古道具カフェという空間:
何でも、知り合いから、軽井沢のプリンス通り沿いの馬越ゴルフ場の手前角に、赤いレンガ色の小さな面白いカフェが、開店したから、一度、尋ねてみてあげて下さいと乞われたので、一寸東京へ戻る途中に、フラッと何気なしに、訪問してみた。元々、古道具・骨董品などには、その人間の思いが、何か、焼き付いて、染みついているようで、どうしても、購入したいとは、思わないし、そもそも、女房殿からは、全く、その保管や保存を、肯んぜられることは決してない。その昔、海外出張した度に、土産で購入していた各国の海外人形も、飾られていたピアノの上から、いつの間にか、消え去られていたものである。そういう経験もあるので、元々、ハードルの高い、骨董品屋などは、外人の友人にでも観てみたいと言い出されない限り、訪れることもないし、ましてや、購入することは考えられない。この小さなお店の中には、所狭しとばかりに、様々なジャンルの古道具類が、インテリアとして、飾られている。温厚そうなオーナーは、自分から、その小物類ですら、自らは、問われることもない限り、曰く因縁、故事来歴を語ることはない。そこには、絶妙の間合いが、訪問する顧客との空間には、存在するかのようである。骨董品や古道具といったものを販売するのでもない、何か、有名な名物の美味しいスィーツを提供するカフェでもない。その狭い空間には、10人も入れば、一杯になってしまうような狭い空間には、しかしながら、無限の旧い時間へと旅するような間合いと、「蘊蓄」を聴く、或いは、語り合うという会話の愉しさの可能性が存在するのである。まるで、それは、行きつけのお好みのスタンドバーで、気の置けないバーテンダーや懇意の店主と語り合うときかのようである。私にとっては、所詮、小さな旧い刺繍ミシンも懐かしいおもちゃにも見えてくるが、何とも、その横に、窓の仕切りを飾る木製のボビンに巻かれたミシン糸の方が、少々気になった。随分、色々な色のグラデーションが揃っているものである。しかも、どうも、木綿ミシン糸の色合いでもなさそうである。そこで、恐る恐る、優しそうなオーナーに、キレられる事を恐れながら、敢えて、尋ねると、何でも、世界遺産に認定された富岡製紙工場の周辺で、その昔、どうやら、生産されていた絹糸のボビンだったそうで、これらを周辺で、購入したそういう曰く因縁・故事来歴が、この小物には、隠されていたと云うことを知ることができました。成る程、この空間には、なかなか、この種の面白い小道具が、あり溢れている事に気が付く、又、そのことをオーナーと話しをするということも、新たな「旧い時間への旅行」のような空間と時間を改めて、求められるようなもので実に面白いモノである。そうした想像力とノスタルジックな時間的な誘いがある。そう言えば、壁に飾られている何気ない、旧い竹製のスキーのストックも、スキー靴と一緒のスキー板も、ビンディングも、越後新潟の雪国の高田出身であった、母の子供の頃の話を想い起こすものである。今日、「断・捨・離」や、幸福を呼ぶ魔法のようなお片付けが、世界的にも、流行りであるが、こうした由緒ある敷居の高い骨董品とは、異なり、何か、ノスタルジックな思いというか、道具を通じた「想い出の時間を共有」というものは、確かに、日常生活の中で、あっても然るべきものなのかも知れない。そう考えると、こういう古道具カフェとでも云うのか、骨董カフェという空間があっても、ちっとも、可笑しくはないのかも知れない。むしろ、何故、なかったのかとも思われてしまう。しかも、これが、インテリアを訪問する度に、少しずつ、違っていたら、それは、それで、又、面白いのかも知れない。籐のバスケットも、旧い木製のトランクでも、楽器でも、古本でも、おおいに、宜しいのかも知れない。
ル・テロワール軽井沢 Tel:0267.41.0949 軽井沢町発地1408-27
https://www.facebook.com/le.terroir.karuizawa?fref=ts
https://twitter.com/Leterroir_
まだ、不定期営業というのも、実に、温厚な優しい顔に反して、我が儘なポリシーで、媚びを売らない、何か筋が一本通っているようでいて、宜しいではないか?もっとも、出掛ける前に、電話でもいれた方が宜しいかも知れない。
