四国お遍路の旅、阿波決め打ち脚ならし篇:その5:山中雨に打たれてひとり思う:
毎朝、五時半には、起床して、朝食を6時には終了して、旅支度を調えて、6時半には、出発するという日程を繰り返していると、不思議と、身体が、それに慣れてくるものであるから、不思議である。昨今流行の朝方早朝出勤ではない。この日も、歩き遍路の人達を見送ってから、自転車に、荷物を積んで、出発するときに、うっかり、金剛杖を忘れるところであった。何処の寺にも、必ず、数多くの金剛杖や、ビニールのポンチョや雨具類、或いは、菅笠までもが、忘れ物として、遺されている。もっとも、お遍路の人々は、それらの遺失物を拾ってゆく訳ではないから、そのまま、遺されていることになるのであろうか?何はともあれ、毎日雨模様であるから、朝から、毎日、雨具だけは、しっかりと、メンテナンスをしておかなければならない。この日も、前日には、風呂に入りながら、洗濯機と乾燥機をフル活用して、まとめ洗いである。それにしても、下着も、白いポロシャツも、ズボンも、レインウェアーを着用していても、雨と自分の汗で以て、びしょびしょになり、宿でも、乾燥機を利用しない限り、着替えを持っていても、乾くことがない。やっと、この日になって、初めて、着替え分も含めて、湿っぽい衣服から、乾燥した衣服に着替えることが出来た。リュックも、防水加工や撥水加工などでは、駄目で、やはり、しっかりとした、カバーを掛けて、二重袋にでもしていないと、中身までもが、濡れてしまうことになる。(結局、ゴミ袋を被せて凌ぐという緊急手段を講じたが、結構、アナログが案外、役に立つモノであることは皮肉である。)確かに、歩き遍路の人は、リュックに、分厚いナイロンの袋を被せて、背負って歩き始めていた。靴も、又、防水の靴でなければならないことが、既に、再認識されたが、手遅れであった。靴の中に古新聞紙を包んで湿気取りに入れたが、そんな程度では乾燥しないモノである。「お気をつけて、お元気にいらっしゃって下さい!」と送り出しましたが、程なく、曇り空からは、無情にも、一粒、二粒と、雨粒が、又、今日も落ちてきた。天気予報では、回復するような予報であったが、どうやら、その期待も、空しく、裏切られることになる。192号線をひたすら、徳島駅に向けて、東方向へ、17番井戸寺を目指して、自転車をこぎ始めるが、通学途中の高校生の自転車の早いこと、この上ない。やはり、ここら当たりで、太腿の筋肉痛と尾てい骨が痛んできて、休み休みゆかなければ、先が思いやられる。徳島駅行きのバス停で、一時休憩していると、乗客が、「ご苦労様です」と労いの言葉を掛けられた。不思議なことに、これまで、何回となく、鉄道の踏切を横切ったが、悉く、何故か、電車が、偶然、通過するのに、遭遇する、その都度、止まって、再び、ヨイショと掛け声とともに、単線の線路を横切らなければならない。そんなに、頻繁に電車は通らない筈であるが、、、、、実に、不思議である。しかも、17番井戸寺に通じる踏切は、異常に狭くて、前後・双方から、車両が渡ろうとすると、両脇の自転車は、通るスペースがない。こちらは、朝の通勤や通学で、急いでいる訳ではないので、車両が、すべて、渡るのを待ってから、踏切を渡ることにした。狭い道なりである。17番井戸寺では、ベルギーからやってきたという歩き遍路の老夫婦と一緒になったが、二人で、ガイドブックを見ながら、ゆっくり廻るそうで、「have a nice trip !」といって、道中の互いの無事を祈りながら、別れてきた。比較的、この付近は、寺と寺の距離が近いので、気分的には、気が楽である。後は、16番観音寺、15番国分寺、14番常楽寺と、そして、少し離れて、13番大日寺へと、午前中には、逆打ちで廻れそうで、宿で作って貰ったお握りを、ゆっくり、大日寺で、食べ終えてから、この日の宿の神山温泉四季の里へ、軽い気持で、向かう予定であった。内心、楽勝、楽勝!と、タカをくくっていた節が見られる。既に、この頃になると、読経も作法も、慣れてくると同時に、自信もついてきている自分に気が付く。精神的に余裕が出てきたのであろうか?13番大日寺に到着する頃には、既に雨が強くなり、山門の横の椅子で、雨宿りも兼ねて、お握りを戴くことにした。同じく、数人の歩き遍路の人達が、雨具の再点検を行なっていた。ここまで来る途中の道路標識には、神山町役場・神山温泉への方向を207号・21号・438号、約16キロと表記されていたし、地図で、確認しても、これなら、食事を終えてから、1時頃に出発しても、3時半頃には、充分到着できるであろうと勝手に、頭の中で、想定していたが、、、、、、。どっこい、実際には、4時間程度も掛かろうとは、この時点では、全く予想だにしていなかった。
