小諸 布引便り

信州の大自然に囲まれて、風を感じ、枝を眺めて、徒然に、社会戯評する日帰り温泉の湯治客です。愛犬の介護が終了しました。

香港逃亡条例撤廃デモに思う:

2019年07月04日 | 社会戯評

香港逃亡条例撤廃デモに思う:

 

もう、中国本土にも、香港にも、旅行やビジネスで脚を踏み入れることもないであろうし、北京ダックを食べるために、本場のレストランに、ゆくこともあるまい。いくらでの天安門やウィグル族の話題をブログやSNSに投稿しても、中国政府公認の検索に引っかかろうが、もはや、私には関係はなかろう。悲しいことに、テレビの映像を見ても、インタビューされている人々の表情は、マスクをしたり、顔を見られることを一様に恐れていて、明らかに、天安門事件30周年を過度に、意識していたとしても、異常な状況であろう。

明らかに、それは、一連の50年は保証されているとされた中国とイギリス政府間での<一国二制度>にしても、或いは、<書店経営者の本土への拉致>や、<近い将来予想される台湾統一>への予行演習であることは、間違い布石であろうことは、容易に、想像されよう。

天安門事件の時に、鄧小平が、2-300人の死が(実際には、死傷者の数は、10数倍であろうかとも言われているが、、、、)これから、20年の安定をもたらすであろうという、こういう歴史観が、今も、権力者の中には、とりわけ、習近平らの中に、DNAとして、継承されていることは、疑いのない事実であろう。それにしても、<雨傘運動>や、<民主派牧師の裁判運動>をみるにつけ、言論の自由へのすさまじい国家権力の締め付けである。とりわけ、<高校生や若者の危機感>には、SNS上で表現されているように、日本人の若者とのそれの差が、甚だしいモノがあろう。ものを自由に言えなくなる、表現する権利を不当に奪われると言うこと、その危険性を、肌身に浸みて、感じる事、それは、どういう感慨なのであろうか?一時期、<ゆで蛙状態>と表現された状態と、今の日本の状況は、どれほどなものなのであろうか?ささいなことで、言いがかりをつけられて、不当に拘束されたり、逮捕されたら、たまらないが、必ずしも、絶対に、観光旅行中にないとも、限らないのが、残念ながら、現実である。このままでは、必ず、先鋭化した一部の過激な分子が、必ず、議会の占拠とか、道路の封鎖という方向性へ向かうことは必至で、その先に待ち受けているのは、第二の天安門であり、多くの若者が、命を落とす事態になり得るであろう事は、容易に、想像されよう。一体、日本で、この元若者である老いぼれに何が出来るのであろうか?新聞広告に一面、出されたアピールを読んだ瞬間、或いは、女性リーダーのテレビに向かって発せられた切実は、ほとんどゆで蛙状態の日本人に、そして、一種の恫喝とも思える又、<決められない政治に戻るのですか?それとも、しっかりとした安定を!>という偽装にほとんど近い甘いささやきに日本の若者は、騙されてしまうのであろうか?