風がヴギウギ

自由気ままな風の様に毎日を切り取っていく

朝焼け小焼け

2012年08月29日 | 日常ヴギ

昨日 起きた時 窓の外が黄金色に染まっていました

僕が起きるのが 時なのですが

カメラを片手に窓越しに撮ろうとしたときには 輝きをなくしてしまっていました

ちょっとのところで 残念・・・

今日も少し 輝いていましたが 昨日ほどではありませんでしたね

ふと 昨日から 動揺や詩に 「夕焼け」を詠った作品は多いのですが

改めて 「朝焼け」を詠った作品があるか 興味がわき調べてみました

「金子 みすゞ」さんに  「大漁」という詩がありました

この詩は「童謡」という雑誌に応募し 西条八十氏に認められた「金子みすゞ」さんの出世作だそうです 

「大漁」 

朝焼け小焼けだ
大漁だ
大羽鰛の
大漁だ

浜は祭の
ようだけど
海のなかでは
何万の
鰛のとむらい
するだろう。

人間は大漁だ 大漁だと騒いでいるが

海の中では 食べられてしまう鰛の葬式が行われている

*魚というか 食べ物に感謝しなさいということですかね・・・

「朝焼け夕焼け」   

『まざあ・ぐうす』の詩を 北原白秋が訳したものです

   朝焼け小焼け、
   ひつじかいの気がかり。
   夕焼け小焼け、
   ひつじかいの 後生楽(ごしょうらく)

「後生楽」とは 心配事も苦にしないで、のんきなこと

ちょっとした事が 新しい扉を開きますね

なんといっても 興味がある事は すぐ調べないと ボケちゃいますからね


 

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森田屋 古物語 「ちゃぶ台」

2012年08月29日 | 田舎ヴギ

「ちゃぶ台」

卓袱台(ちゃぶだい)と書きます

四本脚の食事用の座卓で 多いのは方形や円形です

脚が 折畳みができるものが多いです

何となく 四角とは違い 上座・下座という上下の関係が あまり感じられません

昭和初期の家族の団欒を象徴する品物です

表面に赤漆が塗られていましたが 傷みがひどく 修復できないので

表面を削り取りました・・・

下場については 黒漆が塗られています

*後ろに 以前紹介した欄間があります 今は 下に置いて楽しんでいます

折りたたんだ脚の 一脚に補修のためのガムテ-プが貼られています

これも 一つの歴史なので はがしていません!

 

脚はまだ まだ 動きます

脚 横に倒れている板を上げて 四方の脚を固定して出来上がりです

 

*ちゃぶ台というと 「巨人の星」の一徹とうさんを思い出します

昭和の一般的な家庭の 本当に象徴でしたね

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金閣寺は なに寺なの???????

2012年08月28日 | 日常ヴギ

 

先日 法事の最後に住職から こんな講話がありました

以前 朱印帳を持参した若い女性達から 

文字が読めないので読んで欲しいと頼まれたそうです

僕の家にも昔からの朱印帳がありますが 

やはり 手紙と一緒で読めないところが多々あります

*この朱印帳も何時の日か紹介していきます

その寺の名は 「蓮華王院」と書かれていたそうですが

 聞いた女性達は行ったことも無い寺だ・・・という反応

住職は ここで初めて気付き説明してあげたそうです 

三十三間堂に行ったことがありませんか」と・・・ 

三十三間堂の正式名称が「蓮華王院本堂」です 

その話しを聞いたとき女性の  「あ-------------」という声が聞こえてきそうでした

僕達は お寺を正式名称ではなく 

一般的な通り名で覚えていることが多いんですね

つまり人で言えば 愛称のようなものですし こんな事 考えても見なかったです

金閣寺 正式名称は鹿苑寺 相国寺の塔頭寺院の一つだそうです 

舎利殿の「金閣」が有名なために 「金閣寺」と呼ばれています

銀閣寺 正式名称は東山慈照寺 相国寺の塔頭寺院の一つだそうです 

銀閣寺の由来は江戸 時代に 金閣寺に対し銀閣寺と呼ばれたのが始まりのようです 

西芳寺とは どこだと思います 「苔寺」です

お正月等になるとテレビでよく見る 「成田山」山の名前で覚えてますが 

本当は「成田山新勝寺」といいます

因みに 「清水寺」は「清水寺」です 音羽山とはよばないでしょうね

僕が物知りではなく 話しを聞いたので調べてみました・・・

日常 当たり前と思っている 「こと」で間違えていることって沢山ありますよね

「もう一度 真実を見詰めなおしなさい」という 教えですかね・・・

*むかぁぁぁし 三号が小学生の時

「暑さ寒さも彼岸まで」とは どんな事か聞かれて

「暑いのも 寒いのも 死んでしまえば解らない」と答えたのをきいて爆笑しました

今でも 語り草です

小さいながらに 彼岸の意味は何となくわかっていたのでしょうが

使い方が違ってしまったようです

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昔 玩具 チョコエッグ戦闘機  vol10 番外編0戦

2012年08月28日 | 蒐集ヴギ

番外編
1.零戦
 

零戦は太平洋戦争初期には米英戦闘機を凌駕し

米英パイロットからはゼロファイター」と呼ばれていた

第二次世界大戦において 大日本帝国海軍の艦上戦闘機が 零式艦上戦闘機である

零戦(ぜろせん、れいせん。“ゼロ戦”とも)と呼ばれている

零戦の性能は 太平洋戦争始め 2200kmに達する長大な航続距離と

20mm機関砲2門の重武装 

優れた格闘性能によって恐れられていた

 

 

 

2.F4U-1D コルセア 

米国 チャンス・ヴォ-ト開発

第二次世界大戦・朝鮮戦争で 米国海軍が使用した戦闘機

初陣で零戦「セントバレンタインデーの虐殺」と呼ばれる敗北を喫した

日本側搭乗員からF6Fは手強かったという証言が多かったのに対し

本機はそれほど苦手意識は持たれていないとのことである

 

 

 

 

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曾良庵の許に・・・  ペンダント

2012年08月28日 | 曾良庵ヴギ

少し前に 良叔母さんから 祖父祖母の小物や写真を送ってもらいました

今回は ちょっと変わった紹介となります・・・

1.合わせ化粧小物

言い方が解りませんが 現代的にいうと ペンダント

大きさは 写真がほぽ実物大です

始め見たときは何だろうと驚きました 開くと・・・ 

写真が入っていました きっと 左側にも誰かの写真が入っていたのでしょう

外国で言えばペンダント 日本はまだまだ着物が生活着だったので

この様な物を 帯の間とか 着物の胸元に入れていたのではないかと思います

祖父と祖母は 暫く 米国に住んでいました

というか 結婚は親が決め 祖父にしてみれば 

米国の港で始めて自分の妻と会うという 映画の様な話なのです

 

祖母は 一人で船に乗り 米国に行ったそうです

船旅は 1ヶ月くらいかったのですかね

この時代 相当な勇気があったと思います

米国に渡る パスポ-トの写真着物姿でしたが

流石に 向こうの生活は洋服で 180度違う生活だったようです

*写真のポ-ズを取らしているのは 祖父らしいです

 

まだ 書き終わっていませんが 祖父祖母の米国での出会いを想像し

物語を作っています

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