★ベトナム・ハノイは「こんなとこ」★

コネなし、金なし、能力なし。50を過ぎて、単身ハノイで会社を作り10年目。毎日「こんなふうに」すごしています。

ベトナムハノイの「お金の使いかた」

2021-11-11 16:23:18 | ベトナム・ハノイ

 人間にとって「お金は必要である」、しかし「たくさん必要なのかどうかはその人の考え方による」

持っていない者の「ひがみに聞こえるかもしれないが?」

 実は先日こんなことがあった。私の友人で、私が紹介した「中小企業社長」との取引がうまくゆき、多額な「機器」を

購入してくれてから、継続的にお付き合いいただいているそうだ、しかしこの社長「現在ベトナム弊社が借金返済を弁護士を

通して交渉している相手なのだ」 この社長の「お金の使い方は、私も初めてのタイプだった」

*海外出張好き、行くときは「ビジネスクラス、ファーストクラス使用」「ホテルは全てマリオット系」ベトナムに来るのに

よくわからないが「奥さんと乳飲み子まで含めた家族で来る」もちろん全員ビジネスクラス。

*現地で働くのは大体1時間。あとは家族と観光三昧なのだ。

*私が日本に行くと「打ち合わせは高級すし店や中華、高級焼き鳥店」どういうわけか、ここにも「家族全員を呼ぶのである」

*食事が終わると「行きつけのスナックへ、ここでも豪遊、ホステスに要求されたシャンペンを2-3本開け、手に入らない

日本製高級ウイスキーを一気に2-3本キープする。(ざっと見ても支払いは30万円近く)そして「ぐてんぐてん」に酔うのである。

*いつも最新のMACBOOKを使い、アップルウオッチから、iphoneまで全て常に最新の物を身に着けている。

すし店に行くと「全く知らない女性が居て、一緒に高級料理を飲みくいし、くだらない話をして、食べて帰るだけ」

 そういうわけのわからない事に「お金を惜しげもなくつぎ込む人だった」 噂では1年の「交際費が1000万円以上」だとか?

付き合った人は「みんなごちそうになり、彼を悪く言う人はいない。敵を作らないための方策なのかもしれない」

自分には理解できない人だった。

 挙句の果てに「ベトナムに【乗り】で本業とは違う業種の会社を作り、結局仕事を2年間1件も取れずに先月廃業した」

しりぬぐいは全て自分がやったが、その時に使ったお金を「返さないのである」 彼からしたら、この金額のお金など

一声で返却できると思うのだが?

 10年ベトナムで会社を行い、ベトナム人と一緒にここまで来たことを振り返ると

こんなお金の使い方をする人に「人生の不公平さを感じる」

彼とベトナム社員を比較したら「もちろんベトナム社員のほうが物理的には頑張っている」

それでも「生まれたところの差で、このような格差事実が起きるのである」

 彼は2代目、親が頑張って作った会社を「会社を引き継いだのは弟さん、しかし事故で死亡し、彼が10年ほど前に

社長になったとの事」   「人の人生、私がどうこう言う筋合いではない」が、「なんの【思い】やポリシーもなく、真摯なベトナム人を

巻き込むような事だけはすべきではないと思う」 こういう人は海外進出などする資格は無い。

お遊びで海外に行き楽しんでいればいいのである。

 タダの思い付きで「人生をかけているベトナム人」を巻きこむなど愚の骨頂である。決して許されない事だ。

社員が汗水たらして稼いだ金を「高級寿司食ってドンペリあけて、高級ウイスキーを飲みながら家族でビジネスクラス代金を

出張費で賄うなど、公私混同はなはだしい」 情けない人間である。

 たとえ事業が成功し、そういうことができるお金を手にしても、自分はそういう使い方をする人は「かっこよくない」と

感じる。 創立記念日に、弁護士から「彼はお金を返すつもりは無いですね」と連絡があり、こんなことを考えた。

 頑張った人には、それなりの報酬を与えたい。確かに自分は社長だが、決して「苦労してここまで来たのは自分の力だけではない事を

忘れるべきでない」それを行動にできない奴は「ただのあほの成金だと」彼の行動を見ても、正直ちっともうらやましくなかった。

自分で作った会社が10年たって、そんな折

そんなことを考えた。・・・

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ベトナムハノイの「うれしい贈り物」

2021-11-11 15:05:24 | ベトナム・ハノイ

 本日は「弊社の創立10周年記念日」である。

正直な感想は、よくここまで「残ったものである」

ひとえに「ベトナム人技術者」のおかげである。

 本日「建築系会社創設ミーティング中」業者が「写真のきれいな花を配達してきた」

ミーティングに手間取り、終わって「どこからの花なのだろう?」と確認すると。

創業からの社員たちが「**さん、社員一同からのお祝いです」とのコメント。

「感激である」 まさか社内から(無論他社には全く伝えていないので、こんなお祝いが来るはずもないが?)

