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狂気(クレイジー)に思えても、聖夜なのよ?


ちょっとした用事で、東京駅前の郵便局、KITTEに寄ってみたところ。
クリスマスツリーともイルミネーションとも言えそうなものがあり、
何枚か、撮っていくことにしました。




以前に記したけど。
クリスマスツリーの “☆(星)”の飾りは、
イエス・キリストの誕生を知らせた「ベツレヘムの星」の逸話からのもの。
ツリーのイルミネーションは、
宗教改革で知られるマルティン・ルターが発想したと聞く(諸説あり)。
キリスト教文化の影響を無視できないクリスマスだけど…。
実際には、イエス・キリストの生誕の日でもなく。
キリストの生誕日を始まりとする西暦にも、
歴史との照合を怠ったためズレがあるとも言われる。
そんなキリスト教と言えば、カトリックとプロテスタントの2派だけにも、
思えるときがあるけど。
ギリシア正教やロシア正教(この2つの正教は、同じ派に属する)もあり。
これらに分かれていった経緯には、歴史的な事柄が、
ゴチャゴチャと絡んでくるのも、世界的な規模の宗教らしい。



4世紀末、ローマ帝国は、東西に分かれる。
その後、西ローマ帝国は滅亡し、
東ローマ帝国は、港町の名前から、ビザンツ帝国と呼ばれることとなる。
キリスト教は、ローマ帝国の国教だったこともあり。
政治的な権力とも無縁でもないのだろうけど。
8世紀、ビザンツ帝国の皇帝は…。
「キリストは神であり、神の姿を人間のように表現するのは
許されない」と、“聖像”を崇めることを禁止する(聖像崇拝禁止令)。

この聖像崇拝禁止令に対して、
西ヨーロッパで勢力を広げていたローマ教会は、反発する。
ビザンツ帝国の皇帝の話は、もっともに思えるけど、
現実に即していなかった。
何故なら…。
西側には文字の読めない人が多く。
それらの人々への教材や宣材ともなる聖像が、布教には必要でもあった。
聖書には…、
「人はパンのみにて生きるにあらず」とは記されているもの。
聖職者たちとて、食わねば生きていけない。
当時のキリスト教は、単なる宗教でなく。
現在と違って、教養や学位、権威といったもの。
(ある意味、現在もだけど…。)
生活の糧にも関わることだったのかも知れない。
これが発端(引き金)となって、
ローマ帝国とコンスタンティノープルの教会は対立。
11世紀には、西のローマカトリック教会と、
東のギリシア正教会とで分裂してしまう。
さらに16世紀の宗教改革によって、
カトリックとプロテスタントへと分かれていくのだけど…。
現代人の主観で言わせてもらえれば…。
つくづく思想(宗教)って面倒くせぇなぁーあ!!
(言ったら、おしまいだよ)



ついでに言えば、11世紀以降のヨーロッパの人々には、
十字軍の遠征により、キリスト教徒としての一体感もあり。
キリスト教は、統一国家を作るための、よき下地となり。
法王を頂点としたピラミッド型に組織された教会のシステムは、
広い国土と多くの国民を一人の王が支配する方法を示唆してくれる。
ここにエラい人たちの政治的な意図が見え隠れしているときもあり。
歴史上の人物たちの、トホホな部分に気付いてしまうときもある。
(ダメじゃん!)



蛇足:
これも以前にも記しましたが…。
サンタクロースの衣装は、コカ・コーラによるもの。
クリスマスを商業化させたのは、
大手デパートの”メーシーズ”だと聞いたことがある。
異国の文化への敬意もなく、
ただ軽薄な商業主義的なイベントとなっているクリスマスやハロウィンを、
好きになれない…とでも言えば、ヒネた大人みたいだけど。
プレゼントを貰うこともなければ、贈る相手もいない。
だから…。
イブとクリスマスの2日間は、ただのバカ騒ぎに見える。
そして、年末年始には、まるで無かったものとして寺社へと向かう。
まさに狂気の沙汰としか思えない…というのは、
もちろん、ただのヒガみ(ブウたれているだけなの、よ)。
そんな気分でありながら、
「東京クリスマスマーケット」で利用したカップを捨てられず、
持ち帰っているところもあり。
自分の気持ちには、どこかウソが含まれていることに気付かされる。
どこかで、やけ酒でも煽るかな。

東京クリスマスマーケットに関連した過去の記事 ⇒
「東京クリスマスマーケット:2019年芝公園」
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