新しい型の鬱病が増加しているという。何でも、自己愛が強く、うまくいかないと、他人のせいにしたがる新手の鬱病のようである。自己愛性人格障害に近いそうである。これまで、「逃避型」、「未熟型」等のマイナス・イメージで、語られてきたが、「dysthymic disorder(気分変調性障害)= ディスチミア親和型うつ病」と謂われているものらしい。従来の型とも違うらしいとも、、、、、、。
=メランコリー親和型うつ病(従来型のうつ病)年齢層:中高年層
病前性格:責任感や役割意識が強く、自分を追いつめて(自責的になって)発症する。
仕事熱心で社会的にも、家族的にも、成功している場合が多い。
診断に対する態度:初期にはうつ病の診断に抵抗する。
薬物への反応:良好で、中止まで持っていける。
経過:休養と服薬で軽快しやすい。病み終えて、新たな役割意識を獲得するに至る。
自殺傾向:完遂しかねない熟慮した自殺企図。
=ディスチミア親和型うつ病(新しいタイプのうつ病)年齢層:青年層
病前性格:役割抜きでの強い自己愛と漠然とした万能感を持ち、挫折に際しては他罰的傾向を示す。もともと仕事熱心ではない。社会的役割で成功する前に、回避的となり職場を移動しがち。
診断に対する態度:初期からうつ病の診断に協力的だが、症状からの離脱には消極的。
薬物への反応:部分的で、なかなか中止できない。
経過:休養と服薬だけでは慢性化しやすい。病み終えず、どこからが病気で、どこからが生き方(人格)かが不分明。
自殺傾向:衝動的な自傷行為、大量服薬など。
戦後の、経済的には比較的恵まれた環境に生まれた現在の青年層は、規範よりも自由を尊重する風潮の中で育ったが、近年、職場は激しい競争に曝されており、過酷なノルマを課すようになった。若者は就職後、早々と挫折を味わうが、そのような困難な状況を何とか切り抜けるための、人間関係の構築が不得手な人が多く、その解決策として、他罰的な感情を抱き、逃避的になってしまう。するとさらに叱責される結果となり、悪循環が形成され、その葛藤に耐えられなくなってディスチミア親和型うつ病を発症する。要するに、このタイプのうつ病は、規範よりも自由を尊重してきた風潮と、過酷な現実社会のギャップを反映したものである、というわけです。、、、、、、、、、と説明にある。
更には、こうも書かれている。訴えを傾聴し、時間をかけて問題点を整理し、患者と協同して解決策を見出していく。職場への回避の気持ちが強い場合は、復帰へのリハビリテーションも重要である。従来のうつ病治療の原則であった、「まずは休むこと、薬を飲むこと」、だけでは置かれた立場が悪化して、病気が遷延化しやすいことを念頭に置く必要がある。、、、、、、、とも。
私は、過去2回程、従業員の採用の際に、鬱病患者と接点があった。一度は、全く見抜けず、採用後、薬の大量服用で、突然、無断欠勤、2度目は、履歴書に、空白期間を発見し、質問したら、完治の診断書を見せられた。友人が経営するIT会社や、大手広告会社の人事部の友人や、出版社に勤めていた友人は、まるで、掃きだめのような部署で、彼らの面倒を任せられ、こちらが、逆に、鬱病になりそうになったと、謂っていた。子供の時から、飯を喰うのも、競争だし、すし詰め教室に、55人~60人も、押し込まれて教育された世代には、全く、ゆとり教育や、25人学級などは、夢の世界の話であるが、「心の風邪」などと、簡単に、言っていられる程、実際には、生やさしい状況ではなさそうである。何でも、神経症や、軽い気分の落ち込みまでも、ある種のガイドラインに沿って、薬を処方されたり、鬱病とされたら、たまったものではない。適度の運動と、心と体のバランスをメインテナンスすること、今まさに、必要とされているようである。家族という自分を視てくれる客観的な鏡になってくれる眼も、必要であろう。ヨガやティラピスの呼吸法も、良いのではなかろうか?温泉に浸かると、全身の体内の血流が、つま先から、頭のてっぺんまで、まるで、入れ替わったような気がする。これを毎日、欠かさずやっていたら、防止になるのだろうか?
