小諸 布引便り

信州の大自然に囲まれて、風を感じ、枝を眺めて、徒然に、社会戯評する日帰り温泉の湯治客です。愛犬の介護が終了しました。

SNSは、果たして、仮想から現実的な運動体たり得るのか?:

2013年09月14日 | 社会戯評
SNSは、果たして、仮想から現実的な運動体たり得るのか?:
セミリタイヤー後に、やむなく、SNSに参加することにしたが、実際、「六次の隔たり理論」ではないが、確かに、人脈というか、様々な情報源へのアクセスは、拡がることは間違いなさそうである。もっとも、その段階から、ある種のオピニオン・リーダー、(このリーダーという言葉が、実に厄介な存在ではあるが、なかなか、適切な表現上の言葉が見つからない。謂わば、コンセプト・コーディネーターとか、オピニオン・サポーターとかいうものであろうか?)、或いは、その延長線上での仮想ではない「現実的な運動体」に機能させるには、一体何が、必要条件としてあげられるのであろうか?実に悩ましい限りである。既に、コンセプトに、ある程度、共鳴している目的意識が明確になっているクラウドのような人々、即ち、「その生活しているところをもっと良くしたいと願う、そういう志しを有する人々」が、少なくとも参画・参集している限り、このパワーを、行政も含めて、ある一定の地域振興や、活性化に、繋げられれば、結果として、それは、補助金を貰っていようが、いまいが、それで結構ではないかと思われる。何も、「一身独立して、一国独立する」とまでは謂わぬが、、、、、、、。もっとも、これまでの経験値から云えば、補助金の切れ目が縁の切れ目であろう事は、事実である以上、これを糧に、或いは、起爆剤として、使用することは決して、間違いではなかろう。むしろ、その間に、どのような仕組みを構築すれば、自立的な運動体となり得るのであろうか?但し、何事も、市場経済の枠の中では、イベントを行なうにしても、経費・時間・労力は掛かるわけで、そのコストのブレイク・イーブン・ポイントは、一体どこまでが、許容され、(無償労働提供のボランティア活動は、ありがたいもので、これは別にして)その為には、事前に、何を準備したら良いのだろうか?どのくらいの規模を想定したら良いのかを、少なくとも、クローズドな範囲でも、中核事務局スタッフや関係者間で、アカウンダビリティーを、きちんと、設定していなければ、少なくとも、反省・展望・改善も、出来ないのではないかと感じる訳です。SNSの会員は、年齢層も又、考え方も、多種多様であり、つかみ所のない仮想のクラウドのようなものかも知れません。しかも、毎日、現役世代で、仕事を持ちながら、メシを食って行かなければならない若い人々が大半であろうかと推察しますが、一人一人の異なったレベルで、例えば、肉体労働が無償提供出来るヒトは、無償肉体労働奉仕で、或いは、ITのノウハウを有するヒトはIT分野で、私みたいな腰を手術したリハビリ中の年寄り人間は、肉体労働ではなくて、お金を街に落とすことで、商品を購入したりと、それぞれの得意な出来うる範囲の役割分野毎で、運動に、参画すれば宜しいのではないでしょうか?それでも、未だ、そうした運動が本格的に、地域を活性化されるような具体的にお金が落ちて、廻るような仕組みを作り出すには、どうしたらよいのでしょうか?飲んで、喰って、喋って、面白、おかしく愉しむことも、悪いことではないのですが、どうも、自己満足の行きを脱することがなく、その延長線上に、何か、別の目指すべき約束された地は、見いだせないのでしょうか?確かに、その延長線上で、起業支援とか、iターン機会の醸成とか、農業・林業・酪農業・飲食・芸術・音楽・絵画・もっと広い意味での文化活動の支援、エコ活動、再生自然エネルギー支援、(欲を言えば切りがありませんが、)広い意味での行政への働きかけ、或いは、外部オピニオン・リーダーたる役割を、具体的に、担える一員になれれば、それに越した事はないでしょう。SNSは、何もその地域に住んでいる人達ばかりではないので、その意味で、外部からの「開かれた眼」を「内向きの眼」とは、異なった視点から、意見を仰げるのも、素晴らしい特徴であります。出来うることなら、結果的に、何とかお金が落ちる仕組み、(飽くまでも、仕組みを作り出すこと、お金を落とすことではなくて、そう言うと嫌がるヒトもいらっしゃるかも知れませんが、)実際、地方都市に住み始めて、大都会に較べて、賃金が低いとか、雇用の場が少ない、等を風聞するにつけ、やはり、起業というと大げさですが、幅広い意味での、安定して長く働くことが出来る、子育てが出来る地域作り、IT分野での仕事でも良し、何でも結構ですから、そういう地域作りに、具体的に、会員各位が、それぞれの役割の中で、協働できるような、出来れば、コンセプトから、運動体へ、そして、点から線へ、そして、面へ、更には、立体へと、発展してゆけるそういう仮想空間ではない、現実に、展開できる場であり、且つ、機会でありたいと、私は、位置づけております。そういうことを出来うるような運動体をSNSに期待するのは、無理なのでしょうか?NPO活動でも、FBでも、ツィッターでも、山を動かすムーブメントの原動力はあっても、どのようにしたら、高い志しを、形あるものに、結実できるのでしょうか?試行錯誤は、続きます。