少し、走り始めると、街を抜け始めるが、どうも、道の様子がおかしいのである。舗装された広い道は、徐々に、曲がりくねり始めて、しかも、傾斜が、初めは、ダラダラと、そして、きつくなり始め、道幅も狭まってくる。更に、どうも、山の方へと向かっているらしい。スマホのナビで、現在位置を確認しても、丸い点が、なかなか、進まない。もはや、自転車で、漕いで登れる傾斜ではなくなった。やがて、人家は、気がつくと、もう、見当たらない。道が、沢に沿って登っていると云うことは、結局、山か、峠へ入ってゆくことを意味するわけで、雨は、ますます、激しさを増してきて、もう一度、地図を再確認する。207号、この先、21号と合流して、438号で、神山温泉へと至ることは、どうやら、間違いではないらしい。地元の軽トラや乗用車が、登り坂を難なく、ポンチョで、安全帽を被り、後方安全確認の為に、フラッシュ・ライトを後ろに光らせながら、自転車を押している自分を追い越してゆく。気温が上昇していない割には、体温が高く感じられてならない。どうやら、防水のポンチョの内側で、汗が、あふれ出して、びしょびしょになっているかららしい。おまけに、やたらと、喉が渇き出す。100m程、登っては、その都度、スタンドを立てて、水を飲み、小休止し、位置確認をカーブ・ミラーの電波情況の良い場所で、確認するが、なかなか、一向に進まない。一体、こんな山道の中で、どうなるのであろうかと漠然と不安を抱き始める。歩くということは、自分で、前に歩を進めないことには、誰も助けてくれないことが嫌やが応にも理解される。まぁ、当たり前と云えば至極当然なことであるが、、、、、、。とんでもない山中に、迷い込んでしまったものである。今からでも引き返して、路線バスの通る道に向かうべきであろうか?沢沿いの100m程度毎のカーブ・ミラーで、小休止する度に、そんな迷いが、脳裏をよぎる。鶯の鳴き声がやたらと、耳に響く、沢を流れる河の音は、雨にもまして、ザァー、ザァー、と水しぶきを上げて、これでもか、これでもかと、迫ってくる。そんな中、狭い山道を登りながら、一句、浮かぶ。
「谷の雨、迷い打ち消す、沢の声」 まるで、沢の音が、自分の心に宿っている迷いを、打ち消すかの如く、このまま、間違いなく、進んでゆけば、目的地に辿り着くと示唆しているかの如くに聞こえ始める。後で、地図を見ると、地名に、鬼龍野(オロノ)とか、猪ノ頭という、地名を見つける。成る程、昔の人が何故、こんな名前をつけたのが、納得がゆく。もう引き返せる地点ではないようである。神山森林公園入り口へ800mの標識を見つけるも、ゴルフ・コースでのロング・ホール、パー5のようには、ゆかないものである。距離感とは、情況が異なるときには、本当に、面白いモノである。それでも、喘ぎ乍ら、更にこれを過ぎると、今度は、暗い隊道が、目の前に、現れる。桜○○トンネルとか、書いてあるが、緑の枝で、判別できない、いよいよ、この先は、下りの開始だろうかと期待する。確かに、期待通りである。もっとも、下りでも、山道だから、しかも、雨の中であるから、ブレーキの効きが悪くて、道も濡れているので、慎重に下ってゆかなければならない。それでも、この先、まだ、長い坂が、幾つも、幾つも、続くことになる。既に、3時間以上は、押して、止まって休んで、漕いで、押して、、、、、、この繰り返しである。もはや、自転車を漕ぐのではない。押して、歩くことになってしまった。神山温泉の標識が見える頃には、既に、五時近くになってしまった。一体、いつになったら、着くのであろうか?水も、いよいよ、尽きてきそうだが、自動販売機などは、なさそうである。どうなってしまうのであろうか?