個人的には「今日、帰ったら一人で10年を想い、祝杯をあげようと思っていた」

それが「社員からのお祝いをもらうなんて」 再度感激である。

 今日は終業後、ワールドカップ予選の日越戦を「ビールを飲みながら観戦する予定だ」

そんな事より、まずはパーティー前に「みんなにお礼を言わなければ」 

 全くコネもないベトナムに、自分の感性だけを信じ10年前にここハノイに会社を作り、もう10年がたった。

自分では「苦労とは思わなかったが?」 思い返せば「サラリーマン時代の貯蓄を全て使い果たし

今では1株3300円の前職会社株を、社員の給料を払うために750円で6000株も売ってしまったことも思い出である」

 上場企業を勝手にやめて、自分勝手にベトナムで起業した経緯から、家族にだけは迷惑をかけないように

「サラ金3社にお金を借りて社員の給与と、自宅への仕送りをしたこともあった」

ようやく3年前にすべての借金をすべて返し、何とか安定した会社にできた。

 と思ったら、「病気になった」何とか「手術して今がある」

普通のサラリーマンでいたら、もっと安定した平安な生活ができたのかもしれないが。

これはこれで「自分らしい生き方だったのかもしれない」

 しかしまだまだ、終わってはいない。 To be continued  である。

 

 

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ベトナムハノイの「明日は会社創立記念日&サッカー日越戦」

2021-11-10 16:38:08 | ベトナム・ハノイ

 思えば2011年11月11日に現在の会社を「ハノイに作り」明日で10年目になる。

ベトナムでは日本から進出した日本企業(飲食店等も含め)の5年後の生存率は5%以下であることを

考えれば、「私のようなコネも金も能力も無い」人物が起業した会社がその5%に残れたのは「奇跡かもしれない」と思う。

 社内を見回せば「あの時からずっと10年間一緒だった社員が10人ほど残っている」彼ら彼女らこそ

この偉業の立役者だと本当に思う。ただの技術者だった自分が「経営や運営」など全くの素人で始めた会社を

悪待遇の中、がんばってここまでこれたのは「彼ら、彼女らのおかげである」感謝したい。

 

 今まで特別「創立記念などは、パーティーを行うぐらいでやってこなかったが」 実は数日前、社員から申し出、提案があった。

創立記念日には「ワールドカップの予選でベトナムと日本がハノイで対戦すると、そしてその一戦を会社にある70インチ?のテレビで

みんなでパーティーしながら見ましょう」ということだった。(このテレビ、テレワークが多く、日本との行き来きもままならない状況で

検図作業などのために活用しようと、私が思い付きで買ってしまい、面目ないが利用率が非常に低い社内設備なのだ)

 実は、本当は会社からバイクで15分ほどのところに会場である「ミーディン競技場(日本で言う国立競技場)」がある。

チケットを取ってみんなで応援にいこう!と計画したが社員の員数分50枚以上もチケットがうまく取れなかったのだ。

 パーティー好きのわが社の社風はよくわかっているので、そしてコロナで長く在宅もつづいたので、「会社として予算をつけて

美味しいものを食べながらこの戦いを会社で見よう」とみんなで決定した。

 昼が終わると早速イベント好きな社員がこの大型テレビを設置し、明日のチャンネルをセッティングした。

さてさて、自分は明日は「ベトナムと日本」どちらを応援しようか?

明日が楽しみである。

明日の「日越戦のために設置されたテレビを、自分の席から見たところ」

これでは自分の姿は社員から全く見えないが?そんなことは関係ないのだろう!

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ベトナムハノイの「プール事情」

2021-11-10 15:37:13 | ベトナム・ハノイ

 ようやく「待ちに待った」「プールが使えるようになった」

4歳友人の母上から先週の半ば「ジムが再開され、週末からプールも使用可能になりますよ」

と朗報が入った。

 思えば4か月「水から遠ざかった生活をしていた」

自分は、「趣味は水泳」とはっきり言えるほどの「水泳好き」なのだ。

小学校3年ごろから水泳に目覚め、夏休みにはずっと「午前中はプール通い」午後は「川に行き泳ぐ」

休みの日には「市民プールで泳ぎ」 おかげで「群馬県の利根沼田地区では専門の平泳ぎではランクトップ」

群馬県の平泳ぎランキングにも上位にリストアップされるようになった。

さすがにこの地域「冬は泳げないが、地元中学、高校は水泳の強豪校、OB,OGの力が強く、冬にも四万温泉まで連れていかれ、小学生、中学生

高校生合同で温水プールで合宿まで行っていたのである。そんな環境で育ち、この下地が作られた。

 社会人になってから、何か「水泳関連資格」をとろうと、「日本赤十字協会の水泳救助員資格に挑戦し取得した」

(この資格があると公営のプール入場はフリーである、しかし責任重いのであえてその特権は一度も使ったことは無い)

