奈良のむし探検

奈良に引っ越しました。これまでの「廊下のむし探検」に倣って「奈良のむし探検」としましたが、動物・植物なんでも調べます。

春日若宮おん祭 お渡り式

2023-12-28 20:54:21 | 神社・寺・古墳など
奈良散策 第1024弾


12月17日、春日若宮おん祭を見に行きました。この日は朝10時前に始まった初宮神社での田楽奉納を見た後、春日大社の参道にある御旅所に行き、そのあと、行列に参加する馬を見に飛火野に行きました。その後、12時からお渡り式が始まるので、県庁前に行きました。お渡り式は行列のことで、県庁前の登大路園地で「試しの儀」行った後に行列が始まり、近鉄奈良駅前を通り、JR奈良駅に行き、その後、三条通りを通って、南大門跡で「南大門交名の儀」を行い、一の鳥居に向かいます。馬50頭、参加者1000名という大きな行列です。



実は、行列がどの道を通るのか知らなかったので、県庁の東にあるバスターミナル周辺で待っていたら、ちょっと離れたところで行列が始まっているのが見えました。



慌てて県庁前に行って写真を撮ることにしました。お渡り式の行列は順番が決まっています。第一番は「日使(ひのつかい)」だと思っていたのですが、どうもこの行列は違います。



後で分かったのですが、この馬に乗っている方は奈良市長さんでした。











行列は続くのですが、いったい何の行列なのかさっぱり分かりません。ひょっとして準備のできた団体から出発しているのかもと思ってしまいました。実際は、この行列は先行行列と言って、明治以降に始まった新しい行列のようです。



そして、ようやく幟(のぼり)をもった行列がやってきました。「梅白枝」と「祝御幣」と書かれています。「式年造替奉祝 春日若宮おん祭」というパンフレットを見ると、実はこれが行列第一番の日使(ひのつかい)の行列の先頭だったのです。パンフレットによると、おん祭は平安時代の保延二年(1136年)に関白藤原忠通公が大和国をあげて執行したのが始まりだそうです。「日使」は太陽の使いみたいな名前ですが、実は、関白藤原忠通公がこの祭に参加する途中、にわかに病気になり、お供の楽人にその日の使いをさせたというのが起源だそうです。



「日使」の行列が続きます。これは御幣の行列。





そして、これは十列児の行列。





やっと「日使」がやってきました。



それから、騎馬の陪従。これで「日使」の行列が終わりました。





次は第二番の巫女(みこ)の行列で、最初は辰市神子です。



これは郷神子。



そして、これは奈良神子。

行列をそのまま見ていてもよかったのですが、ひょっとして順不同で行列が行っているのなら、あまり見ていてもしようがないなと思って、興福寺の南大門跡で行われる「南大門交名の儀」を見に行くことにしました。人がいっぱいなので、ちょっと遠回りなのですが、登大路園地の東の端を通っていくことにしました。



そうしたら、登大路園地で行われている「試しの儀」をちらっと見ることができました。ちょうど第五番の田楽座の人たちがそちらに向かっているところでした。





この担いでいるのは五色幣というそうです。



後ろで運んでいるのは綾藺笠(あやいがさ)で、笛役の二藹(ろう)がかぶることになっているものです。





これは第六番で、山鳥の尾がついた「ひで笠」をかぶった馬長児(ばちょうのちご)です。その後ろには短冊をつけた笹竹を持ち、龍の造り物を頭に載せた被者が続きます。



次に見たのは第八番の流鏑馬(やぶさめ)のグループでした。赤い衣装を着たのが揚児(あげのちご)、白い衣装は射手児(いてのちご)だそうです。

長くなったので、南大門跡で行われる「南大門交名の儀」は次回に回します。


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