=メランコリー親和型うつ病(従来型のうつ病)年齢層:中高年層
病前性格:責任感や役割意識が強く、自分を追いつめて(自責的になって)発症する。
仕事熱心で社会的にも、家族的にも、成功している場合が多い。
診断に対する態度:初期にはうつ病の診断に抵抗する。
薬物への反応:良好で、中止まで持っていける。
経過:休養と服薬で軽快しやすい。病み終えて、新たな役割意識を獲得するに至る。
自殺傾向:完遂しかねない熟慮した自殺企図。
=ディスチミア親和型うつ病(新しいタイプのうつ病)年齢層:青年層
病前性格:役割抜きでの強い自己愛と漠然とした万能感を持ち、挫折に際しては他罰的傾向を示す。もともと仕事熱心ではない。社会的役割で成功する前に、回避的となり職場を移動しがち。
診断に対する態度:初期からうつ病の診断に協力的だが、症状からの離脱には消極的。
薬物への反応:部分的で、なかなか中止できない。
経過:休養と服薬だけでは慢性化しやすい。病み終えず、どこからが病気で、どこからが生き方(人格)かが不分明。
自殺傾向:衝動的な自傷行為、大量服薬など。
戦後の、経済的には比較的恵まれた環境に生まれた現在の青年層は、規範よりも自由を尊重する風潮の中で育ったが、近年、職場は激しい競争に曝されており、過酷なノルマを課すようになった。若者は就職後、早々と挫折を味わうが、そのような困難な状況を何とか切り抜けるための、人間関係の構築が不得手な人が多く、その解決策として、他罰的な感情を抱き、逃避的になってしまう。するとさらに叱責される結果となり、悪循環が形成され、その葛藤に耐えられなくなってディスチミア親和型うつ病を発症する。要するに、このタイプのうつ病は、規範よりも自由を尊重してきた風潮と、過酷な現実社会のギャップを反映したものである、というわけです。、、、、、、、、、と説明にある。
更には、こうも書かれている。訴えを傾聴し、時間をかけて問題点を整理し、患者と協同して解決策を見出していく。職場への回避の気持ちが強い場合は、復帰へのリハビリテーションも重要である。従来のうつ病治療の原則であった、「まずは休むこと、薬を飲むこと」、だけでは置かれた立場が悪化して、病気が遷延化しやすいことを念頭に置く必要がある。、、、、、、、とも。
私は、過去2回程、従業員の採用の際に、鬱病患者と接点があった。一度は、全く見抜けず、採用後、薬の大量服用で、突然、無断欠勤、2度目は、履歴書に、空白期間を発見し、質問したら、完治の診断書を見せられた。友人が経営するIT会社や、大手広告会社の人事部の友人や、出版社に勤めていた友人は、まるで、掃きだめのような部署で、彼らの面倒を任せられ、こちらが、逆に、鬱病になりそうになったと、謂っていた。子供の時から、飯を喰うのも、競争だし、すし詰め教室に、55人~60人も、押し込まれて教育された世代には、全く、ゆとり教育や、25人学級などは、夢の世界の話であるが、「心の風邪」などと、簡単に、言っていられる程、実際には、生やさしい状況ではなさそうである。何でも、神経症や、軽い気分の落ち込みまでも、ある種のガイドラインに沿って、薬を処方されたり、鬱病とされたら、たまったものではない。適度の運動と、心と体のバランスをメインテナンスすること、今まさに、必要とされているようである。家族という自分を視てくれる客観的な鏡になってくれる眼も、必要であろう。ヨガやティラピスの呼吸法も、良いのではなかろうか?温泉に浸かると、全身の体内の血流が、つま先から、頭のてっぺんまで、まるで、入れ替わったような気がする。これを毎日、欠かさずやっていたら、防止になるのだろうか?