小諸 布引便り

信州の大自然に囲まれて、風を感じ、枝を眺めて、徒然に、社会戯評する日帰り温泉の湯治客です。愛犬の介護が終了しました。

理不尽としか言い様もないものと付き合う(闘う?):

2019年07月21日 | 社会戯評

理不尽としか言い様もないものと付き合う(闘う?):

 

子どもの頃、大映映画だっただろうか?<大魔神>という時代劇映画があり、余りに不正義が、横行していると、それを見かねて、或いは、人身御供に応じる形で、阿修羅と化した大魔神が、不正義を一網打尽に退治して、虚空の彼方に消え去るというような荒唐無稽な筋書きに、拍手喝采を送ったことを思い起こす。この場合、不正義とは、あるときには、悪徳商人と結託した地元領主の地方小役人であったり、純粋無垢な娘役や父の敵を探して旅する兄妹の設定など、様々である。それにしても、現代では、運転免許を返納しようと考えていた高齢者ドライバーによる暴走事故による幼い愛児や愛する妻を、突然、失ったり、或いは、何の落ち度もない、何の接点も、恨みを買うような関係性のない、全く、赤の他人により、幼い、命が、理由もなく、絶たれたり、未来への希望を期待されていた人たちが、引きこもりなのか、精神疾患なのか、不安、孤独と絶望と欲求不満か、何か、全く、その動機と行為を引き起こした理由が不明な、<理不尽としか言い様もない事件>、<道理にそぐわない事件>が、又、繰り返し惹起された。

一体全体、どう考えたら良いのであろうか?理不尽としか言い様もないものは、常に、自分の隣に、いつでも、お待ちかねなのであろうか?宗教界、キリスト教でも、既成仏教界、新興宗教界からも、一向に、どのように、解釈すべきかと言うことに関するコメントが、高僧からも、また、年末に、漢字一字で、世相を表すつもりなのであろうか、コメントが、一切、聞こえてこない。これらは、所謂、<自然災害や、天変地異とも異なる>。どんなに、清廉潔白でも、前世に良いことや功徳を積んでいても、況んやお布施すらも、含めて、、、、、何の担保にもならず、せいぜいが、精神分析医師からのコメントを貰うくらいの、後付け解説コメントだけなのか?<義に準じた人の血は、碧い>と謂われているが、血に色があるかどうかは、分からぬが、<これらの人々の死に意義があるのか>?それとも、意義があるかどうかは、分からぬが、価値があるのか?無価値なのか?それとも、<価値のあるなしという議論自体>が、ナンセンスなのか?<不条理であること>、<理不尽であること>、<身勝手であること>、<道理にそぐわないこと>とは、一体、何ぞや?何やら、禅問答のようなものになってきた。

それにしても、勧善懲悪的な明快なハッピー・エンドが断固、保証されているというわけには、どうやら、世の中、そうはゆかないことだけは、確かなようである。どのように理解したら良いのであろうか?眠れない悩ましい夜が続きそうである。

 



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