小諸 布引便り

信州の大自然に囲まれて、風を感じ、枝を眺めて、徒然に、社会戯評する日帰り温泉の湯治客です。愛犬の介護が終了しました。

若者は、本当に7割も政権支持しているのか?何故?

2019年07月10日 | 社会戯評

=若者は、本当に7割も政権支持しているのか?何故?:

50年前の怒れる元若者には、どうしたモノか、なかなか、理解出来ない。尤も、怒れる後期高齢者は、今も、怒っているが、、、、、、。もともと、怒れる若者と政権を支える高齢者という旧来の図式は、今や、通用しなくなりつつあるのだろうか?幸福度とか、非正規社員、実質賃金の低下、グローバル化とデジタル化、などと、微妙に、関連している結果なのであるか?今や、若者の7割が、そして、高齢者の約半分が政権を支持していることは、最近の香港や、アメリカの傾向とは、極だった対比を見せているのは、何故なのであろうか?

50年前の怒れる元若者には、自己否定をしても、その結果、引きこもりや、ドロップアウトを目指したり、ヒッピー的な生活をしても、今で言えば、非正規社員でのアルバイトに明け暮れても、未来に、絶望することもなかったし、結婚も就職も、何とかなるさとばかり、書を捨てて街に出たモノであるが、、、、、、。今なら、スマホを捨てて、世界に出て行くモノであろうか?全く、脳天気だったのだろうか?考えてみれば、大きな組織から、ひとり、徒手空拳で独立しようと決断する時も、別に、未来への不安とか、老後の資金を2千万円貯蓄しようとかも、或いは、老後の不安すらも、何も考える事もなかったものである。社会補償制度のツケを回されるのであろう現代の若者が、成る程、真逆の発想をすることも、理解出来なくはない。確かに、実質賃金が上昇することもなく、ひたすら、企業利益が伸張する一方で、低下傾向にある法人税率と社会補償制度の相関関係を、ひもとけば、構造的であることも、容易に理解できよう、又、デジタル化への環境変化の中で、これまでのモノ生産から、所謂、有形資産から、国境を越えた情報やサービスによる収益構造、無形資産へのグローバルな移行ということも理解出来よう。弱者が限りなく弱者の道をたどり、勝者が、総取りするような、格差社会の現在進行中であることも、理解出来よう。それでも尚、一点理解が出来ない。格差があるから、仕方ないというこういう発想や、茹で蛙状態から、抜け出そうとしない、そういう発想と行動形式には、どうしても、理解出来ない。50年前の怒れる元若者は、今でも、現在進行形なのであろうか?