★ベトナム・ハノイは「こんなとこ」★

コネなし、金なし、能力なし。50を過ぎて、単身ハノイで会社を作り10年目。毎日「こんなふうに」すごしています。

ベトナムハノイの「ある秋の日の休日」

2021-11-15 10:06:30 | ベトナム・ハノイ

 久しぶりに水泳で≒2000mを泳いだ。病気をする前には「普通だったが」

最近はあまり泳ぐ気にならなかった。前日の土曜日、休養を取ったのが良かったようだ。

日曜日、寝坊をし「久しぶりの和食の朝食を作り、10時ごろ食べた」

(じゃがいもと玉ねぎの味噌汁、卵焼き、納豆、キャベツときゅうりの浅漬け、サバの塩焼き)

部屋をかたずけ、掃除機をかけて洗濯物をしてほした。

 日本の朝食のせいか、「泳ぎたい」という気持ちが起こり12時にプールへ、相変わらず人は少ない。いるのだが

泳いでいない。プールのはじで「話し込んでいる」結局自分が泳ぎ終わる頃には、プールには

自分一人だけだった。以前は45-50分で2000mがルーティーンだったが、今日は65分かかった。

それでも泳ぎ切っただけでも「良いとしなくては」それなりの満足感をもって切り上げた。

 その後部屋でうとうとしてると「4歳友人の母上から、買い物を頼まれロッテデパートへ」

昨日から「4歳友人の調子がわるい」私にできるお手伝いは「自分から申し出ている」何しろ暇なのだ。

お使いが終わり、再び家でYOUTUBEを見ながらうとうとしてると、すでに16時を過ぎていた。

 子供の時からそうであったが、日曜日の夕方は「何ともなく切ない」あー休日が終わってしまう。・・・

あの感情だ。しかし、何もしなかった休日は「何ともなく切ない思いは強いが」

今日は、朝食を作り、掃除をし、2000m泳ぎ、お使いもできた、「ある程度の達成感がある」

ふと外を見ると、すでに休日の日が傾いている。

 きれいな夕日に誘われて「ベランダへ出て、夕陽を見た」、今日はもう「飲んじゃおうか?」

本当はビールが飲みたかったが、缶酎ハイしかなかった。

 良い天気の秋の日、それなりに充実した日曜日の夕方、ベトナムハノイのベランダで

こんな風にしてすごした。

秋の日は、ちょうどこの方向に「日が沈む」

コロナのおかげで、少しだけきれいになった空気、やがてまた「汚くなってしまうのだろうか?」

つかの間の「きれいな夕日なのかもしれない」

 

秋の日の休日、ベランダで「缶酎ハイ」で一杯やる。おつまみは「ポテチ、とおせんべい」

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ベトナムハノイの「納豆の備蓄」

2021-11-14 13:43:19 | ベトナム・ハノイ

 昨日は「新規開店した日本スーパー」に行ってきた。

それなりの品ぞろえがあった。特徴は

*隣の「日本食レストランが経営しているらしく」

・総菜としてのお弁当やおむすびなどの品ぞろえと質が良いような気がした。

・それから食品だけでなく「ベビー用品、化粧品、サプリ、そしてパブロンゴールド」などの

薬も売っていた。

 お目当ての納豆もあり、特売で「3個パック30000VND」であった。自分が知っている限り

今までのハノイ納豆最安値は35000VNDなので安い。

(30000VNDで≒150円、日本から比べるとまだまだ高い)

 そういうわけでいろんな食材と納豆を買い、家に帰った。

無類の納豆好きの自分としては「納豆の備蓄は欠かさない」

昨日かった納豆を備蓄庫(冷凍庫)に入れた。

まずまず安心である。

我が家の納豆備蓄状況

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ベトナムハノイの「さわやかな秋の空」

2021-11-14 13:19:24 | ベトナム・ハノイ

 昨日は新しくできた「日本食材スーパー」に行った。

隣には「ビアードパパのシュークリーム」があり、「4歳友人宅にお土産として購入」し

お届けした帰りに(1回前のブログ)「鍵の電池切れ」に遭遇した。

 少々疲れたので、その後はのんびり過ごした。

ここのところ「よく眠れる」、やはり「水泳を再開してから睡眠状態が素晴らしい」

さすがにぶっ続けで5日間1500m泳ぎ続けたので、筋肉疲労があり、昨日は「水泳休日」にしてみた。

それでも昨晩も良く眠れた。

 そして少し寝坊し、起きたら8:30。 寝室のカーテンを開けたら「さわやかな秋空が広がっていた」

年中高温多湿のハノイであるが、1年の中で「この短い間、さわやかな秋を感じられる」

天気予報では来週からまた、雨のようだ。家にいるのはもったいないが?

今、11:30。 ブログを書き終えたら「ひと泳ぎしてこよう」そして午後はバイクで少し走ってこようか?

珍しくさわやかな「ハノイの秋空、そんなことを考えた」

アパート寝室の窓からの眺め、珍しい湿度も低く快適な「ハノイの秋の空

コロナの影響できれいになった。都市機能は回復し、又「灰色の空に戻ってしまうのかもしれない」

相変わらず10年たっても開業しない「中国支援による

都市交通線路が伸びる」線路はさび付いているようだ。

 

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ベトナムハノイの「小さな事件」

2021-11-14 12:51:36 | ベトナム・ハノイ

 さわやかな秋、穏やかな週末になると思ったのだが?

昨日も「事件があった」買い物をして帰ると「ドアが開かない」

(このアパートは「鍵はあるがほとんど使わず、暗証ナンバーを押して開けるタイプの電子KEY」だ)

どうやら「電池切れのようだ」仕方なく「レセプションに行くと」

*自分で電池を買ってくるように。⇒???もし店の開いていな時間だったらどうするのだろう?

