今日は、成人の日ですね。
友達から、娘ちゃんの晴れ姿の画像が送られてきました。
いや~キレイ~
すっかり大人になっちゃって~
これまでも、たまに、娘ちゃんの画像は送ってもらっていましたが、
やっぱり、振袖姿って別格ですね!
女の子っていいなぁ~
母としても、今日は、特別な日だと思います。
ケン太の時のことを思い出しますと・・・
成人式には、出席しませんでした。
なにせ、中学3年生に再び、完全に不登校になり、
卒業まで学校に戻ることはできませんでしたから。
地元の公立中学校ですので、成人式はクラス会みたいなものなのです。
担任からのメッセージなどが読み上げられたりするそうなので、
自然と同じクラスで固まり、皆で盛り上がるらしいです。
そして、その後の有志の二次会も計画もされていました。
ケン太には二次会のお誘いはなかったようです。
不登校時代、家に入れた、二人の友達以外、クラスの子に会おうとはしなかったし、
夜、10時過ぎ、クラスの子が塾から帰る時間を過ぎてからでしか、外に出ることも出来ませんでした。
クラスの子を避けていたので、
成人式への出席はハードルが高いものになっていたと思います。
高校に入り、また学校に行けるようになり、
駅で中学時代のクラスの子にばったり会うこともあったようです。
「今日、〇〇に会ったわ~話した~」とごく普通に話してくれました。
やはり、自分が学校に行けていると、姿を隠したいという気持ちが薄れるというか?
普通に話せるようになるんだなぁ~って思いましたね。
そんな状態になっていたので「成人式には出る?」と聞いたことがあります。
それまでは、まず無理だろうなと思っていたんですけどね。
「う~ん。Kが行くなら行くかもしれない」と。
当時、一番、仲がよかったK君もどうしようかなと決めかねているとのことでした。
結局、K君もT君も、成人式に出席しましたが、
ケン太は「出ない」ことを選びました。
やっぱりなぁ~というところです。
いくら駅でばったり会った友達と話したとはいえ、
ほんの数人だしね。
「最後まで学校に来なかった子」とクラスの仲間に認識されている中に、
飛び込んでいくのは勇気のいることかなと思います。
多分、不登校になっていなかったら行っていたでしょうね。
ケン太は「成人式」そのものに興味はないと思います。
普通に皆と卒業できていたとしても、
別に出なくたって~くらいの気持ちだと思います。
だから、出席しなかったことに、後悔も何もないと思います。
ただ、仲の良い友達が行くのであれば、行った。
それだけのこと。
仲が良い友達が行ったのに、行かなかった。
それはやはり不登校の経験が「左右」したことと思います。
二次会も、K君、T君のところには話が来たようだけど、
ケン太のところには来なかったというのも、やはり「不登校」だったからなのかな?
「不登校」というものは、そういう形で時に姿を現すものだなぁ~と、
その時に思ったのでした。
それもそれだけのことなんですが。
「不登校の経験」というものは消えることはないはずです
ただ、無理に消すことでもないと思います。
状況がよくなっていけば、どんどん過去のものになっていくだろうと思います。
「あの時は・・・」って話ができること。
そうなれればいいんじゃないかな。
でも、子どもって不登校時代のことってそんなに鮮明に覚えていないようです。
嫌なことって忘れるようにできているようです。
実は、私が鮮明に覚えていることも、ケン太の記憶にはすでに無くなっていることもあるんです。
ほんと不思議です。
だから、母も「あんな時代があって~」っていつまでも記憶にとどめようとしなくていいと思います。
「かわいそうだった・・・」とか思うこともないです。
忘れてしまえることを、母がまた思い出させてしまうことのないように。
不登校だった時のことをどう思っているかは、多分、親と本人とでは違うと思うから。
過去に振り回されない人生。
ピンチをチャンスに変えられる人生。
そういうことを学べているかもしれないのでね!
今、不登校の方も、今、それを学べるチャンスを与えられているのだと思ってくださいね!
