国家存亡の危機に目覚める八ヶ岳の秘密!!
国民に希望をくれる者達が八ヶ岳からくる!!
明治大学平和教育登戸研究所資料館 第4回企画展 記念講演会 2014 年 1 月 11 日
本土決戦・登戸研究所・中野学校
資料館館長 山田 朗(文学部教授)
戦後78年いまだ健在!!
はじめに
〔1〕2013 年 4 月に開設された明治大学中野キャンパスは、かつての陸軍中野学校の跡地
〔2〕明治大学生田キャンパス(川崎市多摩区)は、かつての陸軍登戸研究所の跡地
〔3〕両者を結ぶキーワード:〈秘密戦〉
〈秘密戦〉のためのヒトづくり=中野学校、〈秘密戦〉のためのモノづくり=登戸研究所
〔4〕本土決戦における両者の関係・役割を探る
Ⅰ 〈秘密戦〉における登戸研究所と中野学校の役割
1 〈秘密戦〉とは何か
〔1〕戦争には必ず付随するが、歴史に記録されない〈裏側の戦争〉
〔2〕戦時に限らず、平時おいても密かに行われている〈水面下の戦争〉
〔3〕〈秘密戦〉の4つ要素:防諜・諜報・謀略・宣伝(戦時プロパガンダ)
(これらのうち防諜・諜報・宣伝は〈情報戦〉とくくることもできる)
2 陸軍登戸研究所:日本陸軍における〈秘密戦〉兵器・資材の専門開発機関
1927 年:陸軍科学研究所秘密戦資材研究室(篠田研究室)設置
1937 年:陸軍科学研究所登戸実験場(電波兵器研究)設置
1939 年 9 月:陸軍科学研究所登戸出張所(電波兵器と「特殊科学材料」研究)
第一科(電波兵器)
第二科(毒物・薬物・生物化学兵器・スパイ用品)・第三科(偽札)が増設される
1942 年 10 月:第九陸軍技術研究所 第一科で風船爆弾研究・開発
1945 年 5 月:本土決戦にそなえ長野県伊那地方等に分散移転
3 陸軍中野学校:日本陸軍における〈秘密戦〉要員の専門育成機関
1938 年 1 月:後方勤務要員養成所設置(第 1 期生 19 名採用、九段・愛国婦人会別館)
1939 年 4 月:中野の旧電信隊跡(現・JR 中野駅北側)に移転
1940 年 8 月:陸軍中野学校と改称(1944 年 8 月には静岡県磐田郡に二俣分校設置)
1945 年 4 月:本土決戦にそなえ群馬県富岡町に移転
1938~1945 年:2,131 名が卒業(戦死 289 名・不明 376 名)
4 〈秘密戦〉の担い手たち
〔1〕陸軍登戸研究所と陸軍中野学校(ともに参謀本部第 8 課=謀略課の指揮下)
〔2〕関東軍情報部(1940 年 4 月創設、本部:ハルビン特務機関)
登戸研究所で開発した軍用犬追跡防避剤(え号剤)を実験、警戒犬突破方法の研究
〔3〕憲兵隊
憲兵学校には『秘密戦関係』と題するテキストがあった
Ⅱ 日本軍の〈秘密戦〉の歴史
1 日清・日露戦争期
〔1〕参謀本部直属のスパイ・情報収集者を朝鮮半島や大陸に派遣
〔2〕日露戦争~シベリア出兵期のスパイ(代表例:石光真清)
→ 一般人(商人・僧侶など)に変装して情報収集や工作にあたる
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明治大学平和教育登戸研究所資料館 第4回企画展 記念講演会 2014 年 1 月 11 日
〔3〕日露戦争の情報収集・謀略(代表例:明石元二郎)
→ ストックホルムなどを拠点に軍事情報の収集、ポーランド独立派等に武器・資金援助
〔4〕中国大陸における特務機関(諜報・謀略機関)の原形となる
2 第 1 次世界大戦(1914-18 年)期
〔1〕第 1 次世界大戦を境に科学技術を応用した〈秘密戦〉が欧米で発達
