★ベトナム・ハノイは「こんなとこ」★

コネなし、金なし、能力なし。50を過ぎて、単身ハノイで会社を作り10年目。毎日「こんなふうに」すごしています。

ベトナムハノイの「週末露天風呂」

2021-12-06 10:11:18 | ベトナム・ハノイ

 日曜日の夕方、肌寒くなったハノイでYOUTUBEを見ていた。

日本人のおじさんが「コロナで影響を受けてお客さんのほとんどいない、温泉地の安宿に泊まる」

というものだ。「昔学生時代、これに近い旅館に泊まったことを思い出した」哀愁に浸る間もなく

「無性に風呂に入りたくなった」日本からベトナムに昨年の7月下旬に戻ってから1年と4か月

まともな風呂には入っていないのである。(何度かは、以前ブログにUPした簡易風呂には浸かったが)

 いつもの土日「掃除洗濯が終わるとコロナ禍のハノイでは、何もすることは無い」つまり暇なのである。

電話で確認すると、ありがたいことに「営業しているとの事」

早速準備(といっても、ラフな格好に着替えるだけだが)しバイクで「風呂を開放しているハノイの日本ホテルに行った」

 このお風呂はここ6年間ぐらい「毎年12月31日、仕事が終わると1年を振り返り、翌年の会社方針を決めるために、

来る」思い出深い場所なのである。 そして1月1日にはまだ明るいうちに来て、贅沢な昼風呂を入っている場所でもある。

 結局は「長期休み、社員は故郷に帰ってしまうため、一人さみしく暇を持て余す対策としてのお風呂でもある」

相変わらず人は少ない。≒90分風呂に居たが「会ったのは2名だけだった」

 今年こそは「年末年始日本に行って、温泉でも行き、おいしいおせち料理でも食べるつもりだったが」

結局「オミクロン株」騒ぎでそれどころではなくなってしまった。

 すっかり、お風呂からの眺めは「都会になってしまったが」久しぶりの風呂に浸かり、至極の時間だった。

しかし、結局は帰りは「バイクで帰るため、体は冷えてしまうが、湯冷めするほどではなかった」

年末ではないので「会社の難しい事は考えなかったが?」会社や自分の行く末などをボーっと考える時間ができた。

帰って「ビールを飲んだら」忘れてしまった。

お風呂からちょうど「ビルに映し出される派手なイルミネーションが見える」

逆側にも「ハノイで2番目に高いロッテビルも見える

露天風呂からの眺め、湖は相変わらず水量が少ない

もちろん温泉ではないが、やはり日本人は「お風呂が必要である」

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ベトナムハノイの「IT化と割り切り」

2021-12-06 09:44:44 | ベトナム・ハノイ

「電子取引データの訂正及び削除の防止に関する事務処理規程」

皆さんはこれをご存じだろうか?

 昨日「日本の弊社を担当して頂いている税理士」さんから連絡があった。

今後「小さな会社であっても、会社関連の諸表(領収書など)」はデジタルデータ(スキャンデータ)

で保存しなければならないそうだ。当然「事務規定や定款」などにも影響する。

 弊社(ベトナム会社)ではすでにIT化が進んでいるが「日本の親会社?」では今後この影響を受ける。

自分は「日本法人の代表」だが、会社としての機能は「親族3名」が事務処理だけを行い。

会社の所在地である自宅には「転送電話が1台あるだけである」従って、経理上の最終処理は

日本の「税理士」さんにお願いしているのである。なぜ日本に会社が必要だったtかと言うと?

*多くの日本企業さんは「海外企業との取引に関して明確な取り決めがなく、日本の会社との取引を望んだ」からである。

*海外への送金(現在は非常に楽になっているが)経験やノウハウもないため、国内取引を望む声が大きかった。

そういう理由で仕方なく「日本に法人会社」を作ったのである。

 私が常駐する「ベトナムの会社」は100%ベトナム資本の会社である。ベトナムの場合「資本比率に関係なく

1%でも海外資本が入れば、海外企業」になる。そうなると、税制や監査、などの点で国内企業とは

大分状況が変わるのだ。日本にすでに会社をお持ちでその出先機関としてベトナムで開業する場合は

99%が海外企業である。(自分のように100%ベトナム会社というのは珍しいかもしれない)

