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第五福竜丸の被曝で有名になったマーシャル諸島のその後について触れたいと思います。
ここは1946年から1958年までアメリカによって66回の核実験が行われていたところです。
既に書いたように、アメリカ国内ではネバダがその実験場となっており、1998年1月20日の共同通信によれば、1951年から1962年まで計87回の大気圏内核実験が行われ、1回当たりの最大爆発100キロトンで、総量1096キロトンでした。
問題になったのは1954年のビキニ環礁における水爆実験で、これには日本の第五福竜丸を始めとする1000隻の漁船が巻き込まれました。この実験で使われた水爆は15メガトンで、広島原爆の1000倍に当たります。
アメリカは事前に気象庁から風向きの関係でビキニ環礁から約200km離れたロンゲラップ諸島の島民が被曝することを知っていたにも関わらず、避難させるまでに4日かかり、島民を被曝させました。また、同程度に被曝をしたアイルック環礁は避難も食糧支援もなく、水と食べ物による内部被曝をその後起こすことになりました。
この数日間で島民64人は1.75グレイ(大体1.75sv)の被曝をしていました。
多量の水が吹きあがり、サンゴが被曝して粉々になったものが降り注いだのです。これが白い死の灰でした。
何も知らなかった子どもたちは積極的にこの粉を体に浴びてしまい、その後苦しむことになりました。
更に、アメリカにはこの後「人体研究プロジェクト」が作られました。研究対象は勿論彼らです。
福島でも、放射能を計測するバッチが配られていますが、だからといってそれに併せて治療をするわけではありません。
それは既にここに始まっていたのです。
中には7日後にプルトニウムの注射をされたり、放射性クロムの注射をされた方もいました。
そして事故の3年後、1957年にアメリカは「安全宣言」を出し、島民を帰還させました。
その結果、特に子どもが甲状腺癌や白血病になって多くが亡くなりました。病名や症状は他にも沢山あります。激しい嘔吐、皮膚炎、脱毛、そして各種癌や血液の病気、心臓の病気・・・・
1985年になり、グリーンピースが島民を救出、再び他の島に移住をさせました。・・・しかしながら、ロンゲラップよりも狭い島で人々は仕事を失い、多数の自殺者を出してしまいました。
1996年に島を除染することをアメリカ政府は決め、2001年から表土を削る除染が始まりました。
大元の水爆実験のあったビキニ島に関して1997年に調査されたIAEAの報告書はいいます。
ビキニ島は永久に居住には適さない、と。
仮に島の定住者が地元産の食品を摂り、水を飲んで暮らすとするならば、約15mSvの年間実行線量につながるから。
植物中の放射能の大部分は放射性セシウムの取り込みによるもので、これを食べることで更に人口が減少すると思われます。
もしも住民を住まわせるのであれば、放射性物質を摂り込まないようにさせることが必須になるでしょう。
先の共同通信の記事によれば、マーシャル側は、独自調査で少なくとも20人以上が放射性物質を注射されたことを突き止め、うち生存者5人も特定しました。ロンゲラップ環礁の議員ナビ・クンさんの母アトミネさん(58)もその1人で、乳がんや脳しゅように苦しんでいます。クン議員は、「本人への情報開示がないため、『実験』との因果関係を調べることが難しい」と話しています。これに対し、研究にかかわった医師らは現在でも「ケアのために必要な措置だった」と強弁。エネルギー省当局者はマーシャル側に「注射は、X線検査のようなもので害はない」と説明したといいます。
更に、ネバダとマーシャルの関係で同通信は続けます。
米国立がん研究所は、ネバダ核実験で大気中に放出された放射性のヨウ素131の過剰摂取などから、当時15歳以下の子どもを中心に推定1万人から7万5000人が甲状せんがんになった可能性がある、と発表しました。同調査の推定では、米本土全域の平均値は、胸部レントゲン約5回分にあたる2ラド(約20mSv)、特に、ネバダ州に近い一部の州では、最大16ラ(約160mSv)ドでした。これに対し、「4・1」報告書は、ビキ二実験によるロンゲラップ環礁の被ばくについて、約175ラド(約1.75Sv)と推定しています。