→ 暗号・通信傍受(盗聴)・秘密撮影・宣伝(戦時プロパガンダ)など
〔2〕ワシントン会議(1921-22 年)の際に日本側はこの分野の立ち遅れを痛感
→ 陸軍科学研究所秘密戦資材研究室の設置(1927 年)
3 満州事変期(1931 年 9 月~)
〔1〕満洲事変と国際的孤立
〔2〕ドイツ再軍備(1935 年)・軍縮条約失効(1936 年 12 月末)にともなう世界的な軍拡競争
→ 世界的に〈秘密戦〉が活発化
4 日中戦争期(1937 年 7 月~)
〔1〕対中国だけでなく対欧米〈秘密戦〉が活発に
→ 中国を支援する英・米・仏・ソ連に対する防諜・諜報戦(上海・香港などが舞台に)
〔2〕参謀本部第 2 部第 8 課(大本営謀略課)の設置(1937 年 11 月:課長・影佐禎昭大佐)
→ 中野学校と登戸研究所を実質的に指揮する中枢の成立
→ 秋草俊・福本亀治・岩畔豪雄らの主導で後方勤務要員養成所設置(1938 年 1 月)
〔3〕憲兵・特務機関を中心とした〈秘密戦〉の遂行
→ 登戸研究所(陸軍科学研究所登戸出張所)の機能強化(1939 年~) → 三科体制に
→ 中国に対する通貨謀略戦(偽札散布)も実施(1939 年~)
5 第 2 次世界大戦期(1939 年 9 月~1945 年)
〔1〕日ソ関係の緊張にともなう〈秘密戦〉
→ 通信諜報の発達、白系ロシア人・朝鮮族をスパイとして潜入させる
〔2〕日独伊三国同盟の締結(1940 年 9 月)、対英米関係の緊張にともなう〈秘密戦〉
→ アジア諸国・地域別の〈秘密戦〉の展開(1940 年 8 月:陸軍中野学校設置)
→ アジア太平洋戦争開戦前から北米・アジア・太平洋各地にスパイ配置
〔3〕アジア太平洋戦争にともなう〈秘密戦〉
→ 陸海軍は在米日系人にまぎれこませてスパイを潜入させる(日系人隔離でスパイ網壊滅)
→ 外務省は中立国人を雇ってアメリカに潜入させた(東工作)
Ⅲ アジア太平洋戦争末期の〈秘密戦〉
1 潜入・残置工作員の配置(中野学校出身者)
〔1〕対インド工作
→ 開戦前・緒戦期:第 25 軍のF機関(藤原岩市少佐)が担当、インド国民軍を組織
→ 岩畔機関(岩畔豪雄大佐)の設置(1942 年 3 月)
インド独立連盟本部(バンコク)、インド国民軍司令部(シンガポール)、闘士養成学校(スワ
ラジ学院)、対インド宣伝ラジオ放送、インド人工作員のインド潜入
独立連盟幹部と国民軍幹部との内紛、ビハリ・ボースと現地インド人との対立
→ 光機関(山本敏大佐)の設置(1943 年 3 月)
チャンドラボース来日(5 月)、自由インド仮政府樹立(10 月)、自由インド国民軍最高指揮官に
インパール作戦(1944 年 3 月~7 月)に呼応してインド国民軍も進攻、工作員潜入
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明治大学平和教育登戸研究所資料館 第4回企画展 記念講演会 2014 年 1 月 11 日
〔2〕残置工作員の配置(1944 年~)
日本軍後退に対応して、後方攪乱・連絡のためにビルマ、フィリピン、中国、太平洋の島々に残
置工作員を配置(主に中野学校出身者)
2 沖縄における〈秘密戦〉
〔1〕第 32 軍(沖縄守備軍)の新設(1944 年 3 月 22 日)と急激な増強(7 月~9 月)
〔2〕沖縄本島に 2 個(当初は 3 個)師団+ 1 個混成旅団を配置
第 62 師団・第 24 師団・独立混成第 44 旅団
