卒業式の話を掘り起こしたことで、当時の親としての感情が蘇りました。
もちろん、出席できたことは、嬉しかったのですが、違う感情もありました。
それについて、お話したいと思います。
担任の先生のご尽力で、第二卒業式ではありますが、「卒業式」に参列できたけん太。
先生は「参列」させてあげることができたという思いで、ほっとされたでしょうし、私は最後にけん太が学校に足を踏み入れることができたということで、ひとつハードルを飛び越えられたような思いがして嬉しかったのです。
ただ、けん太の方はどうだったでしょうか・・・
学校に行ってみたら、第二卒業式の参列者はけん太ひとりでした。
もうひとり、同じく(けん太と同じく顧問がきっかけで)不登校になってしまった剣道部の女の子が、参列できなくなったことは聞いていたのですが、不登校はその他にも数名いたので、誰かいるだろうなとは思っていたのです。
まさか自分ひとりだけとは思っていなかったでしょう。
校長室に呼ばれると、学年の先生方が勢ぞろいされていました。
校長先生の祝辞があり、授与式もあり、「卒業式」らしさを演出するものでした。
ただ、証書を受け取って帰るだけだと思っていた私はびっくり。
多分、けん太もそうでしょう。
「お母さんもどうぞ」と言われ、式に参列した私ですが、そんな想定はしていなかったので、普段着でそれもジーンズ
終わった後、けん太は、先生方に囲まれ「元気でな」「頑張れよ」と口々に声をかけていただいたのですが、
ひきつった顔で、先生方の声掛けに、言葉を発することができず、頷くのが精一杯。
その後、挨拶もそこそこに逃げるように学校を離れ、家に着いてもしばし放心状態でした。
「行ってよかった」という表情には見えませんでした。
嫌だったけど、とにかく終わった・・・だけだったと思います。
修学旅行のことも思い出します。
修学旅行から帰ってきて、完全不登校になったけん太ですが、
その前から、休みがちであったため、修学旅行に行けるのか行けないのかギリギリのところで、どうにか送り出すことができたのです。
先生も私も「参加できてよかった・・・」と胸をなでおろしました。
卒業後、卒業アルバムを開いて、初めて修学旅行の写真を目にすることになります。
集合写真などの注文購入があったのでしょうけど、不登校だっため、申し込んでいません。
けん太が映っている写真をみると、どれもうつむき加減で、カメラから視線を外しているようにみえました。
周りの友達が「いえ~い!!」って盛り上がっている中で、どうにか作ろうとしている笑顔が引きつっているのがわかります。
こんな顔をしていたんだ。
「参加できた」と喜んでいた私はなんだったんだろう・・・
けん太に申し訳ない気持ちになりました。
参加できてよかった!
行けてよかった!
じゃなかったのかも。。。
胸が痛みました。
でも、当時の私は、決して、けん太に
「行った方がいいよ」「行った方がいいんじゃない?」「行ってみたら?」
など誘導するような言葉がけはしていません。
(行ってほしそうな顔をしていたかもしれないけど)
けん太は自分で決めて、卒業式に参列したし、修学旅行にも行きました。
行かなければよかった・・・楽しくなかった・・・と思ったとしても、
誰のせいでもありません。
そして、後で振り返った時に、
行かなければよかった・・・楽しくなかった・・・と思うかどうかはわからないと思います。
親にとって辛い思い出でとして残っていても、当の本人は忘れていたりします。
あの時、あんなことあったなぁ~くらいで終わるかも?
後々楽しいことがあれば、風化してしまえるような気もします。
実際に、私が引きずっていた嫌な思い出、けん太は忘れていてびっくりしたことがあります。
嫌な思いが残っていたとしても、もう二度とあんな思いはしたくないと、
それがその後、バネになってくれることもあると思います。
その時、意を決して、自分で動くことができた。
それは間違いなく、自分の「力」になっていると思います!
決して無駄なことではない!
かえってよかった!
そう思っています。