pretty woman story again

本と花と映画と音楽、
ドラマに私自身の物語、
華の 80 歳にあと1年🌹
(´∀`*)ウフフ

@バラ (d) 光る君へ @パンジー&ビオラ@虎に翼 (s) 再会♬ @マーガレット@ベゴニア@ラベンダー@ゼラニューム

2024-05-24 | #日記

2024/05/24

このように美しく咲き揃ってるビオラを私はどうしても切り戻しはできなかった、だってこの花のどこに切られなければ

ならない理由があるというのかしら?好みだから仕方がないけど、種にする手もある、私は種にしてるけど、

 




2024/05/24

朝露に濡れて俯いて咲いたバラ、日差しに花弁が透けて見える様が私には気に入った、この花に相応しい話がいつかある

と私は待っていた、今日(05/26)のために咲いてたのだ、光る君へは脚本家さんの自由奔放な捉え方で、それはそれで

物語として私は集中してる、その私の気力が諸出しだからかもしれないけど、子も連れもさっさと大河から逃げる(笑)

 

それでいいのよ、私は独りで楽しみたいんだから、その時の寄せ付けない空気はきっと伝わってるんだ、そしてオトコは

その面倒なやり取りを物語として理解するのは御免こうむりたい!というのが本音だよね、史実は度外視してるしさ、

これは明らかにラブストーリー仕立てになってる、オナゴ好みの話を、源氏物語から拝借して再編成してる、

そこが私には面白いと思えるんだからいいじゃない?そして平安という時代を興味深く構成してる脚本家さんのチカラ

これって好きよ、今回は激しい展開で、でもその出演する、そうだったであろう個人を表現してることには、名をみて

想像させる意味合いは十分にあると踏んだ、

 

道長のセリフがいい「お前の文字は分かる」これって愛の告白以外の何物でもないと私は思ったわ、 つづく

 




2024/05/24

若いころ瀬戸内晴美さんの”美は乱調にあり” という小説を読んだことがあったけど、この咲き方は、そういう感じだわ

伊藤野枝さんの激しくも愛を欲しいままに生きて、その出会いは多くの女性の価値観を変えて、一歩も譲らず自身の人生

を全うした印象的な一冊だった、手元にはなく北国の本棚で読まれるのを待ってるような気はするけど、

パワフルなぉ姉さん達だったなぁ、作中人物も作者も、あるいは読者もかしら?(´∀`*)ウフフ

 




2024/05/25

パンジーもまだまだ咲く気まんまんですよ、だから私は決めたのよ、咲きたいだけ咲いてちょうだい!後の事は任せて、

これって花を増やす王道からは遠いけれど、花が好きでたまらな~い私には、こっちの方が性分に合ってるのよ、

ところでこの花、怒ってるように見えるんだけど?

 

八戸高校から転校する時、父方実家の意向は女子高だった、そこに申し込んでおいたので転校は決まっていた、そりゃ

父の赴任先が変わったわけじゃなくて母の意向で転居して、父は単身赴任だったのだから、父の代わりに父方実家が、

良かれと思って動いたのだ、私もそんなもんだと思ってた、父方実家に住んで近くに家が建つまで待機状態だったので

 

母方実家では叔母が率先して「今時は男子校にもオナゴが入ってるらしいから申し込んだら、転入試験を受けてだと」

「男子校って叔母ちゃん!私はれっきとしたオナゴだよ」と言ったら「ダメで元々だべ~受けてみる気になれ」とハッパ

をかけられた、まあね、受けるだけならとのことで祖父が同行した、これも何度も書いたけど、今思うことがあるのでね

 

その時どうして両親は意見を言わなかったんだろうと思ったのよ、男子校なら父の母校、女子高なら母の母校の後輩と

(両親の時代は旧制中学と高等女学校だったけど)今更、そんな事を何で考えたかというと、女子高に行ってたら、

もう少しはオナゴらしくなれたのかなぁと思ってね(笑)

 