独混 44 旅団の第 2 歩兵隊(宇土武彦大佐)=「国頭支隊」
→ 沖縄本島北部の国頭地区で〈秘密戦〉・遊撃戦を担当
→ 米軍上陸後、遊撃戦を展開(防諜作戦として一般住民をも殺傷:大宜味村渡野喜屋)
Ⅳ 本土決戦と〈秘密戦〉
1 本土防衛から本土決戦に
〔1〕本土での「決戦」構想の出現
サイパン陥落直後の「陸海軍爾後ノ作戦指導大綱」(1944.7.21)
→ 本土での「決戦」を一つの選択肢として決定
→ その他に比島方面、「連絡圏域」=沖縄・台湾方面、千島・北海道方面での「決戦」を想定
→ 1944.10 を目途として「決戦準備ヲ概成スル」とした
〔2〕本土での作戦準備進捗せず
南方資源地帯から日本本土への海上輸送路が脅かされ、本土の物資不足深刻に
東部軍司令部は 10.13 にようやく沿岸築城(砲台・レーダー基地)の開始を命令
〔3〕例外的に進展した部門
「松代大本営」建設工事
「風船爆弾」の開発と実戦投入(当初は生物兵器=牛疫ウィルス搭載を予定)
→ ただし、「風船爆弾」は〈決戦兵器〉ではなく、後方攪乱のための〈謀略兵器〉
〔4〕「レイテ決戦」(捷一号作戦)の発動(10.18)により、〈本土決戦〉準備はさらに遅延
2 本土決戦準備の本格化
〔1〕「レイテ決戦」断念後、〈本土決戦〉準備は本格化
「帝国陸海軍作戦計画大綱」(1945.1.20)
「皇土特ニ本土及朝鮮ノ作戦準備」を「本年初秋迄ニ概成ス」と決定
〔2〕本土決戦作戦計画の策定
大本営陸軍部「国土築城実施要綱」発令(3.16)
→ 1945.7 までの全陣地の骨格完成、1945.10 までの完成を命ずる
大本営陸軍部「決号作戦準備要綱」発令(4.8)
〔3〕本土決戦のための兵力総動員
敗戦時、陸軍は内地・朝鮮に 294 万の兵力を展開
→ 新たに 150 万人を徴集・召集して部隊を編成(装備劣悪・練度も低い)
→ 内陸防御作戦から次第に水際防御作戦へと逆戻り(第一線部隊は水際で「玉砕」想定)
→ 総司令部(大本営)のみ松代へ後退
〔4〕本土決戦の労働力・補助兵力総動員
義勇兵役法の公布(6.23):国民義勇隊・国民義勇戦闘隊の組織
3 本土決戦準備の実態
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明治大学平和教育登戸研究所資料館 第4回企画展 記念講演会 2014 年 1 月 11 日
〔1〕特攻兵器の生産と出撃基地(沿岸部)の建設 → 「震洋」「回天」「伏龍」など
〔2〕作戦用道路・飛行場の建設 → 関東地区「リ号演習」
〔3〕沿岸部での陣地構築
〔4〕軍司令部機能・軍需工場の内陸部移転
→ 特に長野県・群馬県
陸軍登戸研究所などの「秘密戦」研究部門、中野学校など「秘密戦」実施部門も
4 決戦準備と〈秘密戦〉関係諸機関の疎開・移転
〔1〕登戸研究所の疎開(1944 年末~ 1945 年 5 月)
電波兵器(レーダー)関係 → 多摩陸軍技術研究所(多摩研)に統合
本部・第二科・第四科 → 長野県の伊那郡(現・駒ケ根市)
第一科(電波兵器)→ 長野県北安曇郡・兵庫県(関西分廠)
第三科(偽札)→ 福井県武生(和紙製造)、印刷工場は登戸に残る
〔2〕陸軍中野学校
教育の重点を遊撃戦研究に(1943 年 8 月~)
静岡県二俣町(現・天竜市)に二俣分教場(分校)を開設、遊撃戦幹部の養成(1944 年 8 月~)
本部も群馬県富岡に疎開(1945 年 3 月)
5 本土での〈秘密戦〉の準備
〔1〕遊撃戦の準備:『遊撃戦戦闘教令(案)』の作成
