昨日、ちょっと興味ある記事を見つけました。
まず、皆さんにお聞きします。
お子さんがいじめられていると相談してきたらどうしますか?
➀加害者のお子さんと話し合わせる。
➁相手の親御さんとよく話しする。
➂担任の先生に相談する。
こんな答えが浮かぶかもしれませんね。
これ、小学校受験の面接の時に、親が受ける質問らしいです。
問われているのは「モンスター化する親かどうか」だそうです。
上の答えがどうなのかというと・・・
➀すでに相手の子を『加害者』扱いしており、最初から話を大きくしている。
➁相手の親と話をすれば事態はこじれるだけ。
➂問題があれば学校が何とかすべきと丸投げ宣言しているようなもの。
つまりは、全てNGで、
どれも、モンスターペアレント予備軍の答えなんだそうです。
求められている答えは・・・
まずは子どもの言葉を鵜呑みにせず、よく状況を聞き出し、
「明日はお友達にこう言ってみようよ」など家庭内で解決する姿勢を見せること。
それでだめなら、担任の先生に相談する・・・という順序が妥当だそうです。
そんな質問をする背景には・・・
小学校受験組はエスカレーター式なら最長、大学まで19年。学校と家庭の付き合いが長いです。
学校を真に理解し、近しい価値観を共有できない家庭の子どもを合格させてしまえば、後々大きな齟齬を生みかねない。
だからこそ慎重にその家庭の本質を見極めたい事情があるようです。
両親への難問も多いけど、子どもに対しても難問ばかりだそうで。
答えに詰まったとき、どうすればいいのかも問われる。
例えば、「お父様の尊敬できるところはどこですか」という質問。
「尊敬」の言葉の意味がわからない場合に面接官へ質問できるかどうか?とかね。
その場で考えて自分の言葉で話せるかが重要。
子どもが答えられなければ、面接官は言い方を変えたりと工夫してくれるそうです。
一番いけないのは、心配した親が助け舟を出すこと。
つまりは過保護かどうかも、チェックされる
これ、やりがちですよね
こんな大事な場面ですから、子どもが答えられないとハラハラしてしまう。
ケン太も大人に何か聞かれても答えられないことが多くて、つい助け舟を出しちゃう私がいたんです。
返事しなければ相手に失礼とかね。
今、思うと子どものためというより、返事できない子を育てた親だと思われたくなかったのでしょうね。
つまりは私自身のため?
それが子どもの自立を奪う
過保護だって気づかすにね
でも、ケン太が不登校になったことをきっかけに、
子どもの自主性を意識するようになり、今ではケン太の言葉を待っていられるようになりました。
もっと早い段階で気づきたかったですけどね
いかにちゃんとした答えが言えるのかどうかよりも、
答えを導きだすために、いかに臨機応変に対応ができるか、子育てもそこを意識して、コミュニケーション能力を育てなければと思います。
社会に出たら、学力がどうであったかよりも、
まずそれが求められるんだろうなと思います。
ランキングに参加しています!
ポチしていだだけたら嬉しいです
↓
にほんブログ村
まず、皆さんにお聞きします。
お子さんがいじめられていると相談してきたらどうしますか?
➀加害者のお子さんと話し合わせる。
➁相手の親御さんとよく話しする。
➂担任の先生に相談する。
こんな答えが浮かぶかもしれませんね。
これ、小学校受験の面接の時に、親が受ける質問らしいです。
問われているのは「モンスター化する親かどうか」だそうです。
上の答えがどうなのかというと・・・
➀すでに相手の子を『加害者』扱いしており、最初から話を大きくしている。
➁相手の親と話をすれば事態はこじれるだけ。
➂問題があれば学校が何とかすべきと丸投げ宣言しているようなもの。
つまりは、全てNGで、
どれも、モンスターペアレント予備軍の答えなんだそうです。
求められている答えは・・・
まずは子どもの言葉を鵜呑みにせず、よく状況を聞き出し、
「明日はお友達にこう言ってみようよ」など家庭内で解決する姿勢を見せること。
それでだめなら、担任の先生に相談する・・・という順序が妥当だそうです。
そんな質問をする背景には・・・
小学校受験組はエスカレーター式なら最長、大学まで19年。学校と家庭の付き合いが長いです。
学校を真に理解し、近しい価値観を共有できない家庭の子どもを合格させてしまえば、後々大きな齟齬を生みかねない。
だからこそ慎重にその家庭の本質を見極めたい事情があるようです。
両親への難問も多いけど、子どもに対しても難問ばかりだそうで。
答えに詰まったとき、どうすればいいのかも問われる。
例えば、「お父様の尊敬できるところはどこですか」という質問。
「尊敬」の言葉の意味がわからない場合に面接官へ質問できるかどうか?とかね。
その場で考えて自分の言葉で話せるかが重要。
子どもが答えられなければ、面接官は言い方を変えたりと工夫してくれるそうです。
一番いけないのは、心配した親が助け舟を出すこと。
つまりは過保護かどうかも、チェックされる

これ、やりがちですよね

こんな大事な場面ですから、子どもが答えられないとハラハラしてしまう。
ケン太も大人に何か聞かれても答えられないことが多くて、つい助け舟を出しちゃう私がいたんです。
返事しなければ相手に失礼とかね。
今、思うと子どものためというより、返事できない子を育てた親だと思われたくなかったのでしょうね。
つまりは私自身のため?

それが子どもの自立を奪う
過保護だって気づかすにね

でも、ケン太が不登校になったことをきっかけに、
子どもの自主性を意識するようになり、今ではケン太の言葉を待っていられるようになりました。
もっと早い段階で気づきたかったですけどね

いかにちゃんとした答えが言えるのかどうかよりも、
答えを導きだすために、いかに臨機応変に対応ができるか、子育てもそこを意識して、コミュニケーション能力を育てなければと思います。
社会に出たら、学力がどうであったかよりも、
まずそれが求められるんだろうなと思います。
ランキングに参加しています!
ポチしていだだけたら嬉しいです

↓
