小諸 布引便り

信州の大自然に囲まれて、風を感じ、枝を眺めて、徒然に、社会戯評する日帰り温泉の湯治客です。愛犬の介護が終了しました。

四国お遍路の旅、阿波決め打ち脚ならし篇:その10:現代の便利さについて

2015年07月21日 | 旅行
四国お遍路の旅、阿波決め打ち脚ならし篇:その10:現代の便利さについて

今の世の中は、カネさえ出せば、何でも、手に入るものなのであろう。自分の力ではなくて、一寸、アクセルを踏み込むだけで、急峻な坂も、難なく、登れるし、ワイパーを駆動させれば、雨も何のその、行く手の景色は、クリアになってしまうものである。防水も、菅笠や簑笠ではない。吸湿速乾の素材を活用した下着やレイン・ウェアーで、快適に、過ごせる。飲料水にしても、竹筒に入れて、湧き水を都度、補給するのではなくて、今日では、保温の効く魔法瓶で、或いは、自動販売機で、水分補給も可能であろう。もっとも、そうした便利さは、その恩恵に預からない情況の中に、置かれたときに初めて、或いは、災害時になって初めて、実感されるのかもしれない。ありとあらゆるものが、進化を遂げ、カスタマー・ニーズを具現化し、これでもか、これでもかと実現化して行く結果、「便利」が当たり前と化してゆくことになる。そして、それに、慣れ親しめば親しむほど、便利さは、当たり前となり、その有り難みは、いつしか、薄れてゆくことになるのかもしれない。いつも、メール中心で、連絡しているのに、今回の旅行中には、葉書で、しかも、虫が這って歩くような字で、友人達に、書き送った。通信手段はどうであれ、近況報告をしあうということは、嬉しいものである。歩くことの意味、早起きの意味、雨に打たれることの意味、不殺生の意味、読経を挙げるということの意味、作法を守ると云うことの意味、当たり前に朝食を戴くということの意味、見知らぬ旅の宿での見知らぬ人と会話や挨拶をするという意味、様々な日常生活の中で、普段自分では気が付かなかったことを教えて貰った決め打ちの旅であったような気がしてならない。喘ぎあえぎ、3時間半余りを要して、自転車を押しながら山中、登ってきた峠をわずか、30分程で、あっという間も、文明の利器では、冷たいエアコンの効いた中で、景色を見ながら、過ぎ去ってしまったことには、実にガッカリさせられた。無事に、これで、1番霊山寺から、17番井戸寺まで、今回の阿波決め打ち、自転車による足馴らし篇は、これにて、徳島市内のホテルに泊まるだけで、無事、日程完了である。徳島駅で、輪行バッグから自転車を降ろしていると、安保戦争法案に反対する労働組合の集会に、囲まれてしまった。明日は、フェリーに乗って、再び、東京港まで、帰るだけである。何とか、三つの台風だけは、うまく、逃れることが出来そうである。一路、徳島市内のホテルを目指して、再び、小雨の降り出した中を、自転車をこぐことになった。この晩は、久しぶりに、美味しい阿波牛と寿司でも食べようかと、既に、気持ちは、俗世間に逆戻りの食欲であるのは、凡人、困ったことである。眉山方向とハーバー・ビューの景色を眺めながら、食べる阿波牛と寿司は、久しぶりの有難いご馳走のように、自分の胃袋には、思えた。日常生活の中で、如何にして、凡人は、遍路の精神を保持できるのであろうか?成る程、山中で、峠越えの時に、山頭火の歌ではないが、「ほととぎす、明日はあの山越えて行く」という感慨が、初めて理解し得た喜びは、部屋の中で本を読んでいるときの感慨とは又、別のものがある。久しぶりに、この旅行中に、何句か、発句してみたが、たまには、旅の中で、やってみたいモノである。
「白鷺の 翼羨む 青穂かな」
「谷の雨 迷い打ち消す 沢の声」 
「冷や汗も 熱くしたたる 鬼龍野(オロノ)谷」
「御仏に 心通わす 雨の経」
「石仏 雨に苔むす 遍路道」
何故か、すべて、雨の中での句であるのは、興味深い。
今回は、無事、足馴らしが終了したが、残りは、天気の良い10月頃にでも、今度は、一挙に、無理することなく、車で、ゆっくり、打つことにしてみたい。次は、作法をしっかりと、初めから、愉しみたいものである。これにて、ウォーミング・アップの足馴らしは、ひとまず、終了とする。次の計画を練りたいモノである。


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