→ 敵中潜入・奇襲・陽動・謀略工作・後方攪乱などを主たる目的
薬物・細菌・時限爆弾(焼夷弾)などの使用
〔2〕登戸研究所における遊撃戦準備
第二科・第四科では、遊撃戦用の簡便な携帯兵器の開発・製造
末期における重点開発課題:
◎研う:何にでも充填できる粘土状の爆薬
◎マルケ:熱線(赤外線)誘導式の爆弾
◎く号:怪力光線・怪力電波
◎細菌兵器
大量の石井式濾過器濾過筒を伊那地区に搬入 → 細菌戦の準備か
〔3〕登戸研究所(研究開発)と中野学校(人材養成)の融合
→ 本土決戦に際しては、〈秘密戦〉関係機関は、地理的にも接近し、開発・製造・実戦が融合
する体制になりつつあった。
登戸研究所が北安曇・伊那、中野学校が二俣・富岡 → いずれも松代を防衛する拠点
おわりに
〔1〕戦争・〈秘密戦〉の記憶を残す重要性
〔2〕明治大学中野・生田キャンパスで戦争を語り継ぐ意義
65歳以上が、4人に1人働いている!!
年金では暮らせないほど搾取されている!!
殺戮からは何も生まれない!!
まだ血を流すつもりなのか!!
八ヶ岳(やつがたけ、八ケ岳とも表記される)は、諏訪湖の東方にあって長野県から山梨県へと南北に連なる火山。日本百名山の一つ。
「八ヶ岳」は特定の一峰を指して呼ぶ名前ではなく、山梨・長野両県に跨る山々の総称であるが、その範囲は「夏沢峠以南のいわゆる南八ヶ岳のみ」「南八ヶ岳及び北八ヶ岳の領域(蓼科山を除いた領域)」「蓼科山まで含んだ八ヶ岳連峰全体」など様々な定義がある。日本百名山でいう八ヶ岳は南八ヶ岳のみを指す。
八ヶ岳は北の蓼科山(標高2,530m)から南の編笠山(標高2,524m)まで南北約25kmの距離におよそ20の峰が連なる火山列である。また、その周囲の南北60km、東西25kmの範囲に火山噴出物がみられる。最高峰は赤岳(標高2,899m)。
南北に長い八ヶ岳は夏沢峠を境界として北八ヶ岳と南八ヶ岳に分けられ異なる山容を示す。
北八ヶ岳の山々は、山頂部は比較的なだらかな峰が多く溶岩流や溶岩円頂丘などをよく残しており、山麓部はひだ状に開析された火山麓が広がる。
北八ヶ岳では樹林帯が山稜近くまで続き湖沼も点在する。
一方、南八ヶ岳の山々は、山頂部は侵食作用によって切り立った峰が連なり、山麓部には巨大な扇状地が取り囲んでいる。
南八ヶ岳には急峻な地形を利用した日本有数のロッククライミングの岩場があり、また冬場は氷瀑のアイスクライミングでも知られる岩稜が中心となっている。
これらのほとんどの領域が、八ヶ岳中信高原国定公園に指定されている。また一帯は、火山地帯のため、多くの温泉を有している。
火山としての八ヶ岳は歴史時代、確実な噴火記録は残っていない[1]。しかし、古文書にある888年(仁和4年)の災害を、天狗岳の山体崩壊で発生した大月川岩屑流の発生と関連する火山活動と推定する仮説がある。
山体崩壊の原因は噴火とも地震とも言われているが、地震、噴火とも今もって全く証拠が見つからず、大きな謎になっている。また歴史上の記録には残っていないが、北横岳には地質的に新しい溶岩噴出があり、最近の研究では600 - 800年前の噴出と見られている。
八ヶ岳の1200m位までは高原野菜が栽培され、また牧場が広がりその上に広葉樹林、針葉樹林、雑木帯、お花畑、荒々しい岩稜へと続く。[4]広大な裾野には、東側の清里高原や野辺山高原、西側の富士見高原や蓼科高原などが広がっており、夏の冷涼な気候を利用してレタスやキャベツなどの高原野菜の栽培が行われている。山梨県、長野県にまたがるその裾野は、諏訪盆地、佐久盆地、甲府盆地へと広がっている。