日本では1年じゅう週3回水泳に通い、ほぼ45分で2000mを泳いでいた。

ベトナムに居を移してからも、夏は会社近くの一般プールで、混雑の中、1000~2000m

を泳ぎ、「来ると長距離を泳ぎすぐに帰るおじさん」として地元で有名に。

よく「小学生の親から、うちの子に水泳を教えてくれ」と言われ、1,2度教えたこともある。

さすがにベトナムでも9月末で屋外プールは閉まるので「民間の温水プールにバイクで通った」

 そして会社も安定し、プールが併設されているアパートに入居できるようになり2か所目が今の住居である。

小学生からの人生で、「4か月も水に入らなかったのは、初めての経験だった」

本当に長かった・・・

 うれしくて、うれしくて日曜日から3日連続で「会社から帰り、腰もつかずにプールに行った」

(日曜日の午後なのにプールには誰もいなかった、監視員は昼寝中、4か月ぶりに、感触をしっかりと確認しながら

ゆっくりとセーブしながら1500mを泳いだ。本当に気持ちよかった)

 さすがに「泳ぎは忘れない」そして「今までその代替えで行ってきたランニングよりも長距離を

泳いでも、ストレスを感じないのだ」やはり前世は「魚かアザラシ」だったのかもしれないと、真剣に考えた。

 ここのところ一度減少した「コロナ患者数がハノイでは増加している」

何とか再開された「プールをこのまま閉鎖されずに続けてほしいものである」

 肺がんの手術後、初めて泳いだ時には「25mがやっとで、少なからずショックを受けた」2000m簡単に泳げたの自分が・・・

なんとも情けなかった。

あれから2年半、肺が1/4無いので、もちろんあの頃のようには戻れないが、まあ仕方がない。

休みながらなら2000m以上泳げるまでに復帰できた、まあまあだろう。

 もう以前のように、時間内にできるだけ早く長く4種類の泳法で泳ぐ、ということは無理かもしれないが、

後は「体力を落とさないように、筋力を落とさないように」好きな水泳を楽しみたい。

 誰もいないベトナムのプールでそんなことを「思った」

・・・(初泳ぎから帰ると、思わぬプレゼントが、かの4歳友人宅は、このプールが眼下に見下ろせる位置にある、プールから

「今日は一人だけですよ」とラインを送っておいたら、家のベランダから「自分の泳ぎを動画と写真で撮り」送ってくれていた。

長い水泳人生で「自分の泳ぎを上から見たのは最初だった」うれしかった。しかしこの画像を見ると、やっぱり私の前世は

魚ではなく「アザラシだろうな」と思えるシルエットだった。泳ぎはきれいだったが)

 

 

 

 

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ベトナムハノイの「変な病気」

2021-11-10 15:01:50 | ベトナム・ハノイ

「ばね指」・・・聞いたことがあるだろうか?

かれこれ1か月ほど前、朝起きると「右手親指に違和感があった」

改めて観察してみると「親指には関節が2か所ある」付け根と指の途中である。

その「途中の関節が何やら油切れのようなのだ」

伸ばす時には「まさにばねのように【かくっ】と一度引っ掛かるのだ」

最初は「引っ掛かるだけだったが、この曲げ伸ばしにだんだんと痛みが出てきた」

伸ばす時にも曲げるときにも「関節がスムースに動かず、よいしょ、という感じになった」

そして「曲げる時」も「伸ばす時」も「かくっ」となり、その瞬間「痛くなってしまった」

 こうなって判るのは「親指と言うのは、本当に地味だが普段重要な働きをしている」ということだ

コップを持つにも、食器を洗うのも、全て「親指あっての安定」なのだ。

 さすがに限界になり、本日かのベトナム高級病院「ビンメックの整形外科」にいった。

担当医師は症状を聞き「大変わかりやすい説明をしてくれた」

*「病名は【ばね指】」

*原因は「内科的なもの」もあるが、直接的には「使いすぎ」

*したがって「レントゲンも検査も必要なし」

*治療法は3つ

①飲み薬(消炎剤)  90%がこれで治るとリハビリ(温かい湯の中で指を曲げ伸ばすが、決してねじったり、押してはいけない)

②後の8%は、ステロイド剤を関節に注射する。(1回で治る場合もあるが大体3回ぐらい注射が必要)

③後の2%は「手術」

ということである。大変明確でわかりやすかった。できれば「すぐに改善したかったのでステロイド剤の注射」をお願いしたが

ま、まずは薬を飲んでみましょうということになった。

 この病院は「行けば1TR」(行くだけで100万ドン【5000円ほど】かかる)と言われるが

本日は薬までで800,000vnd(およそ4000円)だった。

 サービスは徹底しており「予約制で、日本人には日本語ができるアテンダーが最初から会計、薬取得」まで

ずっとついてくれる。個別に保険があれば「それにも対応してくれる」 医療の質は判断できないが

日本人が医療を受けるには「大変便利な病院である」

 実は自分は「この病院で癌手術後の定期検診、肺炎での入院」などお世話になっている。

良くも悪くも「ベトナムらしい病院だが、治療費は全て保険適用外で欧米並みだ」

患者は外国人と「お金持ちのベトナム人」のようだ。

 年を取ると、体に思わぬ「故障」が生じるものだ。

そんな時、ベトナムでうまくやっていくには「このような出費は覚悟しなければならない」

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