友達から、娘ちゃんの晴れ姿の画像が送られてきました。
いや~キレイ~

これまでも、たまに、娘ちゃんの画像は送ってもらっていましたが、
やっぱり、振袖姿って別格ですね!
女の子っていいなぁ~
母としても、今日は、特別な日だと思います。
ケン太の時のことを思い出しますと・・・
成人式には、出席しませんでした。
なにせ、中学3年生に再び、完全に不登校になり、
卒業まで学校に戻ることはできませんでしたから。
地元の公立中学校ですので、成人式はクラス会みたいなものなのです。
担任からのメッセージなどが読み上げられたりするそうなので、
自然と同じクラスで固まり、皆で盛り上がるらしいです。
そして、その後の有志の二次会も計画もされていました。
ケン太には二次会のお誘いはなかったようです。
不登校時代、家に入れた、二人の友達以外、クラスの子に会おうとはしなかったし、
夜、10時過ぎ、クラスの子が塾から帰る時間を過ぎてからでしか、外に出ることも出来ませんでした。
クラスの子を避けていたので、
成人式への出席はハードルが高いものになっていたと思います。
高校に入り、また学校に行けるようになり、
駅で中学時代のクラスの子にばったり会うこともあったようです。
「今日、〇〇に会ったわ~話した~」とごく普通に話してくれました。
やはり、自分が学校に行けていると、姿を隠したいという気持ちが薄れるというか?
普通に話せるようになるんだなぁ~って思いましたね。
そんな状態になっていたので「成人式には出る?」と聞いたことがあります。
それまでは、まず無理だろうなと思っていたんですけどね。
「う~ん。Kが行くなら行くかもしれない」と。
当時、一番、仲がよかったK君もどうしようかなと決めかねているとのことでした。
結局、K君もT君も、成人式に出席しましたが、
ケン太は「出ない」ことを選びました。
やっぱりなぁ~というところです。
いくら駅でばったり会った友達と話したとはいえ、
ほんの数人だしね。
「最後まで学校に来なかった子」とクラスの仲間に認識されている中に、
飛び込んでいくのは勇気のいることかなと思います。
多分、不登校になっていなかったら行っていたでしょうね。
ケン太は「成人式」そのものに興味はないと思います。
普通に皆と卒業できていたとしても、
別に出なくたって~くらいの気持ちだと思います。
だから、出席しなかったことに、後悔も何もないと思います。
ただ、仲の良い友達が行くのであれば、行った。
それだけのこと。
仲が良い友達が行ったのに、行かなかった。
それはやはり不登校の経験が「左右」したことと思います。
二次会も、K君、T君のところには話が来たようだけど、
ケン太のところには来なかったというのも、やはり「不登校」だったからなのかな?
「不登校」というものは、そういう形で時に姿を現すものだなぁ~と、
その時に思ったのでした。
それもそれだけのことなんですが。
「不登校の経験」というものは消えることはないはずです
ただ、無理に消すことでもないと思います。
状況がよくなっていけば、どんどん過去のものになっていくだろうと思います。
「あの時は・・・」って話ができること。
そうなれればいいんじゃないかな。
でも、子どもって不登校時代のことってそんなに鮮明に覚えていないようです。
嫌なことって忘れるようにできているようです。
実は、私が鮮明に覚えていることも、ケン太の記憶にはすでに無くなっていることもあるんです。
ほんと不思議です。
だから、母も「あんな時代があって~」っていつまでも記憶にとどめようとしなくていいと思います。
「かわいそうだった・・・」とか思うこともないです。
忘れてしまえることを、母がまた思い出させてしまうことのないように。
不登校だった時のことをどう思っているかは、多分、親と本人とでは違うと思うから。
過去に振り回されない人生。
ピンチをチャンスに変えられる人生。
そういうことを学べているかもしれないのでね!
今、不登校の方も、今、それを学べるチャンスを与えられているのだと思ってくださいね!