オトコは私の周りにはいつもいて、ずっと共学だったし、だから対等な関係だと思い込んでいた、女子高だったなら、

少しは可愛げのあるオナゴになれたんじゃないかと悔やまれるのよ、

悔やんでみたって所詮、生まれ持った性分は変わらないわけだけど、どうも納得がイかない事が多すぎて今更 Jiro ~♬

それに可愛げのあるオナゴとよく言うけれど、それってオトコに都合のいいオナゴという事よね、

なら私の主旨には反するからやはり男子校で正解だったのかな?割合は少なくとも共学だったしね、今じゃ五分五分だよ

 

夫婦は対等だと思っていたけど全然対等じゃないし、意見を言えば「そういう考えだから#$%&”&%$#‘*+*”」と

イチャをつけられるし、なんだか「不満が募ります~♬」の状況が多かったのでね、

さすがにそう言われることに飽きてきた、会話をしたくない、やはりオトコはオトコらしく、オナゴの言い分を聴く位の

余裕と度胸が欲しいもんだ、ここまでは引き下がってきたけど、面倒くさいのでね、

沈黙に変えてきた分だけストレスが溜まっちゃった(´∀`*)ウフフ そこで私は考えた、先がもう長くないんなら思いの儘に

過ごしたい!オナゴがオトコの思い通りになる時代は終わったのよとうちのオトコに言いたいわ、

 

何故かというと「あなたは正論が過ぎて(これも前に書いた)どうも嫌われてるらしいよ、妹達にも娘にも」まあ何に

困ってこんなアホらしいことを言うのか、そういう【D】も【D】だけど(笑)

 




       2024/05/24

西に向けてる鉢のビオラの後ろ姿の美しさにはまいりましたよ、花弁は西日に透けて花脈を見せて・・・(´∀`*)ウフフ

          

           NHK 朝ドラ

この花を見てるとこのシーンを思い出す、

今回の朝ドラは私の言いたいことを代弁してくれて、とても嬉しい、待ってたのよ、遅すぎると思うほどよ、

私たちの時代にも同じように親の理解があって、オナゴでも資格を持ってた方がいいと授けてくれた、その大事な資格を

活かせなかった私としては聊かどころか大いに言いたいことはある、

 

ドラマでは、連れの実家に転居しなきゃならないから職に就けない、オナゴが勤めてるんじゃオトコが不自由だ、子は誰

が育てる?依頼人が「オナゴの弁護士じゃ~ちょっと~」と言うから仕事が回ってこない、オナゴを弁護するなら勿論

オナゴがいいに決まってる、繊細な思いや、重なる苦労や、その連れの身勝手などはオナゴにしか分からないべ?

 

オナゴも怖いからね、如何にもと同情をひきながら、突き詰めたら自身の不覚を正当化しちゃう場合もあるという、あの

オナゴの表情は刺激的だった!「してやったり」と言わんばかりにドヤ顔してた、まあ弁護士さんもすっかりだまし討ち

にあったようなもん、孫を取られたぉ爺ちゃんの悲し気な表情が忘れられない、正義って何?

 

オトコの方が優秀だと誰が何をもってして決めるんじゃ? 時代がそうだから、初めてのオナゴ弁護士だから致し方なし

それは思わないでもないけど、あのようにあからさまに敬遠することなかったじゃない?

 




2024/05/24

それに今朝のシーンには泣きましたよ、戦争にゆく夫をおくる寅子ちゃんへの、その夫の健気なセリフは本当に優しい、

私は昭和 20 年生まれですから 19 年の話は身につまされました、亡母は亡父を戦地に送り、私を産んで、婚家に住んで

そこから勤務先に通って、私は祖母や伯母や従姉達(なにせ伯母と亡母は親子ほどの年の差あり)にも育てて貰ったから

実感しましたよ、あの大家族の様子は正しく私が経験したであろう人々たちの暮らしの中にあったことを、

 

「寅子ちゃんがしたいようにしていいんだよ、出来るようになったら弁護士でもなんでもいいんだし」世のオトコたちは

それを観てどう思ったのかしら?

