日本の正月も終わり、ベトナム正月(テト)までも2週間以上ある「なんとなく気が抜けたような時期」に
日本出張になった。目的は「年金の申し込み」や「本籍地の変更」そして「ソフトメーカとの打ち合わせ」などである。
1月10日の8:30 ハノイ発羽田行きの「ベトナム航空に乗る」なぜこの便を選んだのか? 大きな理由がある。
自分の自宅は群馬県太田市、以前は羽田、成田共に「複数の高速バス」があり出張時には大いに役に立っていたのだが?
コロナ禍~円安、日本全体が「閉塞感に包まれたこの時期」気づいてみれば現在、羽田、成田から太田へのバスは
ほとんどが「廃止」になり「唯一16:20発の羽田から太田までのバス」これに一番都合の良い「フライト」がこの「ベトナム航空」
だった。
そして「いろんなミッションをこなし」明日今度は「成田から18:20のANA便」で帰国する。
この便に乗るためには「なんと自宅のある龍舞と言う駅を12:09の電車に乗らなければならない」
龍舞ー東小泉(乗り換え)ー館林(乗り換え)ー北千住(乗り換え)ー日暮里(乗り換え)ー成田空港
こんな感じで4回も乗り換えが必要になる。従って「日本の物品を持ち帰るために2個用意したスーツケースの大型は」
火曜日フライトなのに「土曜日に地元を発送しないと間に合わないらしい」まさか重いスーツケースを2つも抱えて
4回の乗り換えは「不可能」と判断し「大型スーツケースは成田に送った」
なんと不便な事なのだろう?インバウンドで「外国からのお客さんは増えたが」日本の地方都市に住む住人にとっては
すこぶる「不便な交通状況になってしまっている」下手をすると「成田でも羽田でも前泊しないと乗れない飛行機が多い」
情けない事である。 きっと人口がずっと減っていく日本では「地方からの交通状況の改善など、望むことはできない」と思う。
明日「ベトナムに帰る」・・・「相棒ミッの待つベトナムへ」
12日間、きっとミッにとっても「きつい毎日だ足ろうと思う」すでに「7歳友人宅では預かれず、母上の兄宅(PHU TO)に預けれれている。
「忘れたことはないが」 あまりに思いが強いと「こちらでの業務に支障が出るため」極力「思い出さないようにした」
写真やビデオなどを見たら「涙がこぼれそうなのだ」 きっと田舎の街で「のびのびと暮らしているだろう!」と
思い込むことにした。帰ったら「つらかった日々の恩返しをしよう」たくさんたくさん「遊んであげようと思う」
今後の「どこかえの出張などは正直したくない」・・・それまでに「相棒ミッ」はかわいいのだ。・・・
さてようやく明日「ベトナムに帰れる」・・・
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