*買ったら「ここの電話するように」⇒電話したが、ベトナム語しかしゃべれない。(外国人だったらどうするのだろう?)

*家の前で待つこと10分、「技術対応はきたが・・・電池交換は内側からしかできないと???」⇒

じゃあ外出してその間に「電池切れ」になったらどうするの? KEYは「普通のKEYとカード式のEY」がある。Kカード式のKEYは

「4歳友人宅」に預けてある(一人暮らしの自分に何かあったときのバックアップだ。信用できる人なのでそうしている)

カードKEYを受け取り試してみるが「結局は電池に依存しているため開かない」

⇒家族で普通の金属KEYをもって出る人は1名、多くは何も持たずに外出している。

だとすると、この管理方法は非常に危うい。こういうことが「それなりのアパートでも行われるのがベトナムなのである」

もし・・・最悪条件下・・・「一人暮らしの外国人が、深夜帰宅して電池切れだったら、しかも電池切れなど想定せず普通の金属KEYを

持たずに外出していたら???」・・・完全にアウトである。

 加えて自分は「オーナーが電子ロックだからと、カードKEYしかもらわなかったから、最悪だ」

私のベトナム語能力で、は対応できず、「4歳友人の日本語N!の母上に対応をお願いした」

 アパート管理も何もできない。結局は「アパートオーナー」に連絡し(自宅にいたからよかったが)

オーナーに鍵をアパートまで「持ってきてもらうことで解決した」・・さすが対応が早く適切だった。「感謝である」

 自分の部屋のある共用スペースの「ベランダで、腰を下ろし、YOUTUBEを見ながらオーナーを待った」

40分後オーナーが来てくれた。「恐縮していたが、そこはもう大人なので、大丈夫ですよと・・・」

このオーナーは「英語が堪能で、私とはすべて英語でやり取りができる。」お礼を言って

解決した。「今度は金属製の普通のKEYもいただいた。」

★この管理方法、言いたいことはたくさんあるが、「最悪条件からは少し外れていたので事なきを得た」

ハノイにも見かけは立派なマンションが建ってはいるが、管理方式はこんなものである。日本はどうなのだろう?

このアパートも「防火設備が法律に準拠せず、免許の登録にできなかった。こんな50階建てのアパートでさえも

実情はそんなものなのだ、そしていまだに解決されていない。

 どんなに理不尽でも、仕方のない現状は「受け入れる寛容さを持たなければ、世界では、特に発展途上国

ではやっていけない」およそ35年世界に出向き仕事をし、かれこれ15年前からは発展途上国に住居を構えた自分が

「学んだことである」 発展した日本も少なからずこのような道を通ってきたのだろう。

こんなことを考えた。

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ベトナムハノイの「日越戦顛末」

2021-11-12 09:50:37 | ベトナム・ハノイ

 昨晩は、会社創立10周年、そしてワールドカップアジア予選の「日越戦」であった。

業務終了後18:30よりパーティ開始の予定であったが、弊社のいつものパターン。食べ物がそろうと

みんな「待っていられないのだ」、結局18:00からパーティになり、サッカーが始まる頃には

既に「パーティ一はひと段落していた」 

 そしてサッカーが始まった。社員たちはもちろん「ベトナムの応援」**さんもベトナム応援ですよね?

と・・・「日本人1名だけの立場は大変だ」 日本が先制し、その後は一進一退、ベトナムも良く頑張ったが。

セカンドボールの処理が明暗を分けたようだ。 ベトナムはせっかくマイボールにしても、プレッシャーを

受けると「不用意に前にけり、結局相手にボールを渡していた」

 昔の日本とそっくりだと思った。きっとベトナムもワールドカップに出るにはあと4-8年の月日が

必要なのかもしれない。(日本がそうであったように)どこの国も必死で頑張っているだけに

その一角を崩すのは容易ではない気がする。

 そんな中、パーティーがひと段落着くと「あるチームの女性たちがデスクに座り仕事を始めた」

遅い時間に「本日納期の仕事が入り、終わらせなければならないとの事だ」

 大音量でサッカーを見ている横で「作業を続ける彼女らに申し訳ないと思いながら、サッカーを見ていた」

サッカーも終わり、後かたずけを行った後、8名のすべて女性たちは、まだ黙々と仕事を続けていた。

10年目のパーティー後、彼女らを見ながら「彼女らのようなベトナム人女性が会社を支えてくれているからこそ

10年やってこれたのだ」と改めて理解し、感謝した。「何か飲み物でも買ってきな」とお金を差し出したが

「もう終わりますから、と受け取らなかった」

 日本から「乗りだけで海外進出し、金だけは出すが何もしないアホな成金社長に見せてやりたい光景だった」

「これらの頑張っている社員全ての1日の稼ぎなどあほ社長の食べる、高級すし店の支払いには足りないのかもしれない」

そんなことを考えながら、家路についた。

 並べられた料理、この後「誰ともなくつまみ食いが始まり、なし崩し的に

パーティーが始まる」いつもの弊社のパターンだ、パーティー前の「訓示など、柄ではない」

雑談中に一言、「今の会社は弊社1期生たちが頑張ったおかげでここまで来た。次世代のあなたたちはそれを

よく見て会社を続けていけるように頑張ってね」と。

 跡継ぎのいない自分にとっては、いずれ時期が来たら「希望する1期生たち」によって

会社を引き継いでもらうことになるだろう。それまでもう少し「基礎固め」を行い

本田宗一郎のように「潔く退きたい」

 

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