奈良散策 第661弾
12月15日から18日は奈良最大のお祭りである「春日若宮おん祭」の日です。15日には近鉄奈良駅南側にある餅飯殿(もちいどの)センター街にある大宿所(おおしゅくしょ)で御湯立や大宿所祭が開かれます。いろいろな行事が始まる午後になるときっと混むだろうから、その前に写真だけ撮っておこうと思って、午前中に大宿所に行ってみました。いつもなら車で行くのですが、今回はお祭りなので、駐車場が混むだろうと思って、近鉄電車で行きました。
近鉄奈良駅で降りて、東向商店街を歩いていたら、春日若宮おん祭の展示がありました。この衣装は「馬長児(ばちょうのちご)」が17日の御渡り式で着るもので、被り物の上には山鳥の尾がついています。「馬長児」はもともと興福寺学侶が交代で稚児を出したということです。
こちらは「春日若宮祭礼屏風」をもとに現代に描かれた屏風です。御渡り式の様子を描いています。
餅飯殿町センター街の入り口には案内が出ていました。
大宿所の入り口はこんな狭い餅飯殿町センター街の途中にあります。その入り口にも案内が出ていました。
センター街から中を覗いたところです。入り口は狭いのですが、内部は広そうです。
中に入ってすぐに気が付くのは途轍もなく大きな刀です。これは17日の御渡り式で「野太刀(のだち)」として行列に参加します。長さ5.5mもある刀です。
そして、向かって右側には木の枝で覆われたものがありました。これは「懸物(かけもの)」といって供物を掛けるところです。
中には雉と鯛と鮭がぶら下がっていました。昔は雉が1200余羽、狸が143匹と兎が136匹、その他鯛などが神饌としてぶら下がっていたということです[1]。これは領主の要請により村々の庄屋が手に入れたとのことです。現在はさすがに雉は剥製5羽と鯛が20匹、鮭が多数という構成でした。正面には懸鳥奉賛者一覧が掲示されていて、多数の会社が名を連ねていました。
[1] 森隆男、「仮屋から見た春日若宮祭」、関西大学博物館紀要 4, 82 (1998).
これは反対側から撮ったものです。
広場の中央には御湯立(みゆたて)の式のために大きな釜が置かれていました。
午前中だったので、まだ準備中でした。
以前、大和郡山の新城神社で湯立て神事を見たことがあったのですが、そのときよりは大きな釜でした。
正面の建物の中も見ることができました。
奥には御渡り式で着る多数の衣装が展示されていました。
ガラス越しに撮ったものです。
奥には立派な鎧が置かれていました。これは大和士(やまとざむらい)が着用するものです。
そして、これは御幣です。
外側には七夕のような笹が置かれていました。短冊が吊り下げられていて、「忍ぶ恋」、「見る恋」、「逢う恋」など、やたら「恋」という文字が目立ちます。これは「恋笹」といって、最初に出てきた「馬長児」の後ろに従う「被者」がもつものだそうです(近くにいた人に教えてもらいました)。
もう一度、正面の建物を撮りました。「奈良まほろばソムリエ検定」という本によると、もともとこの大宿所は「おん祭を支えた大和の武士団が身を清めて、祭りの準備のために泊りこんだ」ところのようです。「御湯立の式」もその清めの儀式だったのですね。大宿所を見た後、「大宿所詣」の出発地点であるJR奈良駅に向かいました。
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