時代が変わる節目:天皇という存在と総理大臣
どこもかしこも、一応総改元祝い、右へ並への番組一色である。何故、こうも、まるで、帯状疱疹のウィルスが突然、組成してきたようなはしかのような異様なフィーバーぶりなのであろうか? 成る程、戦後の混乱期に、マッカーサーが、朝鮮戦争を境に、政治的な国民の統合としての象徴天皇制を、政治的に、なぜ利用しようとしたのかが、うっすらと理解出来るような気がする。零和の里などと喧伝された、太宰府天満宮ですら、わずか1日の入場者数が、3年分にも、達するとは、何とも、驚くべき、予期せぬ効果ではなかろうか?平成30年間の特集を振り返ってみても、日本の本当の意味での<時代の変革>という観点からのテレビ特集はなかったような気がしてならない。それ程、時代の変遷というエポックメイキング的の出来事は、まるで、太平洋戦争の開戦日にも、観られなかったような異常な高揚感に満ちているといっても過言ではない。
象徴天皇としての時々の言葉やその行動の裏には、自らの誕生日に、東京裁判での戦犯への絞首刑の執行日が、モノ語るように、まさに、昭和天皇の犯した罪とその贖罪への、或いは、平和に対する、災害も含めた被災者、戦災者へのいたわりという意識が、国民に寄り添わなければならないという、まさに、<国民統合の象徴>という役割を果たしてきたのかもしれない。これに対して、<国民の代表>としての、総理大臣たる、安倍晋三は、憲法改正や、忖度・偽装・改竄などで、<建前論に近づこうとする天皇の言葉と行動>とは裏腹に、お題目の如き国民を疑似代表とする<ホンネの使い分け>を、行うという対照を映し出している。とりわけ、沖縄への住民へ降りそうと言うことは、タダの一度として、今でもないのは、どうしたモノであろうか?
戦争がない時代とか、災害がない時代とか、世界中の人たちが平和と安寧の中で、幸福に暮らせる時代とか、そんなことは、誰しもが、実現されないと分かってはいても、分かっているが故に、そう願わざるを得ない現実が、一方では、存在する。凜とした佇まいとか、安心感を与える存在というような、まるで、模範的な修身道徳教育の理想から抜け出てきたようなそんな象徴的な人物像が、醸し出されているようでもあるコトが、この境目の日にも、感じられるは何故だろうか?それは、上皇にしても、新天皇にしても、自分の責任では決してなく、むしろ、それは、その国民統合の象徴という霧のような曖昧なモノを、利用せんとするものの存在を忘れてはならない。太平洋戦争の開戦日に、その日記に、皮肉な感想を記した、永井荷風ではないが、私たちも、時代が変わる節目とは、一体、何なのか、将来から過去の一時を眺めることしか、出来ないのであろうか?それとも、その通過時点で、はっきりと、分かるものなのであろうか?この日に生まれたということも、出産したことも、この日に死んだことも、この日に、結婚届けを提出したことも、どれだけの節目の価値が、どれほど、日常の連続性の中で、いかほどの価値があることなのであろうか?
時代に即した皇室の在り方とか、象徴天皇としての在り方とは、一体、どんなモノなのであろうか?少なくとも、上皇となった平成天皇が、戦後、小泉信三やヴァイニング夫人に師事したコトを考えれば、留学経験という自分の頭でグローバルな思考と多様性の中で、考えることを学ぶことが出来た新天皇は、国民の間接的な代表たる総理大臣とは、異なる、日本人、或いは、日本としての理想的な在り方を、その言葉と行動とで、日本国民、或いは、全世界の人々にも、直接的に、グローバルに、訴えかけていける可能性があろう。それは、新天皇のみならず、新皇后にも、元女性外交官としての貴重なキャリアを生かした、重要な新天皇へのサポーターとしての役割と重責が課せられることでもあろう。何の象徴なのかを、問い直すときに、どこかの国の皇室みたいに、自由恋愛の末に、スキャンダラスまみれな元女優達とは異なり、凜とした、世界に堂々と胸を張って誇るべき日本の文化、伝統、歴史を、主権者たる国民次第で、如何ようにも、良い意味にも、悪い意味にも、時代は変節してしまう可能性があることを、改めて、確認されることになろう。渋谷のスクランブル交差点の大画面に群がる人の波と数寄屋橋交差点で、号外の配布に群がり狂喜乱舞する人たちは、このとき、何を思い、そして、30年後に、あの出来事を、何と思うのであろうか?