無軌道に生きる21才の女性カナの日常を描いた山中瑶子監督作『ナミビアの砂漠』は、観客によって全く異なるフィーリングをもたらすユニークな映画だ。冒頭、カナは友人の待つ喫茶店へ向かっている。長い手足をバタつかせるような河合優実が演じるカナは、運ばれてきた飲み物に紙ストローが添えられていると毒づく。友人は何やら話しているが、隣りの男たちの「ノーバンしゃぶしゃぶ」の話題が耳に入って一向に集中できない。『ナミビアの砂漠』では実のある会話が一切描かれない。プロットを進めるためのやり取りや、キャラクターの心情を語る作劇上、必要なダイアログも存在しない。いや、そもそも主人公には劇映画に見合った然るべきドラマも貫通行動もない。恋人相手に嘘をつき、暴力を振るい、タクシーの窓からゲロを吐く。「映画なんて観てどうすんだよ」と観客を恥じ入らせ、未来がない日本のZ世代の目標は「生存です」とボヤく。これが現在(いま)を生きる彼女らのポートレートと言われればそうかもしれないが、時代に背を向けるアナーキーな存在はこれまで男性主人公の特権だった(本作に近いのはヨアキム・トリアーの“The Worst Person in the World”=『わたしは最悪。』だろうか)。
そんなヒロイン像に目を背ける観客もいれば、劇中登場する彼氏達よろしく奔放で可愛らしいルックスの若い女性を称揚する男性客も少なくないだろう。どうせ生えてくるムダ毛の如く、カナが付き合う男たちは取り柄がない。優しいだけでバカ正直な恋人に飽きて、クリエイター志望の男と浮気をしてみる。デートに花を持ってくる彼の甲斐甲斐しさは転じて尊大な自己愛となり、僕はほとんど我が身を見るような気分で卒倒しかけた。
これで映画が成立するのかというスリリングな語り口は終映後、137分もあったと知って驚いた。山中は無為にスケッチを続けるように見せながら、濱口竜介作品の常連、渋谷采郁と唐田えりかの登場を合図に夢か現かもわからない語り口へふわりとシフトし、カナへの共感を許すことなく観客を煙に巻く。僕はこんな無個性で面白みもない女の子と現実に巡り合っても、劇中さながらに無意味な会話しかできないだろう。カナに唯一こだわるものがあるとすれば、それはナミビアの砂漠に棲む野生動物たちを定点観測した動画だけだ。僕にはわかりっこないし、わかったように語る気もない。
『ナミビアの砂漠』24・日
監督 山中瑶子
出演 河合優実、金子大地、寛一郎、唐田えりか、渋谷采郁