毎朝、五時半には、起床して、朝食を6時には終了して、旅支度を調えて、6時半には、出発するという日程を繰り返していると、不思議と、身体が、それに慣れてくるものであるから、不思議である。昨今流行の朝方早朝出勤ではない。この日も、歩き遍路の人達を見送ってから、自転車に、荷物を積んで、出発するときに、うっかり、金剛杖を忘れるところであった。何処の寺にも、必ず、数多くの金剛杖や、ビニールのポンチョや雨具類、或いは、菅笠までもが、忘れ物として、遺されている。もっとも、お遍路の人々は、それらの遺失物を拾ってゆく訳ではないから、そのまま、遺されていることになるのであろうか?何はともあれ、毎日雨模様であるから、朝から、毎日、雨具だけは、しっかりと、メンテナンスをしておかなければならない。この日も、前日には、風呂に入りながら、洗濯機と乾燥機をフル活用して、まとめ洗いである。それにしても、下着も、白いポロシャツも、ズボンも、レインウェアーを着用していても、雨と自分の汗で以て、びしょびしょになり、宿でも、乾燥機を利用しない限り、着替えを持っていても、乾くことがない。やっと、この日になって、初めて、着替え分も含めて、湿っぽい衣服から、乾燥した衣服に着替えることが出来た。リュックも、防水加工や撥水加工などでは、駄目で、やはり、しっかりとした、カバーを掛けて、二重袋にでもしていないと、中身までもが、濡れてしまうことになる。(結局、ゴミ袋を被せて凌ぐという緊急手段を講じたが、結構、アナログが案外、役に立つモノであることは皮肉である。)確かに、歩き遍路の人は、リュックに、分厚いナイロンの袋を被せて、背負って歩き始めていた。靴も、又、防水の靴でなければならないことが、既に、再認識されたが、手遅れであった。靴の中に古新聞紙を包んで湿気取りに入れたが、そんな程度では乾燥しないモノである。「お気をつけて、お元気にいらっしゃって下さい!」と送り出しましたが、程なく、曇り空からは、無情にも、一粒、二粒と、雨粒が、又、今日も落ちてきた。天気予報では、回復するような予報であったが、どうやら、その期待も、空しく、裏切られることになる。192号線をひたすら、徳島駅に向けて、東方向へ、17番井戸寺を目指して、自転車をこぎ始めるが、通学途中の高校生の自転車の早いこと、この上ない。やはり、ここら当たりで、太腿の筋肉痛と尾てい骨が痛んできて、休み休みゆかなければ、先が思いやられる。徳島駅行きのバス停で、一時休憩していると、乗客が、「ご苦労様です」と労いの言葉を掛けられた。不思議なことに、これまで、何回となく、鉄道の踏切を横切ったが、悉く、何故か、電車が、偶然、通過するのに、遭遇する、その都度、止まって、再び、ヨイショと掛け声とともに、単線の線路を横切らなければならない。そんなに、頻繁に電車は通らない筈であるが、、、、、実に、不思議である。しかも、17番井戸寺に通じる踏切は、異常に狭くて、前後・双方から、車両が渡ろうとすると、両脇の自転車は、通るスペースがない。こちらは、朝の通勤や通学で、急いでいる訳ではないので、車両が、すべて、渡るのを待ってから、踏切を渡ることにした。狭い道なりである。17番井戸寺では、ベルギーからやってきたという歩き遍路の老夫婦と一緒になったが、二人で、ガイドブックを見ながら、ゆっくり廻るそうで、「have a nice trip !」といって、道中の互いの無事を祈りながら、別れてきた。比較的、この付近は、寺と寺の距離が近いので、気分的には、気が楽である。後は、16番観音寺、15番国分寺、14番常楽寺と、そして、少し離れて、13番大日寺へと、午前中には、逆打ちで廻れそうで、宿で作って貰ったお握りを、ゆっくり、大日寺で、食べ終えてから、この日の宿の神山温泉四季の里へ、軽い気持で、向かう予定であった。内心、楽勝、楽勝!と、タカをくくっていた節が見られる。既に、この頃になると、読経も作法も、慣れてくると同時に、自信もついてきている自分に気が付く。精神的に余裕が出てきたのであろうか?13番大日寺に到着する頃には、既に雨が強くなり、山門の横の椅子で、雨宿りも兼ねて、お握りを戴くことにした。同じく、数人の歩き遍路の人達が、雨具の再点検を行なっていた。ここまで来る途中の道路標識には、神山町役場・神山温泉への方向を207号・21号・438号、約16キロと表記されていたし、地図で、確認しても、これなら、食事を終えてから、1時頃に出発しても、3時半頃には、充分到着できるであろうと勝手に、頭の中で、想定していたが、、、、、、。どっこい、実際には、4時間程度も掛かろうとは、この時点では、全く予想だにしていなかった。
