長内那由多のMovie Note

映画や海外ドラマのレビューを中心としたブログ

『セプテンバー5』

2025-02-08 | 映画レビュー(せ)

 1972年9月5日、ミュンヘンオリンピックが行われている最中、イスラエル選手団がパレスチナゲリラ“黒い9月”に襲撃された。選手村の窓から顔を出す不気味なテロリストの映像は世界中に生中継され、衝撃を与える。何度も映像化されてきたこの事件を、新鋭ティムール・フェールバウム監督は米abc現地調整室内に舞台を限定して描いた。問いかけるのは2020年代における報道倫理だ。SNSの台頭により旧来的なジャーナリズムが“オールドメディア”とも呼称される昨今、『セプテンバー5』は眼前の事件を物語と謳う全てのメディアを射程にしている。

 今日的なテーマを端的に語るフェールバウムによって、ミニマルな脚本、緊迫感に満ちた演技アンサンブル、スピーディーな編集の3拍子が揃い、実に引き締まった90分である。事件の中継を行ったのはオリンピック村に出張っていたabcのスポーツ班だった。遠くにこだます銃声、錯綜する無線にテレビマン達は色めく。ピーター・サースガード、ジョン・マガロら演技巧者の中ではいつの間にかいぶし銀のバイプレーヤーに熟成していたベン・チャップリン、そして現地通訳を演じるドイツ人女優レオニー・ベネシュ(『ありふれた教室』)が光る。

 報道マン達は“物語”という言葉を何度も繰り返し、特ダネをモノにしようと奮闘するが、ここには報道倫理上のジレンマがいくつも存在する。事件を中継することはテロリストの政治声明に与することにならないか?万が一、人質が殺されるようなことがあっても、世界中にそれを中継できるのか?彼らの言う“物語”とは実際に語ることもままならなければ、結末を定めることもできないのだ。事件の悲惨な顛末を知る観客であれば、『セプテンバー5』が突きつけるクライマックスと葛藤は容易に察することができるだろう。

 フェールバウムは本作を調整室から外に出ることなく語り上げた。ではあの時なにが起こり、後に何が行われたのかはスティーブン・スピルバーグの『ミュンヘン』を見るべきだろう。2024年はユダヤ人の彷徨を描く作品が相次いだ。『リアル・ペイン』『セカンドステップ』『ブルータリスト』…何処から来て、何処へ行き、今何が行われているのか。物語るためにはまず過去を知らなくてはいけないのだ。


『セプテンバー5』24・独、米
監督 ティム・フェールバウム
出演 ピーター・サースガード、ジョン・マガロ、ベン・チャップリン、レオニー・ベネシュ
※2025年2月14日公開
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『聖なるイチジクの種』

2025-02-07 | 映画レビュー(せ)

 “不屈”という言葉はモハマド・ラスロフにこそ相応しい。現代イラン映画の名匠は2020年『悪は存在しない』でベルリン映画祭金熊賞を受賞するも、過去作が反体制的であるという理由からイラン政府に出国を禁じられ、懲役刑を言い渡された。ラスロフは後にイランを脱出、現在はヨーロッパを拠点としている。そんな彼の新作『聖なるイチジクの種』は体制や社会規範に疑問を突きつけ、国籍を問わず観る者を揺るがす力作だ。

 ラスロフの手腕は並々ならぬ緊迫感に満ちており、167分という長尺を少しも緩ませない。冒頭、1人の男が秘密裏に1丁の拳銃を受け取る。イラン政府に務めるイマンは昇進を果たし、護身用にと銃を入手したのだ。予告編ではこの銃の紛失が重要なストーリーラインとして語られているが、実際には映画が1時間を過ぎてからのプロットであり、ラスロフを最も強く突き動かしているのは2022年に起きたマフサ・アミニ殺害事件だろう。9月13日、ヒジャブの着用が正しくないという理由から道徳警察に拘束されたマフサは、後に政府筋の発表では“心臓マヒ”という理由で死亡した。これをきっかけにイラン全土で大規模な反政府デモが発生したのだ。

 イマンは妻ナジメ、長女レズワン、次女サナの4人家族。夫の出世に気を良くした妻は娘たちにもこれまで以上の品行方正さを求めるが、大学生のレズワンが連れて来る友人は少なくとも伝統的イラン女性の規範から好ましくない。巷ではイラン政府への抗議活動が激化。時同じくしてイマンは日毎に憔悴の色を濃くしていく。

 映画を単純化する批評家は“家父長制”という安易な単語を使って本作を評した気分になるだろう。しかしラスロフは登場人物を誰1人として一面的に描かない。宗教戒律に支配されたナジメはイラン的な“良妻賢母”であることを良しとしてきたが、娘たちが直面する理不尽な弾圧に心を痛めている。家族を愛する心優しいイマンは、国家権力が強いる暴力に瓦解していく。ラスロフの射程は宗教と権力を縦に人間を破壊する“悪”そのものだ。

 ラスロフは自身も直面している理不尽を糾弾しながら、驚くべきことに映画に娯楽性すら担保している。物語は後半、キャンセルカルチャーすら内包して怒涛のサスペンス劇へと転調。カンヌ映画祭では本作のために審査員特別賞が設けられ、オスカーで国際長編映画賞の最有力候補に躍り出た。見終える頃には呆然としてしまうようなパワフルな映画だ。


『聖なるイチジクの種』24・独、仏、イラン
監督 モハマド・ラスロフ
出演 ソヘイラ・ゴレスターニ、ミシャク・ザラ、マフサ・ロスタミ、セターレ・マレキ
※2025年2月14日(金)TOHOシネマズシャンテほか全国順次公開
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『セカンドステップ 僕らの人生第2章』

