ベトナム的に言えば「今年ももうわずかである」
自分の日本人のアイデンティティからするとさすがに新暦での師走から正月にかけての
独特な感覚は失ってはいないが、さすがに10年以上ベトナムに居ると「今現在、旧暦の年末年始」
においても新暦と同様の「年末年始感覚」が生じている。
「独特の年末年始の感覚」をベトナムでも禁じ得ないのである。
しかし「大病を患ってからのこの感覚には」少し変化があったようだ。
「いつまで生きれるかわからないが(そんなに悲壮感があるわけではなく)貴重な時間を
どう過ごそうか?」というより具体的な「終活」を意識するようになった。悪い事ではないだろうが
「来年も頑張ろう」と前だけを向いていたころからすると、少々「さみしい気もする」
しかし時は待ってはくれない。「今を貴重なものとして過ごさなければならない」
と言ってもそんなに「崇高なことではなく、現在を楽しみ、やれることをやる」だけなのだが?
そんなわけで、来週から「在宅可能者」はそれを実施することになり、今週が
現状人員がそろう最後になるため、急遽「ささやかな忘年会」を行いたいと「組合から申し出があった」
結局は「会社負担」だが、快諾した。
体調もあまりよくなく、乾杯のビールが「いつものようにはおいしくない」しかし、好きなものをつまみ
後は「息子や娘の年齢よりも若い社員の旺盛な食欲」を見ていた。普段食べないような「カニやイカやエビ」などを
美味しそうに食べている様子を「どういうわけか、今までより客観的な視点で見ている自分に気が付いた」
今までには一度もなかったが、中座退席し家に帰って熱いシャワーを長めに浴びて早々に床に就いた
人間はこうしてだんだん老いていくのかもしれない。
しかし昨日あったように「未だベトナム人だけで会社運営するには、おぼつかないところもある」
早く修正し「自立できるようななるまでは、なんとか頑張ろう」という気になった。
なにか、湿っぽい話だが「何のことは無い」気がついたら深い眠りに落ちていた。
「深く考えない事」これもまた「老いてからは、大きな長所なのかもしれない」
早く寝すぎて、早朝に目を覚まし、そんなことを考えた。
さてさて、出勤準備しなければ。
在宅者はいなかったのでいつもよりは少ないが、一応忘年会らしきものは行えた。
1年間「ご苦労様でした」
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