小諸 布引便り

信州の大自然に囲まれて、風を感じ、枝を眺めて、徒然に、社会戯評する日帰り温泉の湯治客です。愛犬の介護が終了しました。

映画、<閉鎖病棟―それぞれの朝>:

2019年11月02日 | 映画・テレビ批評

ここのところ、やけに映画評論が続いているが、年寄りには、頭の体操でもあり、ぼけ防止、監督や役者との知恵比べと謂ったところだろうか?この映画の印象を述べる前に、<楽園>の中で、主演の一人を好演した綾野剛の演技が、なかなか、興味深かったので、この作品の中でも、ある種共通する彼の演技力に、これからの作品でも、期待したモノである。現代的な問題として、<自殺>、<精神疾患>、<薬物中毒>、<性犯罪>、<性的DV・虐待>、<老々介護>、<死刑制度>、そして、<家族>、この映画の3人の主人公達が、抱える問題は、全て、こうした現代的な、今日的な問題が、独立行政法人国立病院機構が運営する精神科の専門医療施設・小諸高原病院の協力の下に、しっかりと描かれている。元サラリーマンで幻聴に悩まされ、妹夫婦から阻害され精神病院へ隔離されてしまう役の綾野剛、妻の不倫現場を目撃してとっさに、相手もろとも殺戮し、更に、残される老母を切なく思いつつ、手にかけてしまう死刑囚で、奇跡的に、執行時に、生還して、脊椎損傷により、精神病院をたらい回しにされる元死刑囚の役の笑福亭鶴瓶、そして、母の再婚相手から性的DVを受けて自殺を図る、女子高校生役の小松菜奈、更に、この精神病棟の様々な患者の様々なそれぞれの人生模様とその病歴、孤独死、そして、そんな中でも必死に生きようとする患者の生活の中で、日常を一変させてしまうある事件をきっかけに、新たな殺人事件が、不幸にも、起こるべくして、起きてしまう。そして、法廷での展開へと移ってゆく。(ネタバレしない程度にして、是非映画を観て下さい。)
 それにつけても、人は、一度、不幸に堕ち始めると、とことん、蟻地獄の穴にはまってしまったかのように、奈落の底へ、堕ちてゆくモノである。健康な精神は、健康な身体に宿ると謂われているが、本当に、一度、歯車が狂うと、万事がうまく行かなくなるモノである。
家族の中ですら、その<自分の居場所>、社会の中でも、むろん<自分の居場所>、それが、身体的苦痛や病気や、何かのきっかけで、バランスを崩してしまうと、いとも簡単に、<社会的な弱者へと転落>してゆくものなであろうか?社会的な弱者を救済するのは、果たして、<家族のみ>なのであろうか?他には、この社会には、そうした<社会的なセイフティー・ネット制度>みたいな、そんなものはないのであろうか?<JOKER>の中にも出てくるソーシャル・ワーカーの虚しさも解らなくはないが、それでも、最期のシーンで、退院することになった綾野剛に、<ゆっくりゆっくりでいいよ!それでも駄目だったら、戻ってくればいいよ!>という小林聡美演じる看護婦長の言葉で、やっと初めて<唯一救済され>そうである。誰が、<再び立ち上がる>のを助けてくれるのだろうか?刑務所の運動場で、車椅子から、必死の思いで、自分の脚で、一生懸命、<立ち上がろう>とするシーンは、<再び、残りの人生を生きてゆこうとする証し>であり、新たな決断と意思なのであろう。きっと、この3人の主人公は、しっかりと、それぞれの場所で、それぞれの居場所を見つけて、それぞれの朝を迎えて、きっと生きてゆくことを選んだのであろう。 原作は、精神科医の箒木蓬生による同名の著作である。
それにしても、<楽園>での綾野剛が演じた精神を病んだ人間の演技と、この映画での役柄といい、なかなか、若手ながら、良い演技ではないだろうか、又、小松菜名も、やや、エキセントリックな役柄にもかかわらず、思い切った役への挑戦という意味では、将来が楽しみでもあり、又、<楽園>での杉咲花も、楽しみである。見終わってから、上田城映画祭で、今年前半に見損なってしまった<万引き家族>が上映されることを知ったので、今度は、こちらも愉しみである。それにしても、80台とおぼしき老夫婦が、連れだって、次は、何を観るベと、相談している姿は、なかなか、都会では、見られない光景で、この人達には、パチンコ屋は、きっと、不必要であろうし、居場所が見つからないようには、到底思えない。羨ましい限りである。