よもやそんなしゃれた言葉を、亡父が亡母に言ったなんて想像もできないけど、今思えば亡母の人生も、あの時代の魁の

ような気がしてきた、祖父の考えは正しかった「◎美、オナゴでも資格は取っておけ」と、

 

同じ仕事をしても、家庭での協力がなきゃできない相談というもんです、努々「子育ては誰がするの?家庭のしわ寄せは

ごめんだよ!」などと言ってはならない、

笑わせるんじゃない、家庭の”しわ” ってなんだよ、今なら堂々の応戦もする処だけど、私たちに”専業主婦” だなんて名付

けておきながら、ホントに都合のいいように扱ってくれたよね、それはしつこいけど、50年経った今でさえ、いや ̄ーー

今だからこそ怒り心頭だよ、夜更けのオナゴの遠吠えでした!負け犬じゃないけど(笑)

 




2024/05/24

花の数だけ話をしようと思って自分に課して、何か愉快な話はないものかと、同級生の電話やテレビや新聞、雑誌やPCと

そりゃあ婆なりに工夫してるんです(^^ゞ 生きてきた分だけ何かはあるので、ネタが転がり込んでくれば出来ると思う

昔話は休憩して今の話を少しと思ってたら、ずっと同じ学校で過ごしたオトコ友達からの電話、転がり込んできた!

ぉ―――ぉネタが頂けますの?と邪心を持ちながら(すまん!何時もの事ゆえ)「どうした?何かあった」とさり気無く

なにせ 17 からの知り合いでざっと数えりゃ 62 年、その間には其々が生きてたわけで、しなけりゃならない事は一通り

お互いに遠くで過ごして、話をするじゃなし、同級会で「おーーー元気そうだね」と、よくある距離感で、

 

オトコとオナゴの友情は成立するかと問われたら、同級生に関しては友情以外のなんの思いがあるでしょう(笑)

オトコが9割、オナゴが1割の学校で、呼び捨てで過ごしたんですから、当然、面倒くさい話はあるはずもない、

言ってみればオトコ達にしたらオナゴ達はぉ姉ちゃんのような存在でしたよ(^^ゞ

 

その弟のような存在の(仮に Bとしときましょ)B は長年独り身で過ごしてきて、人が良くて自分が大事で親が好きで

まあ、申し分のない生き方をしたオトコです、でも残念なことに末っ子の甘ちゃんでしたので自立はしてなかった!

 

そういう生き方を選んでしてきたから免疫はない、それがあろうことか「俺、すきなひとができた」え?もう一度言って

と言うくらいボソッと、想定外の事なので2度聞きをしたくらい、

「そっか~そういう事もあるんだね」まあ独り身なんだしぉ相手がぉ独り身ならいいじゃない?「私の知ってるぉ方?」

驚きました、ぉ独り身になられて2年目の、あの同級生の奥方だった方でした、

物語だってそうはうまくはイかないでしょうよ、でもまあ東京から地元に嫁に来て、子らが大学進学と同時に子ら共々

実家に帰った方で今は東京、知り合って何十年も経つぉ方です、そういう事もあるかも、遠距離なんとかということよ

遅れてやってきた青春!と思えばいいんじゃない?吃驚したわ( ゚Д゚)

 




2024/05/25

 

再会 金子由香利

大好きだった、CD2枚組を毎日聴きながら家事育児に専念してた 30 代、せめて現実から距離を置きたかったのね、

この上なく充実してた、自分で言うのも何だけど、これでも素敵!な一瞬もなかったわけじゃないのよ(´∀`*)ウフフ

だからオナゴは頑張れる、それが癇に障ると連れが言い続けるのもどうかと思うわ、ほんの戯言なんだから、

 

君にも覚えはあるはずよ、そのお相手に直に私は聞かされたんだから「飲めないのにバイクでバーに来てくれて、帰りに

は二人乗りで送って貰った」と、あの頃~君も~~~若かった~♬

臆面もなく言うオナゴもオナゴだけど、その程度のオナゴがぉ相手だったのね、私は苦笑した、こっちは(私よ私)

子育てという崇高な仕事を熟してた時よ、子を思う母心には適うまい!まあ私もノーミスとは言わないけど、潔く認める

恍ける様な卑怯な言い逃れはしない(笑)

 




202405/25

マーガレットが再び咲き始めた、今回の方が力強くて蕾も多いので楽しみよ、せっせと可愛がろうっと!