少し、走り始めると、街を抜け始めるが、どうも、道の様子がおかしいのである。舗装された広い道は、徐々に、曲がりくねり始めて、しかも、傾斜が、初めは、ダラダラと、そして、きつくなり始め、道幅も狭まってくる。更に、どうも、山の方へと向かっているらしい。スマホのナビで、現在位置を確認しても、丸い点が、なかなか、進まない。もはや、自転車で、漕いで登れる傾斜ではなくなった。やがて、人家は、気がつくと、もう、見当たらない。道が、沢に沿って登っていると云うことは、結局、山か、峠へ入ってゆくことを意味するわけで、雨は、ますます、激しさを増してきて、もう一度、地図を再確認する。207号、この先、21号と合流して、438号で、神山温泉へと至ることは、どうやら、間違いではないらしい。地元の軽トラや乗用車が、登り坂を難なく、ポンチョで、安全帽を被り、後方安全確認の為に、フラッシュ・ライトを後ろに光らせながら、自転車を押している自分を追い越してゆく。気温が上昇していない割には、体温が高く感じられてならない。どうやら、防水のポンチョの内側で、汗が、あふれ出して、びしょびしょになっているかららしい。おまけに、やたらと、喉が渇き出す。100m程、登っては、その都度、スタンドを立てて、水を飲み、小休止し、位置確認をカーブ・ミラーの電波情況の良い場所で、確認するが、なかなか、一向に進まない。一体、こんな山道の中で、どうなるのであろうかと漠然と不安を抱き始める。歩くということは、自分で、前に歩を進めないことには、誰も助けてくれないことが嫌やが応にも理解される。まぁ、当たり前と云えば至極当然なことであるが、、、、、、。とんでもない山中に、迷い込んでしまったものである。今からでも引き返して、路線バスの通る道に向かうべきであろうか?沢沿いの100m程度毎のカーブ・ミラーで、小休止する度に、そんな迷いが、脳裏をよぎる。鶯の鳴き声がやたらと、耳に響く、沢を流れる河の音は、雨にもまして、ザァー、ザァー、と水しぶきを上げて、これでもか、これでもかと、迫ってくる。そんな中、狭い山道を登りながら、一句、浮かぶ。
「谷の雨、迷い打ち消す、沢の声」 まるで、沢の音が、自分の心に宿っている迷いを、打ち消すかの如く、このまま、間違いなく、進んでゆけば、目的地に辿り着くと示唆しているかの如くに聞こえ始める。後で、地図を見ると、地名に、鬼龍野(オロノ)とか、猪ノ頭という、地名を見つける。成る程、昔の人が何故、こんな名前をつけたのが、納得がゆく。もう引き返せる地点ではないようである。神山森林公園入り口へ800mの標識を見つけるも、ゴルフ・コースでのロング・ホール、パー5のようには、ゆかないものである。距離感とは、情況が異なるときには、本当に、面白いモノである。それでも、喘ぎ乍ら、更にこれを過ぎると、今度は、暗い隊道が、目の前に、現れる。桜○○トンネルとか、書いてあるが、緑の枝で、判別できない、いよいよ、この先は、下りの開始だろうかと期待する。確かに、期待通りである。もっとも、下りでも、山道だから、しかも、雨の中であるから、ブレーキの効きが悪くて、道も濡れているので、慎重に下ってゆかなければならない。それでも、この先、まだ、長い坂が、幾つも、幾つも、続くことになる。既に、3時間以上は、押して、止まって休んで、漕いで、押して、、、、、、この繰り返しである。もはや、自転車を漕ぐのではない。押して、歩くことになってしまった。神山温泉の標識が見える頃には、既に、五時近くになってしまった。一体、いつになったら、着くのであろうか?水も、いよいよ、尽きてきそうだが、自動販売機などは、なさそうである。どうなってしまうのであろうか?