1.歌舞伎の一幕版画
和田左エ門義盛氏だと思えるが・・・
和田 義盛(わだ よしもり)は、平安時代末期から鎌倉時代初期の武将
鎌倉幕府の御家人で、初代侍所別当 三浦義明の孫にあたり
三浦氏の一族で源頼朝の挙兵に参加しました
鎌倉に頼朝の初期武家政権がつくられると初代侍所別当に任命
治承・寿永の乱では源範頼の軍奉行となって 山陽道を遠征し九州に渡り 平家の背後を遮断しました
平家滅亡後は奥州合戦に従軍
頼朝死去後は 梶原景時の変での景時弾劾追放の中心的な役割を果たしました
その後の比企能員の変、畠山重忠の乱といった一連の御家人の乱では北条氏に与したが
北条義時の挑発を受けて挙兵に追い込まれてしまい
幕府軍を相手に鎌倉で市街戦を展開したのですが 敗れて討ち死にし 和田一族も滅亡したそうです
左下に 版木元 「坂本町 川口板」 その左は 摺った方の名前だと思います
右下に 和田左エ門○盛とあります この○が「義」ではないかと思います
2.鳥
絹のような布に直接かかれたものです
おられて入っていたので 折り目がついています
アイロンをかける 自信が無いのでそのままにしてあります
右横に烙印があるのですが 「波登麻呂(麿)」と読めます
佐脇波登麿という方はいる(烙印などは確認していません)
1853年-1922年 佐脇源好の子として京都丸太町に生まれ
土佐光文に画を学ぶ 明治19年、東洋絵画共進会で三等褒状
明治22年、パリ万博に出品、銀牌を受ける 明治40年頃渡欧