未だ、闇市の雰囲気が残る頃の国電の駅前には、よく、復員帰りの兵隊さんか、姉さん被りをした御婦人が、靴磨きの列をなして客待ちをしていたものである。何でも道路の占有権を特例として認める一代限りの靴磨きも、今や、歳とともに、廃業も含めると、随分と、少なくなりつつあると結んでいる。そう言えば、昔は、東京駅舎の中にも、一団高い所へ、鎮座して、靴を磨く側も、腰を痛めることなく、座らずに、立って、靴を磨いてくれたものである。一寸した待ち合わせの時間などを利用して、自分も含めて、サラリーマンが、当時は、よく、利用していたものであることを想い起こす。今や、傷痍軍人のアコーディオンや靴磨きも改札口の切符切りも赤帽さんも、いつの間にか、近代化という波の中で、歴史の中に、消え去ってしまった。昔、ベトナムで、現地のレストランで食事をしていたときに、粗末な服装の靴磨きの幼い少年が、汚いゴムのスリッパ片手に、靴磨きを請いながら、入ってきて、綺麗なシューズを、しばらくしてから、何とも、くすんだ色の靴クリームで、綺麗とは言えない色合いに、磨いて(?)返してくれたことがあったことを想い出す。その時は、色合いよりは、靴自体が戻って来たことを、まず、第一番に、喜んだものであったが、、、、、。それからというものは、決まって、海外に出る度に、マッサージの時や、食事の時には、靴磨きを依頼するのが、習慣になったものである。綺麗かどうかよりも、その靴を磨くという行為に対する仕事への敬意を表するという意味合いの方が、強かったのかも知れない。それは、きっと、戦後間もない頃のかすかな脳裏に残る何かが、思わず、そうさせたのかも知れない、、、、、、とふと、記事を読みながら想う。あの少年は、今、どうしているだろうかとも、、、、、。
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