★ベトナム・ハノイは「こんなとこ」★

コネなし、金なし、能力なし。50を過ぎて、単身ハノイで会社を作り10年目。毎日「こんなふうに」すごしています。

ベトナムハノイの「犬を飼う資格なし!!!」

2024-10-17 18:50:08 | ベトナム・ハノイ

 さっき、午後3時の「ミッの散歩に事務所の近くを散歩していた」

時々行く「児童公園の入り口」でミッの5,6倍はあるであろう「大型犬がリ度もつけず走り寄ってきた」

この馬鹿犬は「この公園の近くの家」で飼われていて、時々こうして「放し飼いにしてあるのである」

 こういう「馬鹿飼い主」には自分は「容赦はしない」、言葉が通じなくても「リードをつけろ!!!」(非常識!!!)

と「大声で怒鳴る」、以前も「同じことを言っているが?」ベトナムでは「放し飼いが異常に多い」

こんな危険な「大型犬でさえ、放し飼いにするのだ」、そして「はたして、各種の予防注射もしているかどうかも怪しい」

そんな状況で「放し飼いにしている」全く「常識がなく、犬を飼う資格はない!」

 昨日も「アパートの周りでミッの散歩をしていると、同じような大型犬が、アパートの周りを徘徊していた」

アパートの周りには「小さな子供帯も多い」もしかじられたり襲われたら「どうやって責任をとるのだろうか?」

はなはだ「疑問である」 今日の飼い主は「私の態度が尋常ではない事を見て、反抗的な態度をとってきた」

それでも「悪いものは悪い」、ベトナムだから許されるわけでもない「問題である」

アパートには「たくさんの犬がいるが、良識ある飼い主さんたちは「しっかりリードをしている」

馬鹿飼い主のリードをしていない犬たちは「コントロールなどできないのだ」犬に会えば「飼い主の言うことなど聞かず」

犬に向かって「絡んでくる」「歯止めなど全く聞かないのだ」、そんな時「犬の大きさは関わらず、しつこい場合は

自分はその無リードの犬は蹴っ飛ばす」そして「飼い主には、リードをするように強く促すのだ」

「リード無」はベトナムの常識でも何でもない「ただの飼い主の怠慢」なのである。これからも自分は

「リード無にしている飼い主に対しては」迷わず「リードをしなさい」と言い続けるつもりである。

それが「犬を安全に飼うための常識」であり「犬にとっても、事故があり殺処分されないためにも絶対に必要な事である」

ベトナムよ「悪い事は謙虚に正せ」ごみ問題や交通ルールも同じ、もし「ベトナムを国際的に良い国」にしたいなら、こういうことから

「悪いものは悪い」そして「それを認めて直そう」と言う気持ちを持ってほしい。

 

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ベトナムハノイの「兄との差」

2024-10-17 18:24:43 | ベトナム・ハノイ

 自分には2歳違いの兄がいる、すでに「サラリーマン生活はリタイヤ」し、「太陽光発電」?等で

悠々自適の生活を送っている。ブログもその関連でほんの時々UPされる、先ほど「アクセス」してみたら

「なんとハワイ」に居た、ハノイではない!、ハワイである。(似ているが全く違う)

自分も2回ほど行ったことはあるが、もうすっかり忘れてしまった。「暑いのだが、湿度低くさわやかな風が吹いていたことは」

思い出す。兄もそんな風な事が書いてあった。滞在しているホテルは「ハワイでも一流のH」1泊$300~$350はするようである。

ハノイの「そこそこのホテルならば一週間は滞在できる価格である」 円安で「食費も恐ろしく高いようだ」

ハワイ1食に食費はハノイ10食に値するようである。何とも「うらやましい限りである」

兄は昔から「要領も良く、運も味方につけて今でもこのような生活を送れている」

自分の状況を見ながら「お前もそろそろ日本に帰ったら?」などと言われ続けている。

「コロナと円安、そして自動車業界の凋落さえなかったら」多少は近い生活はできたかもしれないが?

自分は「兄と比較すると、運がなかった」まあ努力の差かもしれないが?

全ての面で「兄にはかなわない」・・・

そして兄弟して合計20年以上海外生活している兄弟なのだ。親は、たまったのではなかったはずだ?

今年の3月に母が亡くなりもう両親はいない。(父が亡くなったときには兄はアメリカ、そして母が亡くなったときには

自分はベトナムに居た、親不孝な子供たちであった) 

兄との差は「自分はつぶれそうで小さな会社であるが自分の会社を持ったことだ」

「今になって思えば、やはりそんなに甘くはなく、生活はできているが、大変である」

それでも「サラリーマン生活」でなく「自分の会社を持ち」ベトナムと言う発展途上の国で

自分の好きに、やりたいことをやって

10年以上も暮らしてきたことは「それなりに楽しかった。」すべてが自己責任であるが?

今にして思うと「自分らしい人生だったと思う」・・・

自分会社で終業まじか、ふとアクセスした「兄のブログ」を見て「そんなことを考えた」

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