何でも、知り合いから、軽井沢のプリンス通り沿いの馬越ゴルフ場の手前角に、赤いレンガ色の小さな面白いカフェが、開店したから、一度、尋ねてみてあげて下さいと乞われたので、一寸東京へ戻る途中に、フラッと何気なしに、訪問してみた。元々、古道具・骨董品などには、その人間の思いが、何か、焼き付いて、染みついているようで、どうしても、購入したいとは、思わないし、そもそも、女房殿からは、全く、その保管や保存を、肯んぜられることは決してない。その昔、海外出張した度に、土産で購入していた各国の海外人形も、飾られていたピアノの上から、いつの間にか、消え去られていたものである。そういう経験もあるので、元々、ハードルの高い、骨董品屋などは、外人の友人にでも観てみたいと言い出されない限り、訪れることもないし、ましてや、購入することは考えられない。この小さなお店の中には、所狭しとばかりに、様々なジャンルの古道具類が、インテリアとして、飾られている。温厚そうなオーナーは、自分から、その小物類ですら、自らは、問われることもない限り、曰く因縁、故事来歴を語ることはない。そこには、絶妙の間合いが、訪問する顧客との空間には、存在するかのようである。骨董品や古道具といったものを販売するのでもない、何か、有名な名物の美味しいスィーツを提供するカフェでもない。その狭い空間には、10人も入れば、一杯になってしまうような狭い空間には、しかしながら、無限の旧い時間へと旅するような間合いと、「蘊蓄」を聴く、或いは、語り合うという会話の愉しさの可能性が存在するのである。まるで、それは、行きつけのお好みのスタンドバーで、気の置けないバーテンダーや懇意の店主と語り合うときかのようである。私にとっては、所詮、小さな旧い刺繍ミシンも懐かしいおもちゃにも見えてくるが、何とも、その横に、窓の仕切りを飾る木製のボビンに巻かれたミシン糸の方が、少々気になった。随分、色々な色のグラデーションが揃っているものである。しかも、どうも、木綿ミシン糸の色合いでもなさそうである。そこで、恐る恐る、優しそうなオーナーに、キレられる事を恐れながら、敢えて、尋ねると、何でも、世界遺産に認定された富岡製紙工場の周辺で、その昔、どうやら、生産されていた絹糸のボビンだったそうで、これらを周辺で、購入したそういう曰く因縁・故事来歴が、この小物には、隠されていたと云うことを知ることができました。成る程、この空間には、なかなか、この種の面白い小道具が、あり溢れている事に気が付く、又、そのことをオーナーと話しをするということも、新たな「旧い時間への旅行」のような空間と時間を改めて、求められるようなもので実に面白いモノである。そうした想像力とノスタルジックな時間的な誘いがある。そう言えば、壁に飾られている何気ない、旧い竹製のスキーのストックも、スキー靴と一緒のスキー板も、ビンディングも、越後新潟の雪国の高田出身であった、母の子供の頃の話を想い起こすものである。今日、「断・捨・離」や、幸福を呼ぶ魔法のようなお片付けが、世界的にも、流行りであるが、こうした由緒ある敷居の高い骨董品とは、異なり、何か、ノスタルジックな思いというか、道具を通じた「想い出の時間を共有」というものは、確かに、日常生活の中で、あっても然るべきものなのかも知れない。そう考えると、こういう古道具カフェとでも云うのか、骨董カフェという空間があっても、ちっとも、可笑しくはないのかも知れない。むしろ、何故、なかったのかとも思われてしまう。しかも、これが、インテリアを訪問する度に、少しずつ、違っていたら、それは、それで、又、面白いのかも知れない。籐のバスケットも、旧い木製のトランクでも、楽器でも、古本でも、おおいに、宜しいのかも知れない。
ル・テロワール軽井沢 Tel:0267.41.0949 軽井沢町発地1408-27
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まだ、不定期営業というのも、実に、温厚な優しい顔に反して、我が儘なポリシーで、媚びを売らない、何か筋が一本通っているようでいて、宜しいではないか?もっとも、出掛ける前に、電話でもいれた方が宜しいかも知れない。