虹の向こうに

4人の子どもの父親をしています。
リバ剣、段位は三段。
なぜか少年野球の監督してます。

「“ためにする”だと、だめになる」

2005年08月03日 | ひとりごと
ボクには愛読書とまでいえるものはあいにくありませんが、愛読誌ならあります。
R25って知ってますか?
(PC・モバイル版R25はこちらから)
駅なんかで配ってる、週刊のフリーペーパーですが、タダだからって侮れん。
なかなかおもしろいです
(最近行きつけの?配布スタンドが品薄でありつけないことあり・・・

その中に、毎回インタビュー記事が載っています。
今日は、その中から作家・京極夏彦氏のとこ、かいつまんで。

氏いはく、「小説家は作品についてあれこれ語ってはいけない」
同じく、「作者と作品は切れてるべき」ということ。
つまり、作者がどう考えて書いたかではなく、読者が読んでどう感じるかの方が作品にとって大事だということ。
これはボクの考え方とも一致(きっと歌もそうだ、と思う)。
だからこそ、文学談義にも花が咲くというもの

そして氏いはく、「“ためにする”だと、だめになる」
仕事について語っている部分をそのまま転記すると、
「どんな仕事でもおもしろいですよ(中略)目的を達成しようという“ためにする”だと、目的が達成できなかったらだめだってことになりますよね?
100万円貯めるために働いて50万しか貯まらなかったら、失敗でしょ?
でも、働くこと自体がおもしろければ、50万貯まれば成功ですよ。」
「大成功はないけど、失敗もない」とも
これはちょっとうなりました。
「なるほどぉ、それならまんざら今の自分の人生間違ってないぞ」
ありがとう、京極氏

「この世には面白くない本などない」とも言っています。
面白いツボを探そうという姿勢で読む読者の努力も必要だと・・・
謹んで、京極氏著「姑獲鳥(うぶめ)の夏」を読ませていただきます