久しぶりに水泳で≒2000mを泳いだ。病気をする前には「普通だったが」
最近はあまり泳ぐ気にならなかった。前日の土曜日、休養を取ったのが良かったようだ。
日曜日、寝坊をし「久しぶりの和食の朝食を作り、10時ごろ食べた」
(じゃがいもと玉ねぎの味噌汁、卵焼き、納豆、キャベツときゅうりの浅漬け、サバの塩焼き)
部屋をかたずけ、掃除機をかけて洗濯物をしてほした。
日本の朝食のせいか、「泳ぎたい」という気持ちが起こり12時にプールへ、相変わらず人は少ない。いるのだが
泳いでいない。プールのはじで「話し込んでいる」結局自分が泳ぎ終わる頃には、プールには
自分一人だけだった。以前は45-50分で2000mがルーティーンだったが、今日は65分かかった。
それでも泳ぎ切っただけでも「良いとしなくては」それなりの満足感をもって切り上げた。
その後部屋でうとうとしてると「4歳友人の母上から、買い物を頼まれロッテデパートへ」
昨日から「4歳友人の調子がわるい」私にできるお手伝いは「自分から申し出ている」何しろ暇なのだ。
お使いが終わり、再び家でYOUTUBEを見ながらうとうとしてると、すでに16時を過ぎていた。
子供の時からそうであったが、日曜日の夕方は「何ともなく切ない」あー休日が終わってしまう。・・・
あの感情だ。しかし、何もしなかった休日は「何ともなく切ない思いは強いが」
今日は、朝食を作り、掃除をし、2000m泳ぎ、お使いもできた、「ある程度の達成感がある」
ふと外を見ると、すでに休日の日が傾いている。
きれいな夕日に誘われて「ベランダへ出て、夕陽を見た」、今日はもう「飲んじゃおうか?」
本当はビールが飲みたかったが、缶酎ハイしかなかった。
良い天気の秋の日、それなりに充実した日曜日の夕方、ベトナムハノイのベランダで
こんな風にしてすごした。
秋の日は、ちょうどこの方向に「日が沈む」
コロナのおかげで、少しだけきれいになった空気、やがてまた「汚くなってしまうのだろうか?」
つかの間の「きれいな夕日なのかもしれない」
秋の日の休日、ベランダで「缶酎ハイ」で一杯やる。おつまみは「ポテチ、とおせんべい」