山麓には伏流水が湧くため、特に西南側の裾野一帯にかけて縄文時代の遺跡が濃密に分布する。長野県側では井戸尻遺跡や尖石遺跡がある。山梨県側では縄文草創期の神取遺跡(北杜市、旧・北巨摩郡明野村)や青木遺跡をはじめ、諸磯式期の天神遺跡(旧・大泉村)がある。縄文中期には拠点集落が山麓地域から甲府盆地へ移るが、八ヶ岳山麓でも敷石住居群が見られる上ノ原遺跡がある。後晩期には全域的に遺跡数が減少するものの、金生遺跡(旧大泉村)は集落跡と祭祀施設が複合した遺跡で、縄文時代の精神文化が現れた配石遺構が見られる。
なお、「八ヶ岳」の由来は、「八百万」などと同じように、山々が多く連なる様子から「たくさん」という意味で「八」としたとも、幾重もの谷筋が見える姿から「谷戸(やと)」にちなんで名づけられたとも、文字通り八つの峰に見えるからとも、複数のいわれが存在する。
奴らは、なりふり構わず「何でもあり!!」と、昆虫食、そして猛毒蚊に人々を襲わせる準備をしています!!
腑抜の政府は、奴らの言いなりです!!
自分どころか家族さえも、守りません!!
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新型コロナを証明した論文はありません!!
公的機関のコロナ情報はすべて嘘です!!
新型コロナは存在しません!!
ワクチンには予防効果はありません
発症効果を防ぐ効果もありません!!
重症化を防ぐ効果もありません!!
ワクチンの中身の正体は
酸化グラフェンによる血栓と、M-RNA修飾ウリジンを使った遺伝子組み換えで免疫破壊!!
この二つを主体に貴方の身体を徹底的に破壊する遺伝子組み換え兵器です!!
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ワクチンや食品に含まれる社会毒を排泄、無毒化する!!
松葉茶・ヨモギ茶・琵琶種粉末・ムクナ豆粉末
ビタミンB2・ビタミンC・ビタミンE・コエンザイムQ10
納豆・ニンニク・ゆで卵・ゴーヤ・トマト・ブロッコリー
きのこ類・梅干し・胡麻ナッッ・オリーブオイル・寒天
シソ・ショウガ・ワサビ・沢庵・ヌカズケ
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非加熱の塩・味噌・アーモンド・クルミ
フルーツ、海藻類
nRNAワクチン汚染は、想像以上に深刻です!!
スパイク蛋白質が人類の免疫力を削いで成人病を引き起こさせて次に「癌」にしてしまう!!
コロナデトックスは~
納豆キナーゼ・ブロメライン・クルクミン
新型コロナウイルスが存在することを証明した人は世界に誰一人としていません!! コロナは嘘です!!
それを政府も厚生労働省も「新型コロナウイルス」と呼びます!
病原体を説明することが出来ないものに対してワクチンを作れません!!
遺伝子の確認も病原体を証明しないとPCR検査も作れない!!
政府厚生労働省とマスコミと医師会のいうことは全ては嘘なのです!!
スパイク蛋白質を体内から除去して発症を遅らせるのは
納豆キナーゼ・ブロメライン・クルクミン
マイケル・イードン博士(元ファイザー社副社長)
初回接種者の内0.8%は、2週間以内に死亡する。
即死しなかったとしても、接種者の見込み寿命は2年である。
これは追加接種によって短縮する。
数十億人がもだえ苦しみながら死ぬことに成る!!
このワクチンの接種者は天寿を全うすることはない。
生きながらえる期間は、長く見積もっても3年である。