2025-01-11 | 映画レビュー(せ)

 魔法使いたちが歌い踊り、剣闘士が血の雨を降らせ、CGの大海原がうねりを上げる…まったく私たち観客、すなわち“普通の人々”を描いたアメリカ映画はどこに行ってしまったんだ?そりゃあジェイソン・シュワルツマンでは華には欠ける。しかし、男やもめのユダヤ教先唱者が第2の人生を歩み始めるネイサン・シルヴァー監督・脚本の『セカンドステップ』は妙に心地が良く、しかも観客の気を引くスリルも兼ね備えているのだ。

 ベン(シュワルツマン)は地元のシナゴーグに務める先唱者。1年前、妻が不慮の事故死を遂げ、以来ミサでの先唱ができなくなってしまった。今は実家に出戻り、口うるさい母親たち(『逆転のトライアングル』ドリー・デ・レオンと、今や“ユダヤのおかん”とも言うべきキャロライン・アーロンが抜群に可笑しい)に再婚を促されている。そんなある日、小学校時代の音楽教師カーラ(キャロル・ケイン)と再会。彼女はユダヤ教に改宗しバト・ミツバを受けるべく、ベンにヘブライ語の指導を乞う。

 ネイサン・シルヴァーは“年齢を超えた友愛”なんて陳腐なヒューマンドラマに貶めることもなければ、“年の差愛”なんて俗っぽさにも陥らない。すっとぼけた甘い声音のキャロル・ケインにはどこかしら艶があり、ベンでなくとも好きにならずにはいられないチャームがある。111分という然るべき映画時間を心得たシルヴァーは2人の交流を積み重ね、気付けば彼らが分かち難い絆で結ばれているのは誰の目からも明らかだ。

 2024年は『リアル・ペイン』『ブルータリスト』などユダヤ系映画作家が自身のルーツを探る物語が相次いだ。何処から来て何処へ行くのか。そして現在(いま)なぜこんな事になってしまったのか。それは自省であり、アイデンティティの探求である。そんな最もパーソナルな想いが突き詰められた時、宗教を超えた普遍の感動と共感が映画には宿るのだ。


『セカンドステップ 僕らの人生第2章』24・米
監督 ネイサン・シルヴァー
出演 ジェイソン・シュワルツマン、キャロル・ケイン、キャロライン・アーロン、ドリー・デ・レオン、マデリン・ワインスタイン
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『セキュリティ・チェック』

2025-01-01 | 映画レビュー(せ)
 空港を舞台に『ダイ・ハード』と『フォーン・ブース』を掛け合わせたクリスマス・スリラー…安易な企画書が目に浮かぶようだが、“普通のハリウッド映画”が枯渇した2024年、『セキュリティ・チェック』は貴重な1本かもしれない。公開初週の3日間で大金を稼がなければハリウッドは映画に価値を見出さなくなってしまった。週末の2時間、娯楽を供給してくれるポップコーンムービーは今やストリーミングの広大なアーカイブに漂うばかりだ。『ジャングル・クルーズ』『ブラックアダム』と大手ビッグバジェットを任されるまでに成長したジャウム・コレット=セラが久しぶりにジャンルムービーへと帰還し、職人技を披露する本作は週末の気だるい時間を十二分に埋めてくれる。

 クリスマスイブ、帰省客でごった返すロサンゼルス国際空港(Lax)は空港職員が1年で最も多忙を極めるハイシーズンだ。保安検査官のタロン・エガートンが苛立つ乗客に睨まれていると、持ち主不明のイヤホンが運ばれてくる。さぁ、ゲームを始めよう。AppleTV+のTVシリーズ『ブラック・バード』で受けの芝居の上手さは実証済みのエガートンがサスペンス演技で奮闘し、ポーカーフェイスがコメディにもスリラーにも転用できるジェイソン・ベイトマンが恐るべきテロリストを演じる。創意工夫の足りない脚本をセラはそのまま演出しているが、脇にディーン・ノリス、ローガン・マーシャル=グリーン、ダニエル・デッドワイラーまで揃えてもらえれば十分だろう。セラには脇目を振らず、ジャンルを突き進んでほしい。


『セキュリティ・チェック』24・米
監督 ジャウム・コレット=セラ
出演 タロン・エガートン、ジェイソン・ベイトマン、ソフィア・カーソン、ダニエル・デッドワイラー、ローガン・マーシャル=グリーン、ディーン・ノリス
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『セーヌ川の水面の下』

2024-07-24 | 映画レビュー(せ)

 好事家から見ても、フランス産のサメ映画は希少では?Netflixのローカルプロダクツ『セーヌ川の水面の下に』は巻頭こそ北太平洋で始まるものの、以降はタイトル通り、パリ五輪の開会式会場にもなっているセーヌ川で繰り広げられる。おいおい、サメは淡水魚なのか?疑問はごもっとも。海洋プラスチックと気候変動で遺伝子異常を起こしたサメが、なんと単独でも生殖可能という設定だ。しっかり時事性を取り入れても、お高く止まらないのがエスプリか。サメ映画の伝統として行政の長の無能を描くのは定番が過ぎるため、ここでは気候変動の危機を訴えるため人食いサメを保護しようとするウォーキズムが餌食になる。

 “サメ映画”だろうが、夜のセーヌ河岸やカタコンベなど観光名所が映るといい気分になってしまうもので、そんなナメた態度でゆるゆる見ていたら映画は中盤からエスカレート。まさかの『バスタブに乗った兄弟?地球水没記?』のような事態に!見るならパリ五輪イヤーの今!


『セーヌ川の水面の下に』24・仏
監督 ザヴィエ・ジャン
出演 ベレニス・ベジョ、ナシム・シ・アフメド
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