★ベトナム・ハノイは「こんなとこ」★

コネなし、金なし、能力なし。50を過ぎて、単身ハノイで会社を作り10年目。毎日「こんなふうに」すごしています。

ベトナムハノイの「バイク交通制限」

2021-12-10 09:57:22 | ベトナム・ハノイ

 本日「2025年からのハノイ中心部へのバイクの交通制限のニュース」があった。

現在の「交通渋滞緩和と交通安全」の見地から、ハノイ中心部への「交通制限(主にバイク)一部タクシー」である。

当初は2030年と聞いていたが、2025年に前倒しになったようだ。

 不思議なのは「環境保護の観点」という理由が逸脱していることだ。自分の感覚では、もちろん渋滞、交通安全の見地

は理解できるが、もっと重要なことは「環境保護」ではないかと、現在のハノイに住んでみて感じるのである。

 ここのところ、電動バイクもちらほら見るようにはなってきたが、焼け石に水状態だ。

ハノイ中心部をバイクで少し周ってくると「顔がべたべたし、濡れティシュなどで拭うと【真っ黒になる】程なのだ」

マスク無しでは「到底走れない」 原因はやはり「バイクの排気ガス」だ。

 高い比率の提供している「日本バイクメーカー」は責任をもって「排ガス規制や、電動化を急ぐべきだ」

日本が通ってきた「大気汚染でぜんそく患者などが増加した間違いを、ベトナムに負わせないように」してほしい。

 しかし、この発表を聞いて「多くのベトナム人は思っている」じゃあどうやって移動するんだ?

そう、現状は「バイクの何倍もの排気ガスを出しまくっているバス」や「10年かかってやっと1路線開通した新都市交通機関」

では「バイクの代わりには絶対にならない事を分かっているからだ」

 そして、制限後、中心部に入るには「最高60000VNDの通行料」を払う必要もあるようだ。

この施策は「間違ってはいないと思う」先んじてまずは制限するのも1つの策なのかもしれない。

しかし「ハノイが世界の中でも大気汚染の激しい都市であることをもう一度認識して、併せて対応してほしいものだ」

と、このニュースを見てそう感じた。

 

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ベトナムハノイの「どこへ行くの?ベトナム方針???」

2021-12-09 15:04:00 | ベトナム・ハノイ

 先ほど会社の管理者から「ある情報が届いた」

こんな状況の中、良い話でないだろうと考えた。

ところが内容は、

「ベトナムの交通運輸省が12月15日からの東京などの9路線の「国際線運航再開」を政府に提案した」

というものであった。

 感染者15000人弱、死者数200人を超えていて、ハノイでも連日500人ほどの感染者が報告されているさなかである。

少し意外だった。 実は会社の実情を鑑み「営業のためのベトナム国内出張」及び「日本国内メーカ様への訪問」を

計画し始めた矢先、「オフィスビルでの感染者発生、社員の濃厚接触者確定」など計画の気持ちをそがれるような

出来事が重なっていた。正直言うと「なぜこのタイミングでこんな提案がされたのかもわからない」

 それでももし「この提案が承認されれば、ベトナムから日本への便は毎日飛んでいるので、ベトナムへの帰国便を

この1週間2回のベトナム行き便に合わせれば、比較的簡単に行き来が簡単になる」

(現在はベトナムから出る事は比較的楽だが、帰ることはすごく厳しいのだ。)

 当然この取り決めには「ベトナム入国時の強制隔離は無し」という条件が付いている。そして日本に帰国時にも「ベトナムからの帰国者には

隔離制限は現在は無いようなのだ。」(厚労省のホームページで本日確認した、もちろん経過観察期間終了までの公共交通機関

使用制限などはあるが。)

ベトナム、本当に大丈夫なの? 年末年始の里帰りに光明がさしてきたかな?というニュースがった。

(今までもたくさん、その通りにはならなかったことがあるので、期待1/3だが???)

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ベトナムハノイで「拡大するコロナ」・・・難しい会社運営

2021-12-09 09:43:08 | ベトナム・ハノイ

 日本では、一時的にしろ「コロナを封じ込めている」世界的に見ても「珍しい」

一時期あれほどの「封じ込め」をしていたベトナムは「今は見る影もない」

 昨日も14595人 死者230人 ハノイでは連日400人ほどの患者が出ている。

終息どころの話ではない。ハノイに限って言えば「患者が2-3名でもロックダウンしてたのに

現在は規制は緩んだままで変わっていない」 当然患者も増える。(ワクチン効果で重症化や

死者数が減っていればいいのだが?そうではない)これからホーチミンのような状況になるのでは?

