秘かに菅官房長官が狙う総理大臣の椅子!!
政界は魑魅魍魎が闊歩する暗闇!!
離合集散いつ何があっても、不思議ではない!!
水面下で、菅官房長官と二階俊博幹事長がタッグを組んで安倍晋三の追い落としを始めています!!
その第一弾が、「麻生叩き」なのです!!
菅官房長官が、麻生太郎の地元に入り鳩山邦夫の息子を支援して見事に当選させましたが、これは鳩山邦夫の主催していた「きさらぎ会」を菅官房長官が継承し地固めをしています。
また菅官房長官は、小泉進次郎の面倒も見ていますから何事か必ず起こします・・・・。
また何よりも力強いのは、横浜港運協会の藤木幸夫会長が菅官房長官と二階俊博幹事長を支援しているという事です。
菅氏、政策グループ「きさらぎ会」顧問に
菅義偉官房長官は28日の記者会見で、故鳩山邦夫衆院議員が主宰していた自民党内の派閥横断の政策グループ「きさらぎ会」の顧問に就任したことを明らかにした。
同会には120人超が所属し、安倍晋三首相の応援団として政権支持を訴えてきた。
就任理由について菅氏は「要請があったので顧問をお引き受けした」と述べるにとどめた。
菅氏は派閥に否定的な立場をとっている。
自民党内からは「菅氏の党内基盤の強化につながる」との見方も出ている。
山下ふ頭再開発で「カジノ関心ない」横浜港運協会会長
横浜港運協会の定時総会であいさつする藤木会長=横浜市中区
藤木幸夫(ふじき ゆきお、1930年8月18日 - )は、日本の実業家。藤木企業(株)代表取締役会長、横浜港運協会会長、横浜エフエム放送(株)代表取締役社長。株式会社横浜スタジム取締役会長。1953年早稲田大学政治経済学部卒業。
稲川会埋地一家の初代組長・藤木幸太郎の長男。
横浜港の関連事業者約240社でつくる横浜港運協会は21日、定時総会を横浜市中区で開いた。
藤木幸夫会長は、山下ふ頭(同区)の再開発計画に触れ「カジノを含めたあれ(統合型リゾート施設=IR)には一切関心はございません」とあらためて強調、「将来の人たちや、われわれの先輩が喜ぶような再開発の姿を実現し、横浜を豊かにしたい」と展望を語った。
ギャンブル依存症で家庭崩壊が起きている例を挙げた上で「カジノはもうかるのはいいが、誰からもうけるのか。
地元の市民を犠牲にしたくない」と、同ふ頭へのカジノ誘致に異議を訴えた。
その上で「再開発はしなければならないが、今生きている者だけで考えてはいけない」と持論を展開。
「歴史の中には、同ふ頭で生きて汗と血と涙を流した人たちがいた。現在過去未来、そのいずれもが納得するような再開発であってほしい」と締めくくった。
神奈川|官房長官も頭が上がらない横浜の首領/藤木企業

「今までは会うたびに『おい菅(すが)くん、安倍を守ってやんなよ』と言っていたんだけど、3月に初めて言いましたよ。『菅くん、安倍はもうダメだな』って。森友学園の問題が出たときにかみさんと別れていればよかった。それも菅には言ったんだよ」
こんな歯に衣着せぬ物言いをするのは藤木幸夫氏。横浜に本社を置く藤木企業の会長だ。
横浜の首領(ドン)──。藤木氏を形容するときに、この言葉がよく使われる。藤木企業の売上高は75億円と、決して大きな企業ではない。にもかかわらず、そう呼ばれるのはなぜなのか。
理由の一つは、横浜港の仕切り役であることだ。藤木企業の創業は1923年。港の岸壁にある巨大なガントリークレーンなどを使って、船の荷物を積み降ろしする荷役を本業としている。創業当時は作業時間を予定より大幅に短縮するのが常だったことから、「藤木の早荷」と呼ばれて顧客の信頼を獲得し、事業を拡大してきた。
藤木氏は現在、港運事業者を取りまとめる横浜港運協会会長だ。また85年に開局した横浜エフエム放送の立ち上げに参加、現在も社長を務める。かつては横浜スタジアム会長でもあった。
地域への貢献が認められ、藤木氏は藍綬褒章や勲三等瑞宝章などを受章している。
もう一つは国政の中枢とのパイプが太いことだ。冒頭の発言の「菅くん」とは菅義偉・官房長官のこと。菅氏は秋田出身だが、横浜市出身の小此木彦三郎・元衆議院議員の秘書を長年務めていた。藤木氏はもともと小此木氏と親密で、その地盤を引き継いだ菅氏の有力な後援者になっている。菅氏にとっては頭の上がらない存在だ。
二階俊博・自民党幹事長とは、藤木氏が「兄弟分」と語るほど親しい関係にある。それは2016年9月に「藤木幸夫会長の86歳の誕生と二階俊博先生の幹事長就任をお祝いする会」が開かれたことからもわかる。元参議院議員の村上正邦氏が主催したこの会には、政財界などから多くの関係者が参加した。
さらに藤木氏が畏怖されるのは、山口組3代目の田岡一雄組長と交流があったからだ。藤木企業の創業者である藤木幸太郎氏(幸夫氏の父)が全国港湾荷役振興協会(現在は解散)の会長だったときに、副会長を務めたのが神戸の甲陽運輸の社長だった田岡氏だった。幸夫氏は田岡氏のことを「田岡のおじさん」と呼ぶ。
そうした幅広い人脈や地元経済への貢献もあり、横浜の政財界は藤木氏の意向を無視できない。
以上
石原慎太郎が、背広の上着をシャツと間違えてズボンの中に入れていたようです!!
ボケが、酷いようです!!
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