100%ベトナム会社ということは利益があれば税金は全てベトナムに入る。そして「利益は国外には理由なく持ち出せない」

つまり起業するときに「ベトナム主体で自分もそこに永住するつもりでないと、この形態での企業は難しいのかもしれない」

つまりどっぷりと「ベトナムに浸かる気があるかどうか?」が重要なのである。

 しかし弊社、ベトナム会社の間接的ユーザは全て日本企業であるため、日本に会社を作り、営業や打ち合わせ、そして

ベトナム会社への発注業務を行わなければならず、それがベトナムに居ながら行わなければならない事が現状の

大きな問題なのである。(今回の問題がそうであるように)コロナはそういう難しい問題を発生させたが

一方で、それらの問題は「MUSTで解決しないと会社が成り立たないため」強力な「IT化と割り切り」を

推進させたと感じている。

 IT化要求を受けて、そんなことを考えた。

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ベトナムハノイの「PCG検査結果とIT化」

2021-12-02 10:41:04 | ベトナム・ハノイ

 ビルでの「コロナ感染者発生」を受けて、昨日「社員全員のPCR検査」を行った。

その日の夜(昨夜)には一人一人に「検査結果がメッセージ」で送付された。

 昨晩「会社管理者からの連絡は無い」ということは「社員全員ネガティブ」だったようだ。

何よりである。これで、後は感染者からの「拡大がなく、発生会社社員の隔離が終われば」通常業務再開である。

まずは良かった。

 ここのところ「ベトナムのIT化は目まぐるしい速さで発展している」

日本よりむしろ「進んでいると思える」

*今回のPCR検査結果の通知

*すべての店や施設(ジムなども含め)に入るときの「URコードでの訪問履歴管理」

*ローカルの店で買い物をしたときの「銀行送金」などのIT化

*WIFI環境の普及度

*身分証明(日本で言うマイナンバーカード)の電子化

等々、デジタル化が急激な速度で進んでいる。国民の平均年齢が若い分、デジタル化への適用能力は

高い気がする。

このような形で各自に「検査結果が配信される」

(AM TINH:ネガティブ)

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ベトナムハノイの「すごい記憶力」

2021-12-02 10:16:11 | ベトナム・ハノイ

 弊社の入っているビルは16階建てのオフィスビルである。

通勤は恐らく90%以上が「バイク通勤」だろう。

従ってビルにはB3,B2がバイクの専用駐車場になっている。それでも収まり切れないものは

1階のスペースに野ざらしで駐車する。

 なので「朝の通勤帯の時間は大変だ」しかもその管理方法が「アナログ形式」で

1台1台「バイクカード」で管理をしている。

① 朝来ると「自分のカード(会社名と会社内での通し番号、そしてバイクのナンバーが記されいるカード)をもらう。

② 帰るときは「このカード」を返却するのである。

(外出時には同じプロセスを繰り返す)

と、簡単に言うが、このビルだけで1500人以上のバイク所有者がいるだろう、朝それらの人がこの

受付を通って駐車場に向かう。つまりここで「すべての人がカードを受け取るのだ」毎日1500人

 そこで特筆すべきは「ここのセキュリティーの人たちである」

時々観察するが、彼らはほとんどの人の「会社と顔(会社の通しナンバー)を覚えているのである」

信じられない事だが? もちろん「取り決めとしては、通勤者は会社のフロアと、会社の通しナンバー

を言うことにはなっているが?」ほとんどはその前に「カードを渡してくれるのだ」

 私のような「外国人」であれば「特徴的」なので覚えているのは理解できるが?

それだけでなく、彼らは「ほぼこのビルの通勤者」を記憶しているのだ。

 職業とはいえ、すごいことだ。あっぱれである。

この2名のセキュリティが毎朝担当する「黄金コンビ」である。どうやって覚えているのか?今度聞いてみたい。

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ベトナムハノイの「年末事情」

2021-12-02 09:39:49 | ベトナム・ハノイ

 12月に突入した。師走である。今日ハノイは今年一番の冷え込みだった。13℃

寒冷地育ちの自分からすると「ちょっと涼しい」ぐらいの気温なのだが?

ハノイの街はもう「ダウンジャケットだらけである」 ようやくハノイの「冬」らしくなってきた。

これからテト前まで「ハノイの本格的な冬」なのである。

 今年もあと1か月・・・というのは日本の感覚。ベトナムの2022年、新年は2月1日が元旦である。

あと2か月なのである。ベトナム在住11年目、その前の期間を含めると、15年間で日本の正月に

日本に居られたのは「2回」である。会社設立当初は「正月に家に帰る余裕」(経済的に)などなく

ベトナムで過ごした。会社がなんとか軌道に乗ったころ、帰ったがこの3年くらいは「コロナで帰れない」

今年は「帰ろう」と思っていたが、どうやら「オミクロン株」のせいで、帰省は難しいようだ。

それでなくともベトナムは「コロナの終息はできていないのだ」

(昨日の感染者14506人、【ハノイ:467人】死者数196人、依然として多い)

 又、孤独な日々をハノイで送らなければならない。弊社はユーザがすべて日本なので、基本日本の休日に合わせて

カレンダーができている。しかし日本の会社は「日本が休み、仕事があればそれをベトナムに振ってくる」

ありがたい話だが、「社員にすれば、日々は日本退社時間ごろに仕事が来る。休みに前日夕方に仕事が来る」

つまりなかなか日本と同じには休めないのだ。 そんな中、日本お年末年始は比較的長く休める。

つまり社員は必ず「帰省してしまうのだ」 いつもの事だが「私は帰省できないので、社員が帰省して誰もいなくなったハノイに残される」

のである。もう慣れたが。

 唯一の楽しみは「ハノイの年末年始の露天風呂」である。毎年、年末年始の2,3日(特に大みそかと元日)は

日本ホテルの屋上にある「露天風呂で1年を締めくくり、そしてスタートする」のである。(お風呂だけを入りに行く)

(行くのもバイクなので、帰りには湯冷めするが)

 久々に帰れると思ったのだが? どうやら今年も「ハノイ暮らしのようだ」

昨日ネットで「おせち料理の海外発送」を調べてみたが、なかなか適当なものがない。

たまには「おせちも食べてみたいが」、もちろんハノイでも「日本料理店では食べれるところもあるが」

この時期、家でゆっくりしたいものだ。

 仕方がない、送れるもの(真空パックになっている物)やお餅を「送ってもらおうか?」

そんなことを考えている「師走の初めの日だった」

 

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