★ベトナム・ハノイは「こんなとこ」★

コネなし、金なし、能力なし。50を過ぎて、単身ハノイで会社を作り10年目。毎日「こんなふうに」すごしています。

ベトナムハノイの「雨のピットイン」

2023-08-09 17:45:34 | ベトナム・ハノイ

 ハノイでは時々「思わぬ雨に遭遇する」車では大したことないが

自分も「もうすでに10年以上バイク通勤である」そんなわけで、バイクに乗っている時も

容赦なく「雨は降る」 雨が降っていることが分かって「バイクで乗り出す」時には

「雨合羽」をつけて「準備万端乗り出すので問題は無いが」 問題は「走っている時に突然の雨」に遭遇した時だ。

もう長年バイク生活を体験しているので「さすがに慣れたが」 走行中の雨に遭遇した時、ベトナム人の

ある意味「バイク生活に慣れたすご技を見ることになる」

 ハノイでは「降り始めた雨が、雨合羽をつけるべきなのかどうかをまずは見極める」そして

「その必要性を感じてからの行動は、本当に素早い」

①まずは降り始めた雨を凌げる場所を探す。

②その場所があればそこに停車(無ければ木の下など、少しでも雨の当たらない場所を選んでバイクを停車させる)

③ほとんどのバイクは「雨合羽」はシートの下の収納庫に入っている。停車するが早いがヘルメットを脱ぎ「雨合羽」(ベトナム語では

AO MUA(雨の洋服)と言う)を頭からかぶりヘルメットをかぶってすぐに走り出す。

*ここまでの動きが「素晴らしく早いのだ」(自分を同じことをするが、手慣れたベトナム人には到底かなわない)

*このピット作業の速さと言ったら「RED BUL TEAMも脱帽の早さなのだ」

そして信号待ちで止まったバイクは多くも「この信号待ちの間にこの作業を余裕をもって終了するのだ」

実に見事である。

若者もおじさんもおばさんも、この作業はベトナム人は「すごく早いのだ」ベトナムに来て「このような機会が有ったら」

是非「そのすご技を堪能してほしい」

この日は運よく「自動車に乗っていたので」この「ピット作業」をつぶさに見ることが出来た。

まずはこうした「雨を凌げる場所にピットインする」そして「F1ピット作業も顔負けの、素早い作業」で

AO MUAを着て、そしてまた「雨のハノイに乗り出すのである」

これもまたベトナム文化である。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ベトナムハノイの「ベトナムGDP飛躍的増加」

2023-08-04 16:29:26 | ベトナム・ハノイ

 長くベトナムは「アセアン諸国」でもGDPはミャンマーには勝るものの他の国よりも低かった

あのラオスよりも・・・昨日「ベトナムGDPが34年で43倍になった」とニュースの見出しにあった。

2022年度の個人GDPは$4163(≒60万円)になった。(アセアンで6位)

 自分も日本からのお客様に「ベトナムの状況を説明する資料には10年前には個人GDP$2000」と言う説明をしてきた。

しかしこれからはGDP60万円の国と紹介できる。 国民が車を持てるGDP基準は$5000と言われてきた。

しかし円安の現在では50万円≒$3500であることを考えれば、ベトナムもすでに「国民が自動車を所有できる経済状態になったのだ」

10年前には予想もしなかったことである。

 自分は「ベトナムでモータリゼーションが起きた時に、それに対応できる

技術者を育てたい」と常々言ってきた。それが今、現実になろうとしている。

10年かけて育成した「日本の技術を修得した技術者がベトナムの自動車づくりに活躍してほしいものだ」

 この10年の間に「VINFAST」というベトナムの自動車会社もできた。(もちろんBMWのノウハウを

購入しての会社だが、日本も昔は同じ、アメリカの真似から入ったのだから問題ない)

そしてかの「EVメーカであるBYDもハノイの隣のPHU TO省に広大な工場づくりを始めた。」

これからいよいよ「ベトナムのモータリゼーションが始まるのだ」そしてGDPが約$5000の一般庶民が

車を所有する時代がベトナムに到来したことになる。(問題は、道路や駐車場、とりわけ公害問題の解決も

同時進行しなければならないが?) 時代は進んでいると感じる。11年前にベトナムに来た時、こんなに早く

こんな状態になるとは「全く思わなかった」 ベトナムの底力を感じる。

 さて、後は弊社の抱える「日本の技術を持った有能な技術者」をどのようにベトナムと言う国のために使うかである。

これから「真剣に、この財産をベトナムのために使えるような仕組みを作らなければならない」

 11年ベトナムで培ったリレーションを駆使し自分が居る間に「何とかこの技術者たちがベトナムの自動車づくりに貢献できる」ような

フィールドを作らないと。・・・ 

このニュースを見ながら、そんなことを考えた。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ベトナムハノイの「数奇な縁」