と真剣に危惧している。現在のハノイについての対策は、ほとんど「無策に思える」

 

 昨日、会社のテコ入れのために「ホーチミンへの営業」を計画し、飛行機の状況や、各都市に行った時の隔離状況

などを調査、結果「GO」と判断した矢先、管理者から「このビルでまた患者が出ました11階です」との報告

現在「カメラ等で濃厚接触者の特定をしています」との事だ。その10分後

 私に報告していた「その管理者自身が患者とエレベータに乗り合わせた濃厚接触者」だった。

他にももう1名の弊社社員が「濃厚接触者」と判断された。

「ひたひた」とコロナは「ハノイで拡大している」それが実感としてわかった。

自分のアパートでも「患者発生の告知がなされてる」もうどこにも「安全なところは無い」

 自分は「持病があるがゆえに、人一倍注意する必要があるのだが、もうこれはどうしようもない状況だ」

今日も朝早く出社し、今後会社の運営をどうするか「悩んでいる状況である」

今月末には「100%のユーザである日本の会社が年末年始の休みに入る」年が明けて少し経つと

今度は「2022年2月1日がベトナム正月(テト休暇)になり前後合わせて、4-9日の休みに入る」

弊社はユーザが日本メーカなので「仕事は行うが交代で休暇を取る」この状況を考えると、

パソコンを持たせて「在宅するにしろ」行ったり来たりは大変であるし、リスクもある。

「在宅を決断するなら、来週からベトナムテト明けまでの実に9週間(2か月以上)」に及ぶかもしれない。

この間、いかに「効率や品質」を保つかも大きな課題だ。そして「若手の教育は在宅ではほぼ不可能なのだ」

会社としては大きな損失である。しかし「対応が遅れればもっと大きな被害が出る」

難しい決断なのだ。

 そして個人的なことを言えば「それでなくとも1年で一番さみしい時期である、日本の正月とベトナムの正月」

例年「みんな故郷に帰り一人ハノイでさみしい日々をすごく自分だが、今年は今までで一番さみしい期間になりそうな予感がする」

なんともはや「とほほ」な感じである。日本には帰れるが「ベトナムに来るのに多大な時間と労力とお金がかかる」

その間、ベトナムで何かあったら、それもまた大変なのである。どうしようか???

早く出勤し、今後どうしようかと「悩んで」いる。

さてさて社員が出勤してきた。「状況を判断し、決断しなくては」自分のさみしさなどは後回しだ。

 

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ベトナムハノイの「健康診断の重要性」

2021-12-08 17:55:07 | ベトナム・ハノイ

 健康診断、日本では珍しくない事だが、今回はベトナムでの「健康診断の重要性」を述べたい。

さかのぼること5年前、社員の一人が深刻な顔で「話が有ると」

 故郷(ハノイから200km)のお父さんが「病気になり、お金を貸してほしい」との事だった。

会社でも初めてのケースだったが「人道的見地で会社として融資」した。

 その後お父さんは「ハノイの病院に転院し、手術を受けたが、おなかを開いてみると

手の施しようがなくそのまま閉じてしまったそうである。末期の胃がんだった」

ハノイに来てから、そして落ち着くまで「そのころ社宅として使っていた1室を提供しハノイでの居場所として

提供もし、様子も見に行った」しかし残念な結果だった。原因は、ベトナムでは「集団検診」などなく、病気になって発見するときには

既に「悪くなってからしか発見できない事情」があった。このお父さんんも田舎で体調悪かったのに

薬や設備の無い町医者で我慢に我慢を重ね、いよいよ耐えられなくなりハノイの病院に来たが「手遅れだったのである」

 そしてその2年後、その社員をまた悲劇が襲う。今度はお母さんの体調が悪くなり「ハノイの病院に来ることになった」

父の死後その社員は「父の借金返しをまじめに行っていたが、今度は母親のことで同じ融資を受けなければならなくなった」

そして今回も「手術をしたが、やはり発見が遅かったためその後故郷でなくなってしまった。末期の乳がんであった」

 原因は同じであった。「健康診断」を行ったことさえなかった。

「本当に悲しく大変な出来事が繰り返された」

その後も社員の中で「同じような悲劇が複数回あり、会社としてもその都度融資を行った」

会社も楽ではなかった時期には「大変だったこともある」

(ベトナムでは日本で言う健康保険は有っても実用的でなく、その範囲で治療をしてもらちが明かないような

状況なのである)