「年長の方は好きな事をし乍らボー―ーッと過ごしてりゃ一日が終わるんだもの、気楽でいいじゃない?」風な言われ方

をよくする「まあね、確かに言われる通りではありますよ」 そこで言い返すなんて野暮なことはしない(^^ゞ

無駄な抵抗をするほど、仰る通り若くはないですからね、けれども、今まで培ってきた意欲はまだまだ残ってはいるのよ

だから、そう仰ってる若者たちにも分かる時は来るとは思うけど、そういう言い方はあまり感じよくないなぁ、これでも

感性は意外と鋭いかもよ(笑)

 

僻みっぽくはならないぞ、とか、暗くて重い雰囲気は差し控える、自分の格好を振り返る、一日のうち何かしら意味深い

時間を過ごす、新しい見聞をして記憶する、静かに挑戦することを辞めない、自身から発する言葉をきちんと選ぶ、

横柄な言動は控える、ぉひとの触れるなアピール(それはこっちの勝手な判断で申し訳ないけど)には敏感に察知して、

けっして触れはしない、決められた作業はきちんとし、例えば少しは手抜きをしながらでも続行する etc.

 

こうして羅列してみると結構マジに過ごしてるじゃない?世の中の役に立たない類に括られたからって、落ち込むこと

なく今迄通りに存在感を大事にしてると思えば、年長者も、頼まれてるわけじゃないけど(´∀`*)ウフフ 恐縮しながらも、

ぉ邪魔しないようには意識してるんじゃないかなぁ、

 

でも無理は禁物だから、ほどよく自身を休ませながら、あやしながら進んでいく方がいいかな?無理を重ねて私のように

長く長く休養しなくちゃならなくなったら元も子もないから、休みながら進んでゆきたいと思う、

 

そして何より自身が楽しくなきゃイケないの、その為には見聞は広くと思ってる、それは文化芸能は勿論の事、活字、

電波、なんだっていいじゃない、何かを吸収しながら in out を繰り返してたら、時は~~過ぎて~~ゆく~~♬

 

時は過ぎてゆく.

 




2024/05/25

ベゴニアも冬を越え花も増え始めた、鉢に半分しかなかったのにいっぱいになる位に、

 

花と共にの与太話は順調ですけど退屈かしら?私は自分の経験した事だから懐かしさも込めていられるから楽しいけど

朝ドラじゃないけど、オナゴがオトコに屈してたあの頃と、よく話題にされるけど、私がこの目で、耳で、その場所で

それぞれの年代の集いで感じたことは、言われてたほどオナゴは軽視されていなかった、

”農家” という環境がそうだったような気がしないでもないけど、オトコもオナゴも同じように働き、少しはオトコの方

がえばってなかったとは言わないけれど、

オナゴがそれでいいと思ってのことだから、一概にオナゴに生まれてminorだ!とばかりは思ってなかった、

 

母方実家でも父方実家でも、家業に関してはオナゴが仕切ってた気がする、双方の祖母、伯母たち、叔母たち、従姉妹達

むしろ大事にされたうえで責務は果たしてた、

家の行事をするにしたって、オナゴが動かなきゃ事は進まなかったもんね、当時は家での行事が多くて、その為の道具が

今じゃ考えられないほど用意されてて、今ハッと気づけば山ほどの道具をどうする?の体(´∀`*)ウフフ

 

部屋の間仕切りは、襖や障子などで仕切られてたから、客寄せの時にはバー――っと広げることが出来た造りとなってた

そのだだっ広い(失敬!)家を今はどうする?が悩みの種と言われてる、

昔は出前仕様がなかったわけじゃなく、料理屋に頼めば、法事も結婚式も葬儀さえ出来たということ、その分忙しくて

オナゴは大変だったけど、寄り合って全に料理を整えたり、座敷の準備は即座に出来、ぉ人様を招いての行事も殆ど自前

で済んでたものよ、

子供心にも(私よ、私)そうするものなのね?と覚えて育ってきた気がする、その時のシーンやぉ方々や、言葉や表情が

不意に甦ったりするから懐かしい、これも経験しなきゃ、それはそうじゃないとは思うけど、

 