2023-08-02 12:21:28 | ベトナム・ハノイ

 10年以上ベトナムに「在住すると」好むと好まざるとにかかわらず、いろんな「縁」が出来てくる。

そもそも「最初に会社を作ったとき」に「手伝ってくれたそのころまだ東工大の学生だった人物から始まる」

「彼はハノイ工科大を自主退学し、ドンズー日本語学校に学び東工大に入った」 その後この「ドンズーグループ」

の「日本でのリーダー」になり、どういうわけか「弊社を一緒にやらせてくれと」しばらくは一緒にやってきた。

その後「いろんな理由で袂を分かった」がいろんな人と出会うことが出来た。

*ビナスキー会長:実はベトナムで最初に国産車を作ったのは「このビナスキー社」である。変わったひとで会社名も

「スアン、とキエン」の二人の娘の名前をとって「ビナスキー」となずけた。この人は元は「政府の高官」であったが

とにかく自動車が好きで「それが高じて自動車会社を作ってしまった」原資は、実は「レアメタル鉱山を持っており

そのもうけを自動車につぎ込んだ」しかし現在は休業、閉鎖状態になっている。少し前までは時々日本からの

「面談希望者」をアテンドし、会っていた。どういうわけか「この会長」に気に入られ、自宅での食事や、

「このレアメタル(アンチモン)の販売権まで頂いている。(調べたが到底素人が手を出せることなどできず、宝の持ち腐れ

状態になっているが?」面白い縁である。

 現在の社員は「ほぼ一つの専門学校からの人材」だ、この学校の「学長さんとも数奇な縁である」元はこの

ドンズーのリーダーから紹介されたが、「この学長は、もともと東京大学で15年学び」すごいことに「ある数学定理を発見した人だ」

そしてベトナムに帰り「ベトナムで最初の私立大学である(今も名門大学である)タンロン大学を創立した人なのだ」

その後「大きくなりすぎ、政府からもにらまれ、もともとは理系の人のため、ベトナムの今後を考え【タンロン技術学院】という

専門学校】を創設した。CADと日本語を教えるユニークな発想があたり「日産自動車が目をつけ、一時期は毎年300~400名もの

技術者を「日産テクノベトナム」と言う会社に輩出していた。(延べ5000人と言われている)その後自分が「起業するにあたり、この学長から連絡を頂いた」

ネットで自分を調べ「自動車金型の3Dデータを使った製作データの技術者」であることを知り、これも協力してくれることになった。

もう10年の付き合いだ。弊社社員の根幹は「すべてこの学校からの人材」なのだ。現在でも「日本から人材のオファーがあると

この学長にお願いしている」 私がベトナムで最も「恩を受けた人である」それなりにベトナムで強いリレーションを持つ人で

「コロナ禍」JETROや日本大使館が「ベトナム帰国するのに何の力も貸してくれなかったが」「社員とこの学長」が手続き一切を

行ってくれ、「帰国できた経緯」もある。現在は「多数の教え子がベトナム教育界」で活躍し、このタンロン技術学院の場所には

この教え子たちが私立の「小学校」を運営している。今回も「日本の建築系の会社」が欲した人材は「このタンロン技術学院」から

弊社内の「建築系会社に就職している」

 「コロナ禍」の「ワクチン接種」でも「日本大使館のアクション」よりも数段早く「社員のリレーションでの4階の接種」が

叶っていた。日本からの「薬の送付」に関しても「社員のリレーションで税関より許可を得られた」などなど

自分は「ベトナムでの数奇な縁によるメリットをたくさん受けてきた」

ベトナムに来た時、自分は「できるだけ日本人とは付き合わないようにしよう」と決めて現在まで来た。

自分は「駐在者とは違う」どこにも帰る場所などないのだ。そう思い今日まで来たのだ。

企業の駐在者と違い「数年ハノイで過ごして帰れる人たちとは根本的に異なるのだ」

結果それが「ベトナムでのリレーション」をつなげてくれることになったようだ。

人生とは「つくづく不思議なものである」

いつもの仕事をしながら、「曇りがちのハノイの風景を見ながら、そんなことを考えた」

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ベトナムハノイの「8月は秋?」観光のベストシーズンは?

