虹の向こうに

4人の子どもの父親をしています。
リバ剣、段位は三段。
なぜか少年野球の監督してます。

卒業式は誰がために

2009年03月25日 | ひとりごと
ボクが今の学校に赴任した年(平成15=2003年)、卒業式についてある議論がされていました。

それは、生徒の席を卒業生と在校生の対面したものにするか否か。

肢体不自由の学校では、知的段階で分けられた、いわゆる「縦割り」のグループで通常の授業を行っていて、学年を越えた関わりも多い。

だから、身近に過ごした者どうし、終始顔を合わせて送り送られるのもいいのではないか、と。

議論が進み、具体的にどうすれば円滑に進行できるかという話になった頃、卒業式に関するある通達が都教委から出されました。

「舞台正面には国旗と都旗を広げて掲げる」
「出席者は国旗に対して正面を向くように位置する」
というようなこと。

そこに各学校の実情や工夫の入り込む余地などありません。

当然、対面する案は無条件に却下という形になりました。

他のある学校では、卒業式の壇上正面に大きな卒業制作を飾る伝統がありましたが、それもできなくなりました。

他にも「証書の授与は壇上で行う」というのもありました。

肢体不自由校の中には、車イスや歩行が不安定な卒業生に配慮して、舞台の下で証書授与をしている学校もありました。

各校から「スペースが狭く、証書授与を壇上で行うには危険もあるから舞台下での授与を認めてほしい」と訴えたところ、肢体不自由全校に簡易の増設舞台が配備されました。

「国歌を必ず斉唱し、その際の伴奏はピアノで行う」なんてのもあった。
体育館にピアノがない学校には、他のピアノ設置教室から移動する予算がつきました。


そこまでして(特別な予算をつけてまで)通達を徹底させたのです。


卒業式の本質を考えるまでもなく、卒業式の主役は卒業生のはず。

だから、どの学校も卒業生のことを思っていろいろと工夫や配慮をしてきた。

でも都教委はそんな努力を無視し、否定して学校に、教育に対する締め付けを行っているのです。

愛国心を育むためらしいけど・・・

それを大義名分にして学校とそこでの教育内容を完全な統制下におさめたい・・・ということではないの?


改めて問わねばならない。

卒業式は誰がために

教育は誰がために・・・