New Normal とSecond Third Job:
緊急事態宣言の解除後も、第二波・第三波への警戒が続く中で、本格的な<Post New Corona>時代への対応予想が、とりわけ、<New Normal> 新たな<新常態>へのライフスタイルについての議論が始まりつつある。私のような老人達にとっては、老い先もう短いのであるから、それ程、大きく影響されるものではないものの、大変興味深く思われ、若い人達とのオンライン飲み会の席でも、自分なりの元50年前の若者と現在の若者達との比較において、論じることも、意義がありそうであるので、少々、考察してみたいと思います。
私の同世代が、若い頃には、就業規則そのもの事態に、<アルバイト兼業禁止>という項目が、厳然として存在していたし、直接、直属の上司からも、注意喚起を促されたことを今でも思い起こす。尤も、今や、就労のミスマッチもあり、或いは、就業労働人口の減少によるアルバイトの禁止の廃止を余儀なくされているのが、<時代の趨勢>ではなかろうか?!
如何に、<一極集中>することへの反省は、謂わば、<集中と選択>から、<分散・多様化>へと移ろいゆく中で、自分の稼ぎも、今や、不労所得ではないものの、main job から、second, third job へと準備万端整えておかないと、人生そのものが、リスクに曝されかねない時代なのかも知れない。それは、これまでの感染症による影響以上に、根本的な働き方改革どころではなくて、<生活様式への革命>、<生き方の大変革>なのかもしれない。いやはや、知らないうちに、<そんな大変な時代の入り口>にきているのかも知れない。もはや、好むと好まざるを得ずに、否応なしに、どうしたら良いのかを考えざるを得ない時なのかも知れない。海外貿易の仕事上、これまでは、否応なしに、通信費の削減を、インタネット回線を使用することで、当時から、一種のテレワークを実戦しなければ生き残れない時代だっただけでなく、その時から、<働き方事態への考察>を余儀なくされてきたわけでもある。
成る程、そう考えれば、都市型過密による経済成長モデルから、相変わらず、<過密な痛勤電車>が当たり前だったと思っていた若い時代から、<social distance>を意識しながらの生活様式への変容は、まさに、<New Normal>への在り方を考察しつつ、どのように、生活を、生業を、稼ぎをリスクを排除しつつ、担保するかということを真剣に考えなければならないのかもしれない。これまで、製造業などは、テレワークに不向きであると謂われてきたにもかかわらず、日立やリコーなどは、積極的に、全社を挙げて、継続する方針を示唆しているし、都心中心部の高層ビルに事務所を構えるIT企業などは、寧ろオフィス契約を不動産会社に契約解消を申し入れるなど、不動産への風当たりも、日本だけではなくて、シリコンバレーなどのこれまで、家賃の急上昇に悩まされてきたIT企業群にも見直しの機運がみられ始めてきたことは、大変興味深いものがあろう。それは、恐らく、遅かれ早かれ、時間差はあるであろうが、広く他業種、企業の大小を問わず、人件費の削減、家賃の削減、交通費・定期券の返納とか、間違いなしに、拡がってこざるを得ないし、それに乗り遅れることは、企業の生き残りに直接関わってくる、まさに<Survival of the Fittest> であろう。
最近のテレビの製作手法をみていても感じられることは、オンライン画像も、徐々に違和感が、抵抗感が薄れてきて、結局、<やれば出来るじゃん!>ということに、<新常態化>してくれば、今まで、高いコストを掛けて、蜜を造り、顔色を見なければ所詮ダメなんだよねというスタイルが、見直され始めることになりかねない。それならば、今までやらなかったのは、何なのさということにもなりかねないし、一度、そうなれば、そう簡単には、資本の論理では、元に戻ることもないだろうし、ましてや、同じ常態には戻ることはあり得ないでしょうね!往復各1時間を掛けていた通勤時間も、24時間の内の2時間/24時間 X 365日 X人生年齢で計算すれば、膨大な時間の無駄をしていたことにも気づき、新しい隙間仕事が、second job として、或いは、人によっては、起床したら、化粧もすることなく、寝間着のママで、一仕事ならぬ、二仕事・三仕事も、スマホで瞬時にして、おカネを稼ぐ時代が来ることも夢物語ではなくなるかも知れません。ヒョッとしたら、室内バイクをこぎながら、スマホで、チョチョイと1-2分程度操作するだけで、おカネが稼げる時代がくるやも知れませんね。そういう夢物語が、夢想ではなくて、現実化するチャンスが到来することでしょう。大変な時代かも知れないが、考えようによっては、とても、面白い時代かも知れません。時代が変わる節目というものは、意外とそういうものかも知れません。その真っ只中にいるときは、分からないが、後から時計を逆回しにすると、あぁ、あの時がそうだったのかと思うものでしょうかね。とりわけ、戦争がなくなると、<感染症という一種の戦時下という概念>が、なかなか、実感できないからかも知れないので、、、、、尚、一層そう感じられるのかも知れません もう、<昔の名前で出ています>という時代ではなくて、<新しい源氏名でオンラインでお目にかかりましょう!>という時代かも知れません。何か、どんどん、時代の方が、自分よりも先へ先へ、遠くへ行ってしまい、取り残されないようにするか、それとも、周回遅れの、取り残されても良いような働き方、生き方を探し出さないと生き残れない時代なのかも知れません。