日本は広島・長崎と原爆を落とされた国であり、原水爆禁止ブロック会議がありました。
第五福竜丸の悲劇を生んだアメリカのビキニ水爆実験で、死の灰を浴びたミクロネシア被曝(ひばく)者の招待治療をしている「原水爆禁止九州ブロック会議」(福岡県評内・山川一義事務局長)は、最も近距離で被曝したロンゲラップ島民に関するアメリカ原子力委民会(AEC)の未公開カルテ66人分を入手しました。
カルテによると、被曝直後に胎内被曝者を除く全員が、放射性降下物による放射線やけどや血球減少、吐き気、脱毛など広島、長崎の被爆者と同じ急性症状を訴えました。
175ラドグループでは、やけどが10歳以下の19人、31歳以上の10人全員、血球減少は同21歳-30歳の10人全員となっています。その後も流、死産や吐血を繰り返し、最近は白内障などの視力障害や「加齢化」現象が目立っています。
原爆実験参加の元米兵 子供9人全員が奇形
医療保護は認められず
なお、被曝したのはわずかですがアメリカ兵もです。1946年当時19歳だったロバート・ファーマー氏は原爆投下実験の場所から16km離れたところにいて、それから爆撃目標でもあった艦船に乗せられたそうです。
彼には子どもが9人いて、いずれも先天性奇形なのだそうです。
【スチールビル(米イリノイ州)17日シカゴ・サン・タイムズ紙特約】初めてのマーシャル群島での米原爆実験に参加した元水兵、ロバート・ファーマーさん(55)は、子供9人すベてが先天性奇形を持って生まれたのは、ビキニ環礁での被爆によるものだとして米退役軍人局に医療保護を求めていたが、このほど被爆が原因ではないとの理由で訴えを却下された。
全米退役軍人被爆者協会イリノイ支部の運動で、被爆軍人子弟の医療無料化法案が連邦議会下院に提出されているが、ファーマ一家にとりついた“ビキニの妖怪”は、37年後の今も、また将来も消えうせそうにない。
ファーマーさんがビキニの実験に立ち会ったのは1946年7月1日と25日の2回で、当時は19歳の水兵だった。B29からの投下実験でファーマーさんらは約16キロ離れたところにいたが、実験の後、ビキニ環湖に連れて行かれ、投下目標にされて破壊を免れた艦艇に乗せられた記憶が残っている。
「考えてみれば、攻撃目標艦に乗せられた鶏や豚などと同類扱いされ、モルモットになったわけだ。彼ら(海軍と国防総省)は放射能のことは何一つ話してくれなかった。こういうことになるのがわかっていれば、9人も子供をつくるわけがない」と嘆く。
長男ロバート2世(33)は、生まれつき右肺奇形で78年から原因不明の出血を始めた。長女ダイアナさん(32)は頭ガイ骨に盛り上がったうねがあり、しばしば激しい頭痛で救急治療を受ける。二女ビクトリアさん(30)は心臓奇形、三女パトリシアさん(28)は腹部に3.6キロもある腫瘍があったが、15歳の時に除去手術をした。
二男のスチーブン君(22)は、腰骨と大タイ骨が欠け、1年生入学の時やっと義足がつけられた。三男ウィリアム君(21)は体中に包ノウ状のこぶが出来ている。四男マイケル君(17)は、不整脈でウィリアム君と同じようなこぶがある。
このほか五男ジェフリー君(15)は右足に余分な骨が生え、手術した。四女ジャネットさん(14)は呼吸器に問題がある。
「妻も妻の家系にも遺伝的に悪い面はない。私には姉妹5人、兄弟2人がいるが、本人も子供たちも異状はない」とファーマーさん。長年、家庭医や専門医に見てもらったが、ビキニの被爆のためだという医師もいれば、そんなことは全くないという医者もいて混乱し、証明は事実上不可能といわれてきた。
今回の退役軍人局の結論も、放射能汚染との因果関係を否定したものだが、これに対して退役軍人被爆者協会の医学顧問グレン・アルカレーさんは、現地住民の健康調査結果を全く考慮に入れない結論だとし、「被爆島民の半数は、数少ない類型の染色体の破壊を受けており、その子供たちに高率の奇形が見られる」と反論している。(中日新聞 1983/04/18)
今まで見てきたように、被曝には一定の病気が伴います。いかなる権威者がどれだけ隠しても、学者が「笑っていればいいんです」と講演しようとも、被曝したら食べ物にも気をつけなければならないし、免疫力も向上させるように気を付ける方が良いのです。その上で笑いましょう。
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