚、低脳・・・」
「あんなことして、なにが楽しいの?」
Twitterなどの反応はこんなところでしょうか。
そういう反応によってさらに拡散されるわけですが。
真似する者がいることで、
「世間に与える影響を考えているのか・・・」というコメンテーターの声もありましたが、
影響が出ることを想像できないのではなくて、
むしろ、影響が出るのを望んでいるのでは?
そういうことで注目されて、世間を騒がせたい?
バカみたいなことをするな!
危険行為であることをわかっているのか!
というような、ダメ出しの言葉は彼らには通用しないと思う。
そんな言葉はきっとずっと浴びせられていると思うから。
私が思うに・・・違っているかも知れないけど、
彼らは満たされていないだけ。
たとえ悪いことをしてでも、誰かに注目されたい?
注目されることで、自分の存在価値を感じたい?
人間というものは誰かに受け入れられたい。
存在価値を認めてほしいと思っているもの。
バカじゃない!?と嫌悪感を示す人がほとんどでも
中には真似をしてくれる人がいるのだから。
渋谷の夜の街を徘徊する未成年の若者と接していた「夜回り先生」が言っていました。
「この子たちは帰る家があったら、こんなところにはいない」
放任な親で愛情を感じていないのかもしれません。
逆に、真面目な親で子どもに求めることが多いのかも。
どちらにしろ、
親は今の自分を受け入れてくれていると感じられない。
家に居場所がない。
だから、気休めに会える友達と時間を過ごす。
でも、子どもを救えるのは、
本当は親しかいないのだと思います。
悪いことは悪いことと叱るのはいいんです。
それができるのは親だと思うし。
ただ否定するのは、あくまでもその行為だけであってほしい。
非行や不良行為を起こす子を
非難したり否定したり怖がったり・・・
人間性そのものや、存在価値を傷つけてはいけないと思う。
悪い子だとレッテルを貼られてしまったら、
そこから抜け出せなくなる。
悪あがきをすることでしか自分を表現できなくなる。
どうせ俺はそういう人間ってことだろ?
だったらそういう人間になってやる!
どんなに挑戦的になっても
どんなに道を外れても
一方では
こんな俺でも愛してほしい。。。
そう思っていると思います。
子どもは親を嫌いになれないんです。
どんなに親に暴言を吐いても、
それは、わかって欲しいという気持ちがあるから。
自分の存在を受け入れてほしくて、
あえて悪い事もしてしまう。
たとえ悪い事をしても受け止めてくれるほどの愛が欲しいのです。
それくらい愛に飢えている。
悪い行動を起こしても、それには必ず意味があるので、
「それは悪いことなんだ!」
「わかっているのか!?」と
責めるだけで終わるのではなく、
何故、その行動を起こしてしまったのか、わかろうとしてほしい。
その気持ちを受け止めてあげてほしい。
例え、わからなくても、
わかろうとする親なら、きっと信頼関係を築けるはず。
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