2023-08-02 11:07:07 | ベトナム・ハノイ

 今週になって「最高気温が32℃程度になっている」先週に比べると「格段に涼しい」

社員に言わせると「**さん8月はもう秋ですから」なのだ。

そうだ、「行方不明旅行に行ったとき、夜食事のあとビラに帰る道端で、日本で言う「秋の虫の声」を

聞いたような気がする。(間違いかとも思ったが?すでにベトナムにも秋が確実に近づいていたのだ)

季節とは不思議なもので「8月1日になったとたんこんなことが起きる」

長年の先人の知恵が「季節になり、時節になったのだろうと思う」

 ハノイでは5月から夏が始まる。このころ来る「日本人の旅行者」から「5月なのに暑い」と言う声を聴く。

そして5月から7月に来た「旅行者」はとっても1時間野外に居られない・・・と言う。

ハノイの夏(5月から7月)には気温は37℃から42℃にもなるのだから仕方がないし

ハノイは「盆地で風が吹かない」事、そして「湿度が高い事」も暑さを助長する要因の一つである。

従って、ハノイ旅行をお考えの方々には10月から3月ごろをお勧めするのだ。

それでも北部のハノイでは「緩やかだが4季がある」その点で自分はホーチミンよりも

ハノイが好きである。

 今の時期、ハノイに来るなら「屋外での活動は1-2時間が限度」と考えるべきだろう。

特に小さなお子さんや「お年寄り」には「きつい気候である」せっかくの「海外旅行」

それなりに楽しむには「やはりそれなりの季節をできれば選んだほうが良い」

もちろん日本と同じ「残暑」や「寒の戻り」のようなものもベトナムにはあるし、「梅雨」も

日本ほどはっきりはしていないが「ある」10年以上住んでいても「なかなか把握しきれないのがハノイの天気である」

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ベトナムハノイの「行方不明旅行その2(どうしようもない廃墟ホテル)」

2023-08-01 10:51:39 | ベトナム・ハノイ

 いろんな事情があり、27,28日ダナンに行ってきた。「予約したホテルがとんでもないところで」

先方もそれを認め「その場で全額返金」すると言ってきた。そのため「その場で他のホテルを予約し、

移動した」以下がその「どうしようもないホテルである」 ホイアンにある。あえて名前をあげる

【ル ベラミー ビーチ リゾート&スパ ホイ アン】 である。絶対にここに行ってはいけない

*レセプション:バイトのおばさんと高校生のバイトが居るだけ、エアコンもない。炎天下の中、長距離を歩かされ予約したビラへ

(通常ならば、電動カートなどで送ってくれるのが普通である。荷物は高校生のバイトが一緒に歩いて持ってきた)

*ビラ:予約したグレードやタイプと全く異なるビラへ連れていかれる。怪しんで「いろんなビラを見ると、廃墟のようになっており

   プライベートプールには「水さえ入っていない」、他に「客は見当たらない」もちろんリクエストした部屋に連れて行くよう要求するが

   準備もできていない。エアコンも動かず、室内は埃っぽく、かび臭い。いつ準備したか分からないシーツやタオル類が埃をかぶっていた。

*上記の点で「クレームを言うと」「全額返金します」との事、もうどうしようもない「場所なので」急遽「他にホテルを取り直した」

*おそらくこのホテル、コロナ前は「普通だったのかもしれないが?」コロナ以来、恐らく「広大な敷地の施設なので」

メンテナンスが出来ず「現状のような状態になったのかもしれない」・・・しかしである。プロとして「お客様を迎えるのだから」

現在のような状態で受け入れるのは「絶対にまずい」 はっきり言って「廃墟のホテルが、部分的に取り繕って営業してしまった」

ような状況なのだ。 全く「どうしようもない施設だった」

 さすがに急遽の予約で「プライベートプール付き」の施設はなく、安全を見て「FOREPOINTS By Syeraton」が運よく空いていたので

予約した。チェックインできたのは16時を回っていた。無駄な時間を過ごしてしまった。とにかく安全第一で再予約した。

(こういう場合はシェラトン、ヒルトン、マリオットなど確実な場所をとらざるを得なくなってしまう)

このホテルは、よく使う「AGODA」と言うサイトで予約したが??? 何をもって「素晴らしい施設」にしたのか?

こういうサイトは「責任をもって評価をしてもらいたいものだ」 この情報を基に予約する人たちも

多いのだから。(先ほど、この情報をメールで送っておいた、他に被害者が出ない事を祈るばかりである)

これが★4つの施設ではない。★1つでも納得しない。何しろ廃墟なのだから。

廃墟ホテルキャンセル後「安全を考えて フォーポインツ シェラトン」を予約した。

22階のバルコニー付き「海側」の客室からの眺め。結局はダナンに移動しての宿泊になってしまった。

しかし隣の「海産レストランは美味しく、いやな思いを払拭してくれた」この手の安心できるホテルチェーンの良いところは

失敗がないことと安定性だろう? 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする