いよいよ、絵本が9月26日発行予定にまで漕ぎつけました:
未だ、我が老犬の介護に追われていた今年の3月頃に、ふとしたきっかけで、「だから、わたしは”ラッキー”なの!?」(英文併記:That’s why I am “Lucky” !?)という絵本の創作構想を立ててから、試行錯誤の末に、様々な方々の専門的な助言とアドバイスによって、何とか、刷り上がり最終見本を手にすることになりました。これに伴い、後は、残された作業として、最終微調整と修正を行い、今月末頃までには、(一応、9月26日発行予定で、)ネット販売の方も、準備をして貰うことになりました。同時に、URLの取得も予定しています。
(絵本の内容紹介)より ココデ出版用
子供達が犬を飼いたいというので、やや脚の衰えた父の散歩のお供も兼ね、大田区の城南島動物愛護センターの里親募集に応募し、講習会の末に、子犬を貰ってくることに家族会議で決定されました。殺処分される子犬を貰うのだから、口笛に反応する子犬を選ぶことに初めから、決めていました。だから、名前も、”ラッキー”としようと。4匹の姉妹犬の内、一匹だけが、耳がピンと立っていて、初めから、ゲージ越しに、しっかりとこちらを見ている。口笛を吹くと、スタスタと近寄ってくるではないか?「私を助けて下さい」と哀願するような眼で、アイ・コンタクトを外さない。外したら、「命の糸」が切れてしまうのではないかと訴えているようであった。向こう側に廻って、再び、口笛を吹いても、この子犬は、近寄ってきた。係の人に告げると、「この子犬は、良い犬ですよ」と、太鼓判を押してくれました。それからというものは、絵本のストリーの通りです。もし、人生とか、運命とかというものがこの世に、否、「犬の世界」にもあるとしたら、きっと、この子犬は、必死になって、わずか3ヶ月の幼い「命の細い糸」を、自らの力で、手繰り寄せようとし、口笛に引き寄せられたのかも知れません。それは、丁度、今日、虐めや自殺・差別・貧困の問題を抱える、或いは、生きる力を失いつつある、更には、病床に伏せっている子供達に、改めて、生き抜く力とは、何か、死とは、殺処分という事は、何か、家族とは、何か、自分にとって、どういう存在なのか、別れるとは、どういう気持であるのか、等々を、「犬の気持を通して自問自答」してもらう良いきっかけになればと思っています。こんな幼い子犬ですら、自分自身の人生を、必死に切り拓き、ガス室から奇跡的に、生還し、新しい家族の中で、様々な「出逢いと別れ」を経験し、四季折々、新しい家族と過ごし、一緒に、子供達の成長を見届けながら、年毎に、共に、成長してゆき、やがて、歳を重ねるに連れて、身体が衰えてゆく、そんな「犬の一生」を、きっと、子供達は、まるで、「自分の人生」模様のように感じて貰えれば、これに越した喜びはありません。もしも、自分が、この犬の立場になっていたら、皆さんは、果たして、本当に、「だから、私は、ラッキーなの!」と思えるでしょうか?それとも、「だから、私は、ラッキーなの?」と、疑問符がついてしまいますか?答を教えて貰えないままに、”ラッキー”は、逝ってしまいました。
未だ、我が老犬の介護に追われていた今年の3月頃に、ふとしたきっかけで、「だから、わたしは”ラッキー”なの!?」(英文併記:That’s why I am “Lucky” !?)という絵本の創作構想を立ててから、試行錯誤の末に、様々な方々の専門的な助言とアドバイスによって、何とか、刷り上がり最終見本を手にすることになりました。これに伴い、後は、残された作業として、最終微調整と修正を行い、今月末頃までには、(一応、9月26日発行予定で、)ネット販売の方も、準備をして貰うことになりました。同時に、URLの取得も予定しています。
(絵本の内容紹介)より ココデ出版用
子供達が犬を飼いたいというので、やや脚の衰えた父の散歩のお供も兼ね、大田区の城南島動物愛護センターの里親募集に応募し、講習会の末に、子犬を貰ってくることに家族会議で決定されました。殺処分される子犬を貰うのだから、口笛に反応する子犬を選ぶことに初めから、決めていました。だから、名前も、”ラッキー”としようと。4匹の姉妹犬の内、一匹だけが、耳がピンと立っていて、初めから、ゲージ越しに、しっかりとこちらを見ている。口笛を吹くと、スタスタと近寄ってくるではないか?「私を助けて下さい」と哀願するような眼で、アイ・コンタクトを外さない。外したら、「命の糸」が切れてしまうのではないかと訴えているようであった。向こう側に廻って、再び、口笛を吹いても、この子犬は、近寄ってきた。係の人に告げると、「この子犬は、良い犬ですよ」と、太鼓判を押してくれました。それからというものは、絵本のストリーの通りです。もし、人生とか、運命とかというものがこの世に、否、「犬の世界」にもあるとしたら、きっと、この子犬は、必死になって、わずか3ヶ月の幼い「命の細い糸」を、自らの力で、手繰り寄せようとし、口笛に引き寄せられたのかも知れません。それは、丁度、今日、虐めや自殺・差別・貧困の問題を抱える、或いは、生きる力を失いつつある、更には、病床に伏せっている子供達に、改めて、生き抜く力とは、何か、死とは、殺処分という事は、何か、家族とは、何か、自分にとって、どういう存在なのか、別れるとは、どういう気持であるのか、等々を、「犬の気持を通して自問自答」してもらう良いきっかけになればと思っています。こんな幼い子犬ですら、自分自身の人生を、必死に切り拓き、ガス室から奇跡的に、生還し、新しい家族の中で、様々な「出逢いと別れ」を経験し、四季折々、新しい家族と過ごし、一緒に、子供達の成長を見届けながら、年毎に、共に、成長してゆき、やがて、歳を重ねるに連れて、身体が衰えてゆく、そんな「犬の一生」を、きっと、子供達は、まるで、「自分の人生」模様のように感じて貰えれば、これに越した喜びはありません。もしも、自分が、この犬の立場になっていたら、皆さんは、果たして、本当に、「だから、私は、ラッキーなの!」と思えるでしょうか?それとも、「だから、私は、ラッキーなの?」と、疑問符がついてしまいますか?答を教えて貰えないままに、”ラッキー”は、逝ってしまいました。