 こんな状況があったため、会社では「自分の親御さんの健康状況を把握し、少しおかしい場合には

ハノイへきて健康診断を受けるようお達しを出した」

 そして社員自身もベトナム労働法で決められている年1回の「健康診断」は必ず行っている。

(お金の問題から結構大手の会社でも健康診断を行っていない会社もあるが、何度も悲劇を見てきた

弊社では、必ず受けさせる)

 そういう自分も健康診断(人間ドック)で3年ほど前に病気が発見され、とりあえず命拾いをした経験者なのだ。

大手メーカに居るときは「会社の健康診断があったが、ベトナムで起業してからは、5年間全く健康診断を受けていなかった」

そして6年目、会社も少し安定し「人間ドック」を受けられる余裕ができて、「何とはなしに人間ドックを予約」し、父が肺がんで

亡くなっているせいもあり「肺ドック」をオプションで付けたことで「初期の肺がんが発見でき、手術を受けて現在2年と5か月が

経ったのである」(自覚症状など全くなかった)身をもって「健康診断の重要性を分かっているがゆえに、社員の家族や社員自身は健康診断を怠らず

病気になっても早期発見、早期治療ができる社風を作りたいと思う」

 自分は日々「爆弾を抱えて生きているようなものだ」若い社員たちにはこんな思いはさせたくないし、

そして「ちょうど自分と近い社員の親御さんにもこれ以上の悲劇を起こしたくない」

確かに「健康診断」はベトナムではないがしろになっている、だからこそ少なくとも社員とその家族には

是非健康診断を受けられる環境を提供したい。

 社員のコロナワクチンの最新接種状況の報告を見ながら、そんなことを考えた。

 

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ベトナムハノイの「自分のこれからと終活」

2021-12-08 10:30:02 | ベトナム・ハノイ

 昨夜、寝る前にYOUTUBEを見ていたら「セネカ」という哲学者の「人生の短さについて」という

今の自分と言うよりも、それなりの年齢になった人たちが誰しもが考えている内容について語っていた。

16分程度の内容なので見てみたが、「少々考えさせられる内容だった」

*我々の手にしている時間は決して短くは無い。

★我々は人生を浪費している・・・時間の浪費が原因・・・人生はいつ終わってしまうかもしれない

⇒それなのに50になったら、60になったらとやりたいことを先延ばししている。

色々あったが、自分の理解としては

★毎日を人生最後の日のように「生きよ」⇒やりたいことを先延ばしするな⇒将来なんて来るかどうかわからない

⇒だからやりたいことを「今」やれ

 だと理解した。あと30年前に「こういう内容を知っていたかった」と思ったが

もしかすると、知っても「同じ人生だったかもしれない」と思った。

これまで周りから「考えるより先に感覚で動く人(考えなし)」と言われ続けた自分である。

 但し、これからの生き方にあたって、今、少し悩んでいた方向性が見えたような気がした。(気がしただけだ)

 

今やりたいことを行う(仕事でも遊びでもプライベートでも)

*自分の責任(立場)をわきまえる。自分は「金を残すは下、組織を残すは中、人を残すは上」という

故 野村監督の言葉を座右の銘とする。

*今の自分の境遇(がんの再発、会社経営者の責任、家族の責任、個人としての自分 等々)を考えた時、「やるべきことをやっておく」

事は大切だが「やりたいことをやっておくこと」もより重要だと考える。(これが自分流の終活と思う)

*そして「今日が人生最後の日であるように生きたい」と思う。

 

 こんなことを考えたのは「人生初めてである」やはり「大病を患ってからはいろんなことを考えるようになった」

ブログに書く内容ではない。しかし「良い事、悪い事をすぐ忘れてしまう自分にとっては、形として残し、

たまには思い出すべき。」と考えてあえて記す。

 コロナ禍、日越間の行き来ができない、などなど、最近会社で時間を持て余し気味の自分にとって「喝」を入れる

事としても重要な事だったのかもしれない。

 1晩開けて、寝ぼけた頭で考えた内容が予想以上に残っていて、会社に来てそんなことを考えた。

*さしあたってやったのは「寒い朝、日本茶を入れて、好きなソイ(おこわ)を食べた」事である。

自分らしいと思った。

 

 

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