今になってハッと気づいた現実に、継農した従兄弟姉妹たちのこれから解決しなきゃならないこと様々を思うと胸が痛い

勤め人の娘の私でさえ、大したことじゃない程度の片づけにさえ躊躇してるというのに、他にも同じ境遇の親族が多い

ので気にかかる、何せ私はどちらのぉ家でも幼い頃を過ごしたのだから、

 




       2024/05/25

ラベンダーもいい調子で蕾が・・・・風に揺れるのでなかなか撮りにくい、婆仕様のケータイなのでね、外れもあり、

折りをみて挑戦しましょう、楽しみよ、

 

H 子ちゃんが北の国の北の国から嫁に来て婚家の家の近くの病院で初出産した、初の里帰りに何故か私がぉ付き添いを、

私はまだ嫁にはいってなかったので暇だったということよ、

確か仕事先が冬休みだったので、そして元同僚の弟さんが、あの有名なススキノでバーを経営してるから寄ってきたら

と紹介されて、赤ちゃんをその祖母にお預けして H 子ちゃんと飲みに出かけた、20代半ばでしたよ、

 

何が気に入ったって BGM 無しで、そのマスターが静かに一人でテーブルを拭いていた、それがぉ顔もそうだけど清潔感

早めの時間だったけど、連絡はツイてたらしく店はオープンしてた、そりゃ、あの頃、流行ってたコークハイを、

氷が触れ合う音とぉ喋りの程よい声音のみ、彼には地元にあたる街の変化や、その兄の元気な様子を、職場では私たちは

「事務長!」と呼ばせてもらって親切にして頂いてたので話題には事欠かない、そういう飲み方が素敵だった!

恋の街~~札幌 ♬ とはならなかったけど、

 

今思うと今時(この言葉も現代を揶揄してるようでコンプライアンスに抵触するというけど、そんなつもりはないのよ)

の職場って、若者には面倒な時間外・交流は勘弁してよという時代、

私らの時代は「はいはい誘って頂き恐縮だわ!」と思いながら、楽しんでた気がする、その代わり、それぞれのお宅訪問

も拘りなく熟してたし、家族も知り合い、その先の代も知り合いのような環境だから出来たこと、

いいか悪いかはそれはその時、その時代の人たちが決めることではあるけど、面倒くさいなぁ~なんて思ったことなど、

なかった、ということは重荷でもなかったということよ、この件に関してはつくづく時代の賜物だったと私には思える、

 

そりゃ仕事はきちんと熟しましたし、上役の方々には礼を尽くすということは守りつつも、まさかため口じゃないけれど

丁寧語は使いながらも親しさはこめられていた、かの国のボスが仰ってた「change!!!」ということでしょうか?

 




2024/05/25

ゼラニウム ムーンライト セイル (ホワイト) が機嫌を直したらしい、毎日きれいな花を咲かせるようになった!

後ろのビオレは零れ種が咲いたので、この方法は他のビオレにも適応するんじゃないかと思案中、

 

花の分だけエピソード!!!  悪口雑言なら尽きることはないけど、まさか毎回それじゃ芸がないー―――ということで、昔話

どれほど続くか試してみます(^^ゞ

 

北国のあの街にも飲み屋さんが立ち並んでたらしくて、その中の一つの店に、野菜を卸してた父方・祖母がその礼をこめ

座敷に上がって客として飲んでた、ら、隣の座敷から聞きなれた若いオトコの声がする、

人に臆する祖母じゃないので声をかけた「一緒にどげですべ~?」まあ、「一緒に飲みませんか?」というぉ誘いですよ

私は「そこまではトンデモない!」と思うのですけど、明治のオナゴはそういう意味では度胸があって粋だーね、

そして襖を開けて入って来たのがその息子と同僚だった、どっちも驚いたでしょうけど、親子ですから似た者同士です、

「なんだって~あなだ(あなた)だったなが~」と「あら、なただったの?」祖母は言って、何事もなかったように宴会

は再開されたという、私はこの話が好きでね、何度も書いてるので、もしや飽きました? 

やはり私には昔話が似合ってる(´∀`*)ウフフ

 




 

